黄金の大草原に帰るモウコノウマ、野生復帰の旅に密着
2025年6月のある月曜日の朝だった。チェコのプラハの中心部へと向かう車が続く中、若い種ウマがトラックの荷台にあった木製の輸送箱を蹴破り、高速道路上に降り立ってドライバーたちをあぜんとさせた。「ウイスキー」と名付けられたこのウマは、世界で最も絶滅が危惧されるウマ科動物の一種、プシバルスキーウマ(モウコノウマ)だった。
プラハ動物園で1年半飼育されたウイスキーは、プシバルスキーウマを野生に復帰させるという歴史的な取り組みの一環として、カザフスタンの大草原にある新たな生息地へ向かう途中だった。その希少なウマが往来の激しい道路の真ん中に解き放たれてしまったのだ。
保全チームは何とかウイスキーを追い込み、鎮静剤を打って無事に動物園へと連れ戻した。しかし、同じく飼育下で育った他の7頭のプシバルスキーウマ(プラハから3頭、ハンガリーから4頭)は自由への旅を続けた。
映像作家で写真家のエイミー・ビターリ氏は、ウマたちの旅路を記録するために同行していた。氏はトルコとアゼルバイジャンでの給油を挟みながら、チェコから軍用輸送機に乗り、その後さらにトラックで8時間移動して、中央カザフスタンのアルティン・ダラ国立自然保護区に到着した。たどり着くまでに3200キロ以上の道のりをウマたちと共に移動したのだ。
プシバルスキーウマは、家畜化されたことのない唯一の現存する種だという説がある。かつては中央アジアの風吹き荒れる大草原を駆け回っていたが、1881年に新種として記載された頃には、狩猟や生息地の喪失により、すでに減少の一途をたどっていた。
1969年までには、野生での絶滅が宣言された。当時、世界に残された数は200頭未満で、すべて動物園で飼育されていた。祖先は48年以前に捕獲されたわずか13頭のプシバルスキーウマだ。
90年、国際自然保護連合(IUCN)はプシバルスキーウマの保存計画を策定した。慎重な繁殖によって遺伝的多様性の保全を求めるものだった。また、モンゴル、中国、ウクライナ、カザフスタン、そしてシベリアのバイカル湖周辺の山岳地帯を候補地として、5〜10の自立した群れを野生下に作り出し、本来の生息地へ復帰させることも求めていた。
数十年にわたるこの取り組みは、90年代初頭、飼育下で繁殖したウマを中国とモンゴルの野生地域に導入することから始まった。2010年、厳しい冬の寒さによりモンゴル西部で放たれたプシバルスキーウマの3分の2が死亡した後、プラハ動物園は数を補充するために「野生馬の帰還」プロジェクトを立ち上げた。チェコ空軍の輸送機を使い、同動物園は飼育下で繁殖したプシバルスキーウマのモンゴルへの輸送を複数回にわたり調整した。
現在、中国とモンゴルには1000頭以上のプシバルスキーウマが生息している。プラハ動物園はこの種を本来の生息域の別の場所、カザフスタンの大草原へと復帰させる取り組みを拡大している。
そのために、彼らはもう一つの画期的なプロジェクト「アルティン・ダラ保全イニシアチブ」と協力している。06年に別の絶滅危惧種であり、プシバルスキーウマと同じ生息域を共有する、特徴的な鼻を持つサイガを救うために始まったものだ。
サイガは冬になると餌と水を求めて数百キロメートルを移動する。彼らの生息地を守るため、アルティン・ダラ保全イニシアチブのパートナー団体(カザフスタン生態地質天然資源省、英国王立鳥類保護協会、ドイツのフランクフルト動物学協会、ファウナ・フローラ・インターナショナル、カザフスタン生物多様性保全協会)は、デンマークよりも広い約5万1800平方キロメートルのステップ草原とサバンナを保護地域とした。
最初のウマをカザフスタンに持ち込む前に、パートナー団体はプシバルスキーウマをカザフスタンのレッドブック(絶滅のおそれのある野生生物のリスト)に絶滅危惧種として認定させ、法的保護を確保した。
その後、5年間で40頭をアルティン・ダラに導入する計画を立ち上げた。生物学者たちは、導入したウマたちが自立した群れの基盤となるよう期待している。
25年、チェコ軍はプラハとベルリンから最初の7頭の飼育下繁殖のプシバルスキーウマをアルティン・ダラに輸送した。これらのウマは、気温がマイナス45℃まで下がるステップでの最初の冬を生き抜けるよう、順化用に囲われた土地で1年間を過ごした。
元戦場カメラマンであるビターリ氏は、これら最初の7頭の放牧と、新たなグループの到着(直前の高速道路での脱走劇がなければウイスキーも含まれるはずだった)を記録した。最初の7頭が草原に戻ったとき、おそらく約200年ぶりに、プシバルスキーウマが中央カザフスタンを自由に歩き回った瞬間となった(03年に同国南部地域でプシバルスキーウマを復帰させる試みがあったが、失敗に終わっている)。
一方、新たに到着したウマも、草原に放たれる前に順化用の囲い地で1年間を過ごすことになる。
「絶滅が日常茶飯事であるこの分野において、かつて野生では絶滅したと考えられていた種の帰還は、稀有(けう)で、もろい成果です」と、ビターリ氏はメールで記した。「再野生化の実践とは、科学、物流、そして信頼が等しく組み合わさったものです。それは、閉鎖環境で繁殖された動物が再び適応できるという信頼、生態系は回復できるという信頼、そして失われたものがまだ戻ってくるかもしれないという信頼なのです」
ビターリ氏は、ナショナル ジオグラフィック誌に対し、ウイスキーの脱走劇や、「野生馬の帰還」を記録する活動や、絶滅危惧種とその生息地を守るその他のプロジェクトについて語った。以下はビターリ氏へのインタビューだ。
――どのようにしてこのプロジェクトに関わるようになったのですか?
数年前、プラハ動物園から連絡があり、招待を受けました。私は、環境や野生生物、絶滅の問題に関して、単に地球が直面している課題に焦点を当てるだけでなく、それ以上のストーリーを見つけることに関心を持ってきました。
こうした問題を記事で読むと、「過去50年間で世界の野生生物の73%が失われた」といった、世界自然保護基金(WWF)が24年に発表した打ちのめされるような統計データが頭から離れません。そうしたことが心に残り続け、私は自分の仕事の中で常に「この問題に対して私たちは何をすべきか?」を見いだそうとしてきました。
その探求が、世界中で信じられないような活動をしている並外れた人々との出会いへと導いてくれました。プシバルスキーウマの話は、私がこの仕事を始めた当初からずっと語られてきました。彼らは人間によって絶滅寸前まで追い詰められ、その後実際に復活した象徴的な種です。偶然にも、キタシロサイを救うために一緒に仕事をした獣医の一人が、プシバルスキーウマの仕事もしていました。だから、ずっとこの活動に携わりたいと思っていました。
1年目は行けなかったので、25年に参加しました。8頭を連れてくる予定でしたが、ウイスキーが逃げ出したので7頭になりました。ネット上のどこかに、実際にその時の動画が出回っています。ウイスキーが後ろの扉を蹴破り、動いているトラックからバックで脱走する様子がね。
――つまり、あなたは車列の中にいて、ウイスキーのトラックはあなたの前を走っていたのですか?
私たちは皆車列の中にいたのですが、停止しました。私は何かがおかしいと気づいて飛び出しました。警察が交通をすべて止め、私たちチーム全員が走りました。マーケティングチームの何人かをつかんで、「いい? かなり近づいて両手を上げなきゃいけないよ。もしウマがこちらに跳んできても、動かないで。ただ手を上下に振って」と言ったのを覚えています。ウイスキーが対向車線に飛び込んでしまうことが怖かったです。
そういうことを考えていましたが、チームが本当に素晴らしかったです。それぞれの役割に関係なく、全員が団結する姿は美しい光景でした。でも怖かったです。私が参加した移動では、いつも予期せぬことが起こります。
――つまり、人間のおりのようなものを作って、腕を広げたわけですね?
そうです、全員ですぐに駆けつけました。ウマに向かって走ってはいけません。横に向かって走るのです。決して真っ直ぐ向かって走ってはいけません。そうするとウマが逃げてしまいますから。だから皆、別々の方向から近づきましたが、ウイスキーに直接向かうことはしませんでした。動物と接する時は、対立していると思わせないように、このように動くのです。
その後は本当にあっという間でした。主任の獣医は道路の真ん中でウイスキーに鎮静剤を打たなければならないとわかっていましたし、で、クレートに戻す必要がありましたが、ウイスキーが壊してしまったので別の木箱が必要でした。
そこで、獣医たちは鎮静剤を打った後、ウイスキーと一緒に道路脇で待機せざるを得ませんでした。その間、私たちは全員他のウマを軍用機に乗せて、期限に間に合わせるために先を急がなければなりませんでした。
ウイスキーは結局、全く問題ありませんでした。帰国後、私は彼に会いに行きましたが、(プラハ動物園で)元気にしていますし、けがも全くありません。
――ウイスキーを再び野生に放す試みは行われるのでしょうか?
私の知る限り、将来ウイスキーがカザフスタンに行くことはないでしょう。
――ウイスキーをプラハに残し、残りのウマたちと軍用輸送機に乗ったわけですね。どのような感じでしたか?
(輸送機の中は)本当に寒かったです。私たちは皆、冬服を着込んで身を包んでいました。ものすごくうるさいし、本当に遅いのです。ただ凍えながら、補助席に座っているだけです。
長い旅でした。イスタンブールで給油のために止まり、その後アゼルバイジャンに止まりました。獣医たちは素晴らしかったです。彼らは24時間体制でウマたちを見守り、餌を与えていました。
カザフスタンに到着し、そこから車で移動しました。あの風景を見るのは強烈な体験でした。私はそれまでステップに行ったことがありませんでした。木が一本もなくて、すぐには生きものの気配を感じませんが、朝目覚めると、鳥たちの鳴き声の大合唱が聞こえます。周囲には多くの生命があふれています。虫さえも。
日が昇る頃、少なくとも1時間座っていると、小さなサイガの赤ちゃんが私がいることに気づかずに、プシバルスキーウマたちの前を走って通り過ぎていきました。
――赤ちゃんのサイガがあなたのそばを走っていく光景、とても愛らしいです。それは最初の日の朝のことですか?
はい。巨大な囲い地があって、私はうつ伏せに寝そべって1時間ほどそこにいました。日が昇ってくると、ウマのたてがみを通して光が差し込んでくるのが見えました。その時、この愛らしい小さなサイガの赤ちゃんが私に気づかずに走ってきて、そこにはウマたちがいるのが見えました。
この2つの種がおそらく何世紀もの間、隣り合わせで生きてはこなかったこと、そしてこの風景が自ら回復しようとしていること、さらに、戻ってきたプシバルスキーウマに他にどんな種が支えられるのかを考えると、胸が熱くなりました。これらの生きものが戻ってきたおかげで、起こるかもしれないことを考えるのは楽しかったです。
何が戻ってくるのでしょうか? それが私の問いです。こうした生きものたちは驚異を感じさせ、疑問を抱かせ、好奇心を刺激します。それが私個人にとってのすべてです。他の人たちもそうであるよう願っています。
――遠征では予期せぬことが常に起こるとおっしゃいましたね。
動物に麻酔弾を撃っても、すぐに完全に鎮静状態にならないことがあります。野生の環境で作業していると、もし近くに水があれば、川や水源に逃げ込んでしまうことがあります。薬が効いて水中で倒れてしまう前に急いで引き上げなければなりません。
(遠征で)キリンを船に乗せて川を渡ったときは、ウガンダキリンを9頭救出しました。大雨で彼らのいた半島が島になってしまい、キリンの赤ちゃんが沼地にはまって毒蛇にかまれてしまったからです。「ジラフト(gir-RAFT:キリンといかだを掛けた言葉)」と呼ぶいかだでキリンを移動させなければなりませんでした。私たちはナショナル ジオグラフィックのためにこの取材を行いました。
南アフリカからモザンビークへ24頭のライオンを飛行機で運んだこともあります。内戦のせいで生息地から消えていたライオンを、プライベートジェットで帰還させました。飛行中にライオンたちが目を覚まし始めました。私とパイロットと獣医しかおらず、私は獣医をつついて、「ねえ、鎮静剤を打ってくれない?」と頼みました。
それから、「エリック」という名のクロサイをサンディエゴ動物園からタンザニアまで空輸したこともあります。48時間かかり、何度も飛行機を乗り継ぎました。野生動物ですから、本当に重労働です……物事はうまくいかないものです。でも、動物が車から落ちたり、蹴破って出てきたりしたのは見たことがありませんでした。
――どれだけの資金、労力、人員、時間がかかっているかを知ると、一部の人々は「なぜそこまでするのか?」と思うのではないかと思います。
絶滅するすべての種は、最終的には人類に影響を与えます。それを理解していようといまいと、それは事実です。あなたの生涯では起こらないかもしれませんが、この惑星の生命にとって、あなたの子どもたちにとって影響があります。
私は自分の人生の中で、種が失われ、その後その土地が本当に崩壊し始めるのを見てきました。そして、そこはますます住めない場所になっていきます。逆もまた見てきました。少しの機会を与えるだけで、自然がいかに早く自らを治癒し始めるか。それは驚くべきことです。
そこに身を置いて、土地は癒え、生きものは再び戻ってこられると信じることには、深く心を動かされるものがあります。もし私たちが耳を傾け、観察すれば、未来はまだ書き記されていないのだと気づきます。私たちは管理者となり、回復させ、再びつなぎ合わせ、保護する力を持つことも選べる。それは同時に私たちが失いかねないものの象徴でもあります。
これらすべてのことにおける最大の課題は、国や文化、全く異なる政治、異なる信念体系を超えて人々が集まり、実現に向けて協力することだと思います。それが私にとって、これらすべてのストーリーの主要な教訓です。
人間は、自分たちが望む未来を描くために協力し合う必要があります。それは可能です。これから何が起こるかは、実際には私たちの手の中にあるのだと実感しています。
――他のインタビューでも、私たちが行うあらゆる選択が影響を与え得るとおっしゃっていましたね。
間違いありません。もっと多くの人が、どんな形であれ関わる必要があると思います。このストーリーに関わる必要はありません。ニューヨーク市にいても、気づかないだけで周囲にはたくさんの自然があふれています。秘訣は、ただペースを落として観察することです。私は今(モンタナ州の)自宅の玄関ポーチに座っていますが、何十匹ものハチやチョウが花粉を運んでいます。
目の前にあるものに気づき、自分もその一部なのだと気づけば、すべてがもっと意味のあるものになります。プシバルスキーウマを野生での絶滅から復活させ、かつて存在していた場所へ戻せるなんて、驚くべき奇跡です。プシバルスキーウマが戻ることで、あの風景は癒やされていくでしょう。
キーストーン種(生態系の要となる種)を元に戻すと、驚くほど多くの再生が起こります。そのことについて深く考え込むのが好きです。私はそれを、どこにいようとも私たち全員に結びつけるのが好きです。
確かに科学者たちは私たちが「6回目の大量絶滅」を目撃していると言っていますが、もし私たち全員がもう少しだけ注意を払い、自分の身近なプロジェクトに関わったらどうなるか想像してみてください。あるいは単に、野生生物を傷つけている自分の行動にもっと自覚的になるだけでもいいのです。
文=Carol Huang/写真=Ami Vitale/訳=杉元拓斗(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2026年4月13日公開)