コラム:東欧2カ国選挙、極右伸び悩みでEUにひとまず安心感

 5月19日、 東欧ルーマニアとポーランドの有権者は、欧州連合(EU)を勇気づけるメッセージを送った。写真は18日、ブカレストの大統領府に掲げられたルーマニアとEUの旗(2205年 ロイター/Louisa Gouliamaki)

[ベルリン 19日 ロイター Breakingviews] - 東欧ルーマニアとポーランドの有権者は、欧州連合(EU)を勇気づけるメッセージを送った。欧州統合の大義は健在であり、劇的な選択を迫られた有権者は懸命に考え、EU懐疑派に政権を委ねるのを思いとどまった。ルーマニアでは、中道主義で首都ブカレスト市長のニクソル・ダン氏が、世論調査で優勢が伝えられた極右候補に勝利。ポーランドの大統領選第1回投票でも、穏健派で首都ワルシャワ市長のラファル・チャスコフスキ氏が首位に立った。

EU欧州委員会は、今のところこうした結果に大きく胸をなで下ろしていることだろう。ルーマニアで、ハンガリーとスロバキアに次いでEU懐疑派政権が誕生する心配はなくなる。ウクライナとしても国境を接する相手のうち、ロシアのプーチン大統領の言い分を認め、トランプ米大統領のような自国第一主義を掲げる国が3カ国に増えずに済む。防衛費増額やウクライナへの武器支援、さらには輸入関税といったEUの重要な決定も受け入れられやすくなるだろう。

EUにとってこの日のさらなる朗報は、英国との間で防衛・安全保障や食品の輸出入手続き簡素化、漁業権問題に関する合意が成立したことだ。これにより英国は「欧州防衛基金」へのアクセスが可能となる。また漁業権問題などは、大きな地政学リスクの前ではいつまでも対立を続ける意味合いが薄れた。

だがこれで欧州が抱える問題が決着するわけではない。18日のポルトガル議会選では、中道右派の与党連合が勝利したとはいえ、極右政党「シェーガ」が得票率23%と躍進。6月1日に行われるポーランド大統領選の決選投票でも、トゥスク首相が大統領による妨害を受けずに今後も政権運営を進められる結果になるかどうかは予断を許さない状況だ。

一方、ドイツでは先月、極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」が世論調査で、就任間もないメルツ首相が所属するキリスト教民主同盟(CDS)を抜いて初めて支持率トップに立った。フランスの2027年大統領選に関しては、極右の国民連合がどちらかを擁立する可能性のある候補者2人が現時点で他の候補者よりも優勢だ。英国の場合も、世論調査結果を信じるとすれば、ナイジェル・ファラージ氏が率いる右派ポピュリスト政党「リフォームUK」が同国最大の支持を集める党になった。イタリア国民は既に、ジョルジャ・メローニ氏と右派政党「イタリアの同胞」に政権を託している。

これらの勢力の伸長は、彼らがこだわるエネルギー移行コスト負担や制御を失った移民流入への懸念が、引き続き政治の中心的課題になることを意味する。ナショナリスト的な心情の高まりは、EU全体の防衛戦略など欧州に共通する問題に対する論理的だが連邦的な解決策への抵抗につながる可能性もある。EUと英国の経済成長率がともに今年は1%弱にとどまる見通しを踏まえると、EU懐疑派の勢いがさらに広がるのは避けられないかもしれない。

A column chart showing Poland's and Romania's GDP growth compared to the EU

●背景となるニュース

*18日のルーマニアのやり直し大統領選決選投票では、中道派で首都ブカレスト市長のニクソル・ダン氏が極右候補を破って当選した。 もっと見る
*ポーランド大統領選第1回投票は、19日に選管当局が公表した開票結果(開票率99%)によると、穏健派の首都ワルシャワ市長のラファル・チャスコフスキ氏が首位、愛国主義的な保守野党が推すカロル・ナブロツキ氏が2位で、両氏が6月1日の決選投票に進む。 もっと見る
*18日のポルトガル議会選は、中道右派の与党連合「民主主義同盟」が勝利したが過半数に届かず、極右政党「シェーガ」と中道左派の社会党が第2勢力になった。 もっと見る
*EUと英国は19日の首脳会議で、安全保障・防衛協定や漁業権に関する取り決めなどに合意した。 もっと見る

(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

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筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

Pierre Briançon is a Breakingviews columnist, writing on European business and economics. He was previously a writer or editor at Barron’s, Politico, and Breakingviews for a first stint as Paris correspondent and European editor. For the first part of his career he was a foreign correspondent and editor at Libération, the French newspaper. He was also an economics columnist for Le Monde and for French public radio.

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