「壮絶なアトピー体験」を“お笑い”に昇華――かき傷で全身血だらけ、食べられる食材はたった3つ。34歳全身タイツ芸人がそれでも持ち続けた“夢”(東洋経済オンライン)

7:30 配信

 アレルギーの影響で白米、鶏肉、グミしか食べられなかった人がいる。お笑い芸人のちびシャトルさん(34)だ。アレルギーの度合いは、成人男性の平均の約100倍というアレルギー数値と診断されるほど深刻だった。■物心つく前から始まったアレルギー症状

 ツヤツヤな黒髪のマッシュルームヘアに、顔の半分を占めるほど大きな虹色に光るゴーグルを装着。全身赤色のタイツに身を包んだ男性お笑い芸人は、舞台の上でひときわ目を引く。その装いゆえに表情は読み取りにくい。

 「ライブに立つと緊張や興奮、劇場の熱気で肌がかゆくなってきて、そのうち真っ赤に腫れ上がってしまうんです。その状況をお客様に見せると心配をかけてしまう。だから極力肌を見せないようにするために、この格好をしています」とちびシャトルさん。 ちびシャトルさんは30年以上もの間、アトピー性皮膚炎をはじめとするさまざまなアレルギーに悩まされてきた。

 「今でこそ、肌がほぼ人並みのなめらかな肌に戻った」というが、かつては全身が赤く腫れ、かぶれていた。

 サメ肌のようになっているところもあり、カサカサと皮膚が剥けた箇所もあった。割れている箇所からは血がにじみ、まばたきをするのも、腕の関節を曲げ伸ばしするのもつらいほどだった。 「関節を曲げないよう歩いていたら、おおらかで楽観的な家族に、“歩く姿がロボコップみたいだな”って笑われたこともあります」と、お笑い芸人らしくネタにする。■パジャマもシーツも血まみれの日々

 ちびシャトルさんの記憶にある最初のアレルギー反応は、幼稚園の頃だった。

 「節分行事のときに落花生を食べて、嘔吐してしまったんです。あとでマメ科やナッツ類にアレルギー反応を起こす体質だとわかりました」 ちびシャトルさんが母から聞いたところによると、物心がつく前からアレルギーと思われる症状が出ていたという。異常なほどのかゆみで、1日中掻きむしりが止まらない。服もパジャマもシーツも血まみれになった。

 「寝ている間は無意識にかいてしまうから、自分の腕をベッドにロープで縛り付けようと考えたんです。両親に毎日縄の締めほどきを補助してもらっていました」と話す仰天ぶり。

 かゆみのため快眠できる日はなく、常に寝不足だった。 中学1年生のときに初めて大学病院へ。検査を受けたところ、極度のアレルギー体質であることが発覚した。一般成人男性の平均IgE値(アレルギー数値)が170とされるところ、ちびシャトルさんはなんと“1万5000”。約100倍だった。

 「医師に『こんな数値は今まで見たことがない。参考資料に使わせてください』と言われるほど」とちびシャトルさん。医師も驚くほどの数値だったが、結局、アレルギーの原因(アレルゲン)はこの日、特定されることはなかった。

 受診したのは、2002年のこと。 当時は、アトピーで荒れた皮膚への薬はあったが、今のようにアレルゲンを特定し“根本から治す”という方法は確立されていなかった。それゆえ、巷ではさまざまな民間療法が話題になっていた。 ご多分に漏れず、ちびシャトルさんもいろいろな民間療法を試していったという。

 「母親が“あれがいいよ”と聞けば情報を調べ、またある日、“これがいいよ”と聞けば調べている。ずっとそんなことをくり返していました。藁にもすがる思いだったんですよね」

■「見た目」を何か言う人はいなかった 中学生ともなれば思春期。オシャレに目覚め、容姿を気にする年頃だ。 だが、その頃のちびシャトルさんといえば、アトピーのため全身あちこち皮膚は割れて血がにじみ、かきむしった頭皮がただれて、リンパ液の透明な汁がたれてくる、かきむしった影響から眉毛も薄くなっていた。

 「自分でもひどいなぁって思います。でも、周りの友人は本当におおらかで、見た目について何か言う人はいなかったんですよね」

 ちびシャトルさん自身も、たとえ肌がボロボロでも、かゆみや痛みが止まらなくても、“もう嫌だ”とは思っていなかったそう。「ただ、もし生まれ変わることができるなら“肌だけは、丸ごと全部取り替えたい”とは願い続けていましたけれどね」。 そんな日々の中で楽しみとなっていたのが、「お笑いを見ること」だった。テレビに出ているお笑い芸人のコントを見てガハガハと笑う。その一瞬はかゆみを忘れることができた。

 やがて、自身がお笑いに救ってもらったように、だれかに“笑い”を届けたいと思うようになる。高校卒業後に一度だけ就職するものの、夢をあきらめられず、親を説得し、故郷の長崎を離れ、大阪にあるお笑いの養成所に入った。

 生活のためにアルバイトも始めた。アトピーの症状は変わらず、皮膚のかゆみや痛みと格闘しながら、アルバイトを続けた。そんなある日、バイト先の飲食店で店長から呼ばれる。 「行ってみると店長は申し訳なさそうに、『顔の荒れ具合が酷すぎて……。飲食業は衛生面に繊細だから、あまり向いていないかもしれない』と指摘をされたんです」

 そこで初めてちびシャトルさんは、「そうか。肌の状態は仕事にも影響を及ぼすんだ」と気づく。と同時に、いかに故郷の友人たちはおおらかだったのか、そのありがたさをかみしめた瞬間だった。

 芸人への道も、そのためのバイトもあきらめなかった。 「夢を追うなんてことは、健康体の人がやるぜいたくなものなのか。健康じゃないと夢を追ってはいけないのか。いや、あきらめたくない。好きなことをやりたい!」 だが、かゆみや肌のかぶれや荒れは、お笑いライブにも影響をおよぼした。それは冒頭で紹介したとおりだ。

 とはいえ、いつまでもこの状況は苦しい。ライブに出たい、1年中体調に左右されずに活動をしたい――。都内にあるアレルギー専門医のもとに駆け込んだことが転機となった。

■「そりゃ、しんどいわ」と妙に納得 「この頃にはアレルギー症状を細かく分析する検査があって、それを受けてみたら、食べ物やハウスダスト、動物の毛など、あらゆるものにアレルギー反応があることがわかりました。『そりゃ、しんどいわけだよ』と、妙に納得しましたね」 医師からは「血液検査で調べていなくても、食べたり触れたりして反応があったら、それはアレルゲンだと思ったほうがいい」と助言を受ける。

 「本当はやってはいけないのだけど」と前置きしたうえ、ちびシャトルさんは自分でいろんなものを食べてみたり、触れてみたりして、どんなものにアレルギー反応が出るのか“実験”してみたという。

 くり返していくうちに、次々とアレルゲンが判明していく。その結果、安全に食べられるものとして残ったのは、米と鶏肉とグミだけだった。 「“ああ、これもアレルゲンだったんだ” と食べるたびにがっかりしてしまうわけです。それで、まともに食べられるものは3つ? って……。ね、笑っちゃうでしょう。このときのことを“食生活おしまい時期“と名づけたんですよ」とまじめ顔で言う。

 “実験”中、最も除去に苦労したアレルゲンは「小麦」だった。「小麦って、結構多くの調味料に入っているんです。しょうゆとか。知っていましたか?  意外ですよね」

 スーパーをかけ回って、小麦を使っていない米じょうゆを探し出し、使い始めた。 一方、食べられなくて一番つらかったのは「納豆」だった。 「芸人ってお金がないわけですよ。納豆とかうどんとかって、貧乏人のソウルフードじゃないですか。でも、それが食べられない自分。“お金がないのに、節約もさせてくんないのかっ!”って逆ギレしたくもなりますよね」■初めて知った「かゆみのない世界」

 “実験”をくり返したことで、アレルゲンを避ける生活が徐々に定着していったちびシャトルさん。すると、あれほどひどかったアレルギー値は5000まで減少。3年前には、ほぼ症状が落ち着いた。

 「うれしかったのは、夜中にかゆみで起きることがなくなったこと。“みんなはこんなに快適な毎日を過ごしていたんだね“と新鮮な気持ちなんです」と、新たな発見に声色も軽い。 「今、自分の体がかゆくないことが不思議なんです。かゆいのが日常だったから、“かゆくない”という感覚がどういうことなのかがわからなったんですよね。だから今、自分の感覚をゼロから作り直している最中なんです」

 最後にアレルギー専門医に診てもらったのは、取材時の1カ月ほど前。

 「今は半年に1度ぐらい診てもらっていますが、それまでは毎月行っていました。頭から足の先まで塗りたくる薬と保湿剤を毎回、袋にパンパンに詰まるくらいの量をもらっていました」 今でもアレルギーが完治したわけではない。アレルゲンを避ける、摂取量を抑えるなどセルフケアは必要だ。■現実を遮断したくなったら…

 ひとしきりお笑いライブのように人生をふり返ってくれた、ちびシャトルさん。最後にポツリ「生きてくのがもう限界、と思うことも数回ありましたね」と漏らした。

 「明日起きたらもう消えていたい」「明日が来なければいいのに」と、目の前の現実を遮断したくなりそうなときにこそ救われていたのは、日々の小さな幸せだったという。 「“明日も近所の猫に会いたいな”とか、“この好きな食べ物いつか食べてみたいな”とか、想像する。こうやって楽しみを自分で作る。すると“もう少しだけ頑張ろう”、“明日1日過ごしてみたら、気持ちが変わるかもしれない”と思えるんです」

 日々の楽しみは、マイナスな気持ちや行動の増幅を引き止めてくれる。

 「脳内がすべて“それ”になってしまうから、症状のことばかり考えない。カラ元気でもいいからバカみたいに笑う。こうした自分の心身をケアする“心の保ち方”を持つようにしています」 これまで誰か・何かの元気に引っ張られて、自分も元気になれていた。だから、自分もお笑いを通じて “誰かを引っ張る存在”でありたい――。

 アレルギーの数々で悩んでいるときに身にまとったゴーグルや全身タイツ。身を守るモノだったそれらが、人を笑わせるモノへと変わる。アレルギーを克服した、ちびシャトルさんのこれからの活躍に注目したい。

永見 薫 :ライター

最終更新:2/6(金) 9:12

東洋経済オンライン

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