【解説】 ジュフリー氏の回顧録には何が書かれているのか アンドリュー氏やエプスティーン元被告からの性被害を訴えた女性

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画像説明, ヴァージニア・ジュフリー氏

ヴァージニア・ジュフリー氏(故人)の証言の多くは、これまでも明らかにされてきた。しかし、死後に出版された回顧録では、同氏が受けた虐待の様子が、恐ろしいまでに詳しく記されている。

10月21日に発売された「Nobody's Girl: A Memoir of Surviving Abuse and Fighting for Justice(誰のものでもない少女:虐待を生き延びて正義のために闘ったことの回顧録)」には、性犯罪者として有罪とされたジェフリー・エプスティーン元被告(故人)や、その元交際相手のギレイン・マックスウェル受刑者(2022年に人身売買罪などで禁錮20年の刑が言い渡され服役中)との関係について、ジュフリー氏の証言が記されている。

注意:この記事には性的・身体的虐待の描写が含まれています。

ジュフリー氏は、エプスティーン元被告とマックスウェル受刑者からの被害について、最も積極的に公に発言していた一人だった。17歳だった2001年に、2人によってアンドリュー氏に売られたと述べていた。

回顧録の中でジュフリー氏は、個別の場所で計3回、アンドリュー氏との性行為を強制されたと述べている。3回目はエプスティーン元被告が所有していた孤島で、ジュフリー氏はそれが「乱交」だったとつづっている。

「エプスティーンとアンディー(アンドリュー氏)、そして私と8人の女の子が、一緒にセックスをした」

「他の女の子はみんな18歳未満に見えて、ほとんど英語を話さなかった。エプスティーンは、彼女たちがコミュニケーションを取れないことを笑って、一番付き合うのが簡単な女の子たちだと言っていた」

ジュフリー氏はまた、2011年に公表された、エプスティーン元被告とアンドリュー氏がニューヨークのセントラルパークで会っている場面の写真についても書いている。

「私を虐待した2人が散歩に出ている光景は、当然のように吐き気がした」

「でも一番驚いたのは、イギリスの王族が、エプスティーンと公の場に姿を現すほどばかだということだった」

ジュフリー氏は2021年にアメリカでアンドリュー氏を相手に民事訴訟を起こした。双方の弁護士は2022年2月、両者が「大枠で和解」したと発表した。

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画像説明, アンドリュー氏(左)とエプスティーン元被告

この「乱交」疑惑の後、ジュフリー氏は「体調を崩し」、不正出血や腹痛が続いたという。

同氏の説明では、エプスティーン元被告に病院に連れて行かれ、検査室に入った。しかし、その後については、鎮痛剤を投与されたため、記憶があいまいになった。

ほどなくして、エプスティーン元被告の邸宅で一緒にいた少女の1人から、へその近くにある切開痕は、子宮外妊娠の手術を受けたことを示している可能性があると言われた。

「でもエプスティーンは、私が流産したのだと言った。この二つは全く違うものだ」「エプスティーンは一度もコンドームを着けなかった。彼とマックスウェルが私を売った男性もみんなそうだった」

ジュフリー氏の虐待の中心には、エプスティーン元被告と、元パートナーのマックスウェル受刑者がいた。

ジュフリー氏は、エプスティーン元被告から受けた虐待の記憶が、それから何年も「拷問」のように自分を苦しめたと書いている。また、エプスティーン元被告と仲間たちの手で、「性奴隷として死ぬ」のではないかと恐れていたとした。

回顧録には、加虐的な性行為に関するショッキングな内容もつづられている。

ジュフリー氏によると、エプスティーン元被告は徐々にそうした嗜好(しこう)に興味を示すようになり、「むちや拘束具といった拷問具で実験」を始めるようになったという。

エプスティーン元被告が使ったくさりや拘束装置は「あまりに痛くて、いっそ気絶したいと思うくらいだった」、「でも実際に気絶すると、さらなる虐待によって起こされた」と、回顧録には記されている。

さらに、一連の虐待による身体的影響についても、詳細につづられている。目の下に黒いあざができたり、皮膚から肋骨(ろっこつ)が透けたりしたという。

こうした様子のジュフリー氏に対し、エプスティーン元被告が治療を受けさせることはなく、むしろ「気持ち悪がっていた」と、ジュフリー氏は述べている。

「エプスティーンは冷たく『お前はもう昔のお前じゃない』、『体をきれいにしろ』と言った」

ジュフリー氏は、マックスウェル受刑者と初めて会い、エプスティーン元被告を紹介された経緯についても詳しく語っている。

ジュフリー氏によると、マックスウェル受刑者は、当時10代だったジュフリー氏が勤務していたマール・ア・ラーゴのスパに現れた。

「彼女は30代後半に見えた。イギリスなまりで、メリー・ポピンズを思い出した」と、ジュフリー氏は回想している。

マックスウェル受刑者は、マッサージ師としての仕事の面接に来ないかとジュフリー氏を誘ったという。

ジュフリー氏が邸宅に行くと、エプスティーン元被告が裸で待つ部屋に通された。そこでマックスウェル受刑者に「私がやることをやりなさい」と言われたという。

ジュフリー氏はエプスティーン元被告にマッサージを始めた。その後、マックスウェル受刑者が服を脱ぎ、ジュフリー氏の服を脱がせ、エプスティーン元被告と共にジュフリー氏を性的に加害したという。

「耐えられないほどの失望だった。私は自分を責めた。みんなが私に望むのはセックスだけなのかと」

マックスウェル受刑者がアンドリュー氏との面会を設定したのは、2001年3月だったという。

ジュフリー氏はある日、マックスウェル受刑者に起こされると、今日は「特別な日」だ、「シンデレラのように」、「ハンサムな王子」に会うのだと言われたとつづっている。

虐待から数十年がたっても、当時どれだけエプスティーン元被告とマックスウェル受刑者を恐れていたか覚えていると、ジュフリー氏は振り返っている。

この回顧録には、他のテーマと共に、説明責任を強く求めるジュフリー氏の気持ちが一貫してつづられている。

エプスティーン元被告は2008年、何十人もの少女を性的に暴行した罪に問われたが、司法取引で、性的搾取目的の人身取引罪での有罪判決は免れた。その代わり、フロリダ州法に基づき、未成年を売春に勧誘・斡旋(あっせん)したという量刑の比較的軽い罪について有罪を認めた。

その後、2019年7月にも大勢の少女に対する性的人身取引罪で起訴されたが、裁判を待っていた同年8月に拘置施設で死亡した

ジュフリー氏は回顧録で、エプスティーン元被告の死に失望を感じたと述べている。「これが正義のあり方でいいはずはなかった」。

アンドリュー氏については、ジュフリー氏は法廷の外で記者団に向かい、「彼は自分が何をしたかを正確に理解している。(中略)そして、私は彼がそれを正直に明かすことを願っている」と語ったことを回想。また、アンドリュー氏が「責任を問われること」を願っていると記している。

この回顧録における最も力強い言葉は、その結びに込められたものだろう。

「私の心の中には、助けを求めて手を伸ばし、それを容易に見つける少女の姿がある」と、ジュフリー氏は書いている。

「それから、幼少期の痛みと折り合いをつけた女性の姿も思い描く。その女性は、自分を傷つけた者たちに対して行動を起こす力が自分にあると感じている」

「もしこの本が、そうした現実にほんの少しでも私たちを近づけるのであれば――もしたった一人でも救うことができるのであれば――私は自分の目標を達成したことになる」

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