東大生30人にIQ聞いてみたら|ニフティニュース
東大生30人に「IQ」を聞いてみたら“意外な結果”が明らかに。「IQが高いとむしろ…」語られたホンネとは
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昨今、隙間時間にサッと遊べるスマホパズルゲーム需要が増えています。「このパズルが解けたら、あなたがIQ140!」のような広告を見かけたことはあるのでは。 こういった広告は、大体わざと失敗する形式をとっており、もどかしさからインストールさせる戦術が取られているようです。 頭のよさや優秀さを測る表記として、受け入れられている“IQ”ですが、本来の意味は「知能指数」であり、認知能力に過ぎません。 しかも、これは絶対値ではなく偏差値のようなもので、「同年代の中で○%」を示すに過ぎない。どんなにひ弱な大人でも、幼稚園児と相撲を取って負けないように、同年代で平均より劣るIQを持っていても、それが絶対的にその人を貶めるものではありません。
「東大生のIQは平均120!」と根も葉もないうわさが流れることもあります。きっと誉め言葉なのでしょうし、普通ならうれしいのかもしれませんが、当の本人たちは白けた表情。
今回は現役東大生30人に話を聞いて分かった「IQに踊らされる世間への本音」をお伝えします。◆東大生のほとんどが自分のIQを知らない まず、東大生たちは自らのIQを知っているのでしょうか? 聞いてみたところ、正式な知能指数検査(WAISなど)の受検経験がある方は、1人もいませんでした。「ネットの簡易的なテストで140だった」など仰る方もいらっしゃいましたが、IQを測るには形式により2時間以上かかることも珍しくなく、検査費用も高額(2万円~)なので、無料で手軽に受けられるネットのIQテストに意味はありません。 受けない理由は「別に興味がない」「知るのは面白いかもしれないが、わざわざ時間とお金を割くほどではない」「知りたい気持ちはあるが、とても低い数値が出たらショックを受けそう」など。 ただ、IQを押し出したゲーム広告や、それに釣られる人々に対しては、冷ややかな意見が。◆IQに対して手厳しい意見「目に見えて素晴らしい実績を出したことのない人間が、周りから評価されるためにIQというわかりやすい指標を求めている……みたいな偏見が自分の中にはあります。わかりやすい実績があるなら必要ないでしょうし、周りの評価を気にしない方も求めないでしょうから」(前期教養学部Hさん)「東大生でIQ気にしている人なんているのかな?と思います。高IQ=一般社会で賢いというわけでもありませんし、社会性に問題が生じる可能性もありますから、それならむしろ高IQなんていりません」(法学部Oさん)「冷静に考えて、もっと社会的に信用がある学歴とか職歴がある人は、その肩書で十分なので、そういったものがないからこそ『本当は頭がいいんだよ!』とアピールしたがるのでは。頭がいい人のアクセサリーならいいですけど、そうでもなければ痛いですよね」(工学修士課程Sさん) 今回話を聞いた東大生たちの中で、高IQに対して好意的な意見を持つ人は、一人もいませんでした。 彼ら自身は、「東大受験」という高難易度のテストを突破してきた実績がありますし、「自分は能力がある」と知っているからこそ、外部に自らの能力証明を求めないのかもしれません。 ◆「IQが違うから話が合わない」と言う人たち 筆者が今年8月に入会したMENSA(「人類の上位2%のIQ」を入会条件に掲げるイギリスの団体)の会合でよく話されるのは「生きづらいよね」という愚痴や悩みの暴露。 話のペースが会う人がいないとか、周囲と興味の方向が異なるとか、人によっては嫌味に感じるかもしれませんが、アレはどちらかと言えば避難所に近いコミュニティです。 筆者自身も「どんな世界だろう?」と気になって覗いてみたはいいものの、そこまで変わった方もおらず、感覚としては「ゲームを誘えるコミュニティが一つ増えた」程度。 特別なことなんてありませんし、むしろ会費がもったいないので、今の会員期限が切れたら更新せず退会しようと考えています。 もちろん、中には「自分は特別なんだ!」と信じる方もいらっしゃいます。 そういった方に限って「IQが20違うから話が合わない~」などと、コミュニケーション能力の低さを他者の知能指数へ転嫁して正当化しようとしますが、そういった方はごく少数。 ほとんどはIQの高さを「長所でもありつつ、生きづらさの要因でもある」と多面的に捉えます。「高ければ高いほどいい」とか「自慢の種になるとか」考えている人はいませんし、そんなことで人間の能力は測れません。◆「わかりやすい」から多用されているだけ 今回、調査に付き合ってくれた東大生の中には「天才風のキャラには毎回IQの数値が出ますよね。わかりやすいからでしょうか」と指摘してくれた方もいました。 実際に能力や実績がある人の裏付けやアクセサリー、あるいは持ちネタとして使われるものであって、そこにアイデンティティを見出せるほど存在感はないのかもしれません。 世の中が考えるほどIQに価値はない。 それでも求めてしまうのは、数字に踊らされる競争社会に心の底から染まり切ってしまった証左ではないでしょうか。 しかし、数字は縦方向の一次元的な評価に過ぎません。何が好きで、何を選ばないか。何に時間を使うのか。 こういった嗜好の積み重ねこそ、人の魅力を伝える最大のツールとなるはず。 仮にIQが高いのならば、使い勝手のいい数字に、使われてしまうことの無いように、優れた知能を活かしてほしいものです。<文・布施川天馬>【布施川天馬】1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)