「決着は自分で」細野氏が復興相 事故対応から15年…再び福島へ 風評には「反論」訴え
自民党の細野豪志衆院議員=静岡5区=が17日の内閣改造で復興相に起用された。細野氏は東京電力福島第1原発事故後、民主党政権で原発事故担当相などで対応に当たった。その後、民進党を離れ、無所属を経て自民入り。その間も、書籍やSNSを通じてALPS処理水や甲状腺検査、風評を巡る問題で発信を続けてきた。事故から15年余り。今度は自民党政権の閣僚として、再び福島の復興に向き合う。
細野氏は平成23年の原発事故後、菅直人政権で首相補佐官を経て原発事故の収束・再発防止担当相に就いた。野田佳彦政権では環境相を務めた。
「大きな責任」政権離れても福島へ
政権を離れても、福島との関わりは続いた。民主党幹事長だった25年には、元プロ野球選手の古田敦也氏らと福島を支援する団体「みらいふくしま」を設立。風評被害対策や子供向けのスポーツ教室などに取り組んだ。
復興相に決まり、首相官邸に入る自民党の細野豪志衆院議員=9月17日午後1時10分象徴的なのが、福島第1原発のALPS処理水を巡る対応だ。政府が海洋放出の方針を決める前の令和元年ごろから、安全性や放出の必要性について発信を重ねた。当時は海洋放出への世論の理解が十分に広がっておらず、政治家が正面から必要性を訴えることには反発も伴った。
政府は3年4月に海洋放出の基本方針を決定し、5年8月に放出が始まった。
細野氏は3年の産経新聞のインタビューで、処理水問題に力を入れた理由について、敷地内にタンクが増え続け、作業員が1日2回見回るなど現場が疲弊していたことを挙げた。タンク建設では作業員が死亡する事故も起きていた。
こうした現場の状況を踏まえ、細野氏は「この問題は度を越えて関わろうと思っていた」と語った。
「丁寧な説明では足りない」風評と対峙
処理水の安全性を巡っては、政府の姿勢にも繰り返し注文を付けた。事故当時、政府に責任があるとの意識から、科学的根拠に乏しい情報が流れても正面から反論せず、「丁寧な説明」にとどまったことが結果的に風評を広げたとの反省からだ。
「非科学的な言説に対し政府は毅然と反論すべきだ。いわゆる丁寧な説明に終わってはいけない。これが10年前の反省だ」
中国や韓国などからの非科学的な批判にも反論するよう求めた。処理水の安全性を十分に伝えず、風評への懸念だけを取り上げる報道については「風評の拡散そのものだ」と苦言を呈した。
3年6月には処理水の海洋放出を解説する漫画を友人らと制作し、インターネットで公開した。福島近海で水揚げされる「常磐もの」も自ら取り寄せ、「味はいい」と発信。事故後に細った販路について政府によるてこ入れも求めた。
甲状腺検査を巡る一部の非科学的な発信も問題視し続けた。菅直人氏ら首相経験者5人が4年、欧州連合(EU)側に「原発事故により多くの子供たちが甲状腺がんに苦しんでいる」とする書簡を送った際には、かつての上司だった菅氏を批判した。
「菅直人元首相は避難範囲の決定をした責任者だ。原発事故により甲状腺がんが増えたと主張するなら、自らの政治責任をどう取るのか」
自ら残した「30年」の宿題
事故対応の中心にいた細野氏自身が背負う宿題もある。環境相時代には、福島県内の除去土壌について中間貯蔵開始後30年以内に県外で最終処分する方針を打ち出した。この約束はその後、法律に明記され、現在も国が実現を迫られている重い課題だ。
民主党政権で事故対応を担った政治家が、自民党政権の復興相として福島に戻る。かつて細野氏はインタビューで、こう語っていた。
「民主党政権の中枢で原発事故を経験したので、処理水の問題は分かっていた。自分で決着をつけなければならないとの思いだった」
(奥原慎平)