「磐越道の部活バス事故は何度でも起きる」ひろゆきが問題視するバス会社でも高校でもない"真犯人"
福島県郡山市の磐越道で北越高等学校の生徒が死亡したバス事故から2週間が経過した。学校側と運行会社側の説明は食い違うが、2ちゃんねる創設者のひろゆきさんは「“犯人探し”よりも目に見えない悪因を見過ごせば、同じようなことは何度でも起きる」という――。
写真=共同通信社
新潟市の北越高で開かれた記者会見で、磐越道バス事故の経緯を説明する男子ソフトテニス部の寺尾宏治顧問(中央)=2026年5月10日午後
結論から言いましょう。
今回の磐越道バス事故。誰が悪いのか――それは司法の裁断に関わるもので、ここで扱うことではありません。それよりも背後に隠れた悪因がある。“コスパ信仰”です。
そこに違法性がないから、ますます怖い。しかも、“コスパ信仰”をかけてはいけないところにかけている。人命に、です。
だから今回の事故は、「悪いのは誰か」に収まらない部分がある。なのでここでは「蒲原鉄道と、私立北越高校のどちらが悪いか」ではなく、考えてみます。
5月6日。福島県郡山市熱海町の磐越道で、マイクロバスの死傷事故発生。新潟県の私立北越高校男子生徒1人が亡くなりました。その後、日々メディアで論戦が続くなかの15日、1つの事実が示されました。「あれは“白バス”だったのか」という疑いに、ある証拠がつきつけられたのです。
金子国土交通大臣によると、契約書上、北越高校がバスの「借受人」になっていたとのこと。つまり、形式上は学校がレンタカーを借り、自ら運送していた構図に近い。なので、現時点では、いわゆる違法な「白バス行為」に当たる可能性は低いとみられています。
「ならば、手配上の違法性はない」とみなす人がいたとしたら、話はそれほど単純ではありません。むしろその逆です。
違法性が低いからこそ、この事故はもっと怖い。なぜなら、「少しでも安く済ませたい」というソロバン勘定の延長線上で起きたフシがあるからです。いわば、コスパ意識という日常感覚が、最悪の事態を引き起こしてしまった。
「節約」を正解とみなす社会
もちろん、蒲原鉄道にも北越高校にも、“悪意”の存在はないでしょう。
「生徒の安全より予算を優先しよう」なんて考える人は、まずいませんから。むしろ逆で、「保護者負担を軽くしたい」「予算内でなんとかしたい」という判断だった可能性が高い。良かれと思ってするわけです。これを“善意”だとは、言いませんが。
いまの社会って、「節約」をほぼ無条件で正解だと思っているところがあります。それが誘因になっている。ならばじっさい、コスパ感覚って、何を削る行為なんでしょう。
スーパーで100円安い卵を探す。ホテルの予約で、なるべく安いプランを探す。旅行も、航空券も、「最安値」が正義で正解。「よく見つけたね!」と人から褒められたりもするでしょう。会社もいっしょ。コストを抑えると「優秀だ」と評価される。
これ自体、むしろ普通です。お金は限られているので、少しでも安く済ませたいという感覚は、誰にでもありますから。でも、削っていいものと、悪いものがある。
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今回の磐越道バス事故でも怖いのは、もし「予算を抑えたい」が事実だった場合です。
くり返しますが、もちろん、安く依頼することは違法ではありません。でも、そのせいで誰かの負担が超過することを「知らなかった」ではNGです。「舞台裏をぜんぜん知らなかった」なんて、舞台の表に立つ人の言葉じゃない。素人の言い訳にすぎません。
これから事実が明らかになるにつれて、学校も鉄道会社も認めたくないことを認めざるを得なくなるでしょう。同時に、メディアも外野も当事者を限定して非難しつづけるかぎり、きっとまた類似の事故が起きるでしょう。なぜなら、構造が変わらないから。
だから必要なのは、犯人探しじゃありません。「安全」に対しておカネを“かける”のが当然な社会にすることじゃないか。たとえば部活遠征への補助。移動の安全基準。契約の透明化。法的にグレーな運行を排除する仕組み。こういう地味な話のほうが、本当は必要です。
要するに、いまの社会の“コスパ信仰”を疑う必要があるんです。
賢い人のコスパ感覚とは
「安く済ませる能力が高い人=賢い」みたいな価値観が、世の中にはあります。それが“コスパ信仰”です。でもそれって、半分正しくて、半分間違いです。
「安全を削るコスパ」は、最終的に一番コスパが悪い。
これ、すごく単純な話なんです。数万円節約した。でも事故が起きた。人が亡くなった。裁判。賠償。信頼失墜。学校のブランド低下。保護者の不安。部活停止。人生が壊れる。それって、本当にコスパいいんですか? ということ。
たぶん、最悪のコスパです。
最後にもう一度、言います。
本当に賢い人は、「削っていいコスト」と「削っちゃダメなコスト」を分ける。分けられる。くり返しますが、「安全」は後者で、削っちゃダメなほう。
思えばいまどきの傾向は、安全コストを真っ先に削りがちです。でも、命のコストだけは、後払いできない。事故が起きたあとに、「やっぱり安全にお金をかけるべきだった」と言っても、もう遅い。
これは学校だけの話じゃなくて、会社でも、家庭でも、社会全体でも同じでしょう。「安いほうが正義」だと思った瞬間に、人は見えないリスクを軽視し始める。そのとき、コスパはコスパじゃなくなる。ただの、危険な天秤です。
そしてその天秤に、最初から乗せちゃいけないものがある。いくつもある。何が、いくつ、どこにどれだけあるか。それをリスク込みで考えることが、本来のコスパなんです。
少なくとも、人命で試す話じゃありません。
写真=iStock.com/Bill Oxford
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