孫正義や柳井正には絶対なれない…会社の業績を伸ばせない「ダメ経営者」に共通する“決定的要素”とは?(ダイヤモンド・オンライン)
● 爆発的に伸びる会社が 実践している「10の法則」 そのうえで、10の法則が並ぶ。そのうちの5つは、組織の内部に向いたものだ。 (1)Interface(インターフェース:組織間の境界が明確であること) (2)Dashboard(ダッシュボード:2、3つに限定されたKPIがあること) (3)Experiment(実験:実験を奨励すること) (4)Autonomy(自律型組織:自律性を尊重すること) (5)Social Technologies(ソーシャル技術:SNSなどを活用すること) これらの頭文字を並べると「IDEAS」となる。一方、残りの5つは、組織の外に向いたものである。 (6)Staff on Demand(オンデマンド型の人財調達:人財は必要に応じて外から調達) (7)Community & Crowd(コミュニティとクラウド:外部との関係性づくり) (8)Algorithm(アルゴリズム:独自の価値創造方程式を構築) (9)Leveraged Assets(外部資産の活用:他力や外部資産を手の内化せずに活用する) (10)Engagement(エンゲージメント:外部を惹きつける求心力) これらの頭文字は「SCALE」となる。したがって、両方あわせて「SCALE IDEAS」。アイディアを生み出すだけでなく、それをいかにスケールさせるかが桁違いの成功のカギを握る。内向きのちまちましたスタートアップ(0→1)ではなく、外部経済を取り込むスケールアップ(1→100)こそが、本質的な課題であることに気づかされる。 それでは、指数関数的成長の先には、何が待っているのだろうか。アメリカでは、「リミットレス(限界なし)」が、まことしやかに唱えられている。その震源地は、大きく3つあるようだ。
● 指数関数的成長の先に 何が待っているのか? 第一に、技術からの論点。「シンギュラリティ」という言葉は、よく耳にするようになった。先述の「シンギュラリティ大学」もこの言葉を冠している。日本語では「技術的特異点」と訳されることが多い。AIが人間の知能を超える特異点のことを指す。この特異点を超えると技術の進歩が超加速度的になり、人間の文明は極端に変化する。その結果、それ以前の歴史的出来事すべてが無意味化してゼロに見えるほどになる、というのである。 シンギュラリティ論は、さまざまな分野から批判されてきた。日本でも「シンギュラリティは来ない」などという反論が喧しかった。しかし、チャットGPTの出現や量子コンピュータの長足の進展とともに、少なくともプレ・シンギュラリティは間違いなく始まっているという論調が広がり始めている。 第二の論陣は、経済の視点に立ったものだ。たとえばアメリカの経済社会理論家ジェレミー・リフキンは『限界費用ゼロ社会』(NHK出版)の出現を唱える。限界費用、つまりモノやサービスを生み出すためのコストは限りなくゼロに近づき、やがてモノやサービスは無料の社会が到来するという。 ソフトやコンテンツがフリー(無料)で提供される現象は、いまや日常茶飯事だ。IoTの進展に伴い、物理的な世界でもモノやサービスを生み出すための限界費用逓減が進んでいく。その結果、所有することの価値は失われ、共有型経済(シェアリング・エコノミー)へと移行すると論じる。 そうなると、これまでのビジネスモデルそのものが大きな転換点を迎える。究極は、市場原理を中核とした資本主義から、共同体(コモンズ)を中核とした新たな経済モデルに移行していくと予言する。それは期せずして、80余年前に資本主義の崩壊と新たな社会主義の到来を唱えたヨーゼフ・シュンペーターの予言とも軌を一にするものである。 そして第三の声は、人間論の地平から沸き起こっている。人間が内包する潜在能力に光を当てるアプローチである。たとえば、アメリカの脳コーチであるジム・クウィックは著書『LIMITLESS』(東洋経済新報社)の中で、人間は無限の能力を開発できると述べている。そのためには、マインドセット(思い)、メソッド(方法論)、モチベーション(情熱)の「3つのM」の限界を突破する必要があると説く。 だが指数関数的な成長など、日本企業はしょせん蚊帳の外という声が聞こえてきそうだ。たしかに高度成長時代であればいざ知らず、日本経済が成熟という名の衰退に30年間陥り続けてきた中で、現実離れした話に思えるかもしれない。