アントワープで名画との出会い、そしてハプニング 宇賀なつみがつづる旅 (80)
フリーアナウンサーの宇賀なつみさんは、じつは旅が大好き。見知らぬ街に身を置いて、移ろう心をありのままにつづる連載「わたしには旅をさせよ」をお届けします。今回はベルギー・アントワープへ。日本のアニメでも有名な名画に圧倒され、気の置けない友人との食事を楽しみ、そして多少のハプニングも。
ヨーロッパでは、すぐに国境を越えることができる。 アムステルダムに2日滞在した後、ベルギーに行ってみることにした。 ユーロスターに1時間半ほど揺られて、
世界で最も美しいと言われるアントワープ中央駅に到着した。
まるで大聖堂のような豪華な駅舎。 ガラス製のファサードを通して取り込まれた光が、
空間全体を明るく照らしていて、歓迎されているように感じる。
しばらく駅を歩き回った後、大きなトランクを押して街を歩いた。 最近は、世界中どこに行っても同じような店が並んでいるけれど、 ここでは、聞いたことのない名前の店が目立っていた。 その中のひとつの扉を開けると、フランス語で挨拶(あいさつ)をされた。 カラフルで遊び心のあるデザインが楽しく、 肌触りが良くて、比較的手が届きやすい価格帯。
あれもこれもと試しているうちに、すっかり気に入ってしまった。
続けていくつか店に入ってみると、どこも個性的な商品ばかり。 そんなつもりじゃなかったのに、 気がつくと、たくさんの紙袋を下げていた。 後から知ったことだが、アントワープには服飾の世界的な名門校があり、
ファッションの聖地として知られているらしい。
ホテルに荷物を預けると、ちょうどお昼時。 身軽になって再び街へ出ると、賑(にぎ)わっている店を見つけた。 そこは、ベルギー名物のフリッツ専門店。 列に並んで注文し、しばらく待っていると、 山盛りのポテトが運ばれてきた。 牛脂で2度揚げされたポテトは、外がカリカリで中はふっくら。 たっぷりかかったチリコンカンソースとよく合って、 口に運ぶ手が止まらない。
間違いなく、これまで食べた中で最高のフライドポテトだった。
おなかが満たされたところで、中心部にある聖母大聖堂に向かった。 高さのある鐘楼が目立つ、ゴシック様式の大聖堂。 日本人にとってはアニメ『フランダースの犬』の結末の舞台となったことで有名だ。 厳かな空間の正面に、主祭壇がある。
何百年もの間、人々の心の拠(よ)り所であり続けた重みを感じる。
建築やステンドグラスももちろん素晴らしいけれど、 ある絵画の前で、しばらく動けなくなってしまった。 ルーベンス作「キリストの昇架」。 悲痛な場面であるはずなのに、 力強く描かれた肉体が美しく、目が離せない。
ガラス越しではないので、直接伝わってくる躍動感があった。
「マリアさま、(中略)これだけでもう僕はなんにもいりません」 「パトラッシュ、疲れたろう、僕も疲れたんだ」
なんて悲しいエンディングなのだろうと、怒りを覚えたこともある。 でも実際に、主人公ネロがずっと見たかったという絵画を前にすると、
この台詞(せりふ)に納得してしまう自分がいた。
夜には、アントワープに住んでいる大学の同級生と、 再会することになっていた。 待ち合わせのシーフードレストランで目が合った瞬間、あの頃に戻った。 10年ぶりだというのに何の違和感もない。 積もる話もたくさんあるはずなのに、もう全てを知っているような気分になる。 異国の地での苦労を面白おかしく話す彼女は逞(たくま)しく、キラキラ輝いていた。 そこから、一度バーに寄って家にお邪魔し、ご家族や友人たちも集まって大宴会。
ホテルに戻ったのは深夜3時過ぎだった。
目が覚めた時に、嫌な予感がした。 時計を見ると、10時を過ぎている。 予約していた列車を、乗り過ごしてしまった。 やってしまった…。 一瞬反省しそうになって、慌ててやめる。 それだけ楽しかったのだから、仕方ない。 フロントに電話をして、レイトチェックアウトに変更し、
もうしばらくゆっくりすることにした。
ソファの上には、紙袋が並んでいる。 もう少ししたら、全てトランクに詰めなければいけない。 その前に、シャワーを浴びて、コーヒーを飲みに行こう。
さて、今日はどんな1日になるだろうか。