E判定から通信教育も活用して一橋大合格、中野なかるてぃんさんは「『無理』にあらがう」 私の受験時代

ユニークなポーズを決める中野なかるてぃんさん(酒巻俊介撮影)

お笑いコンビ「ナイチンゲールダンス」の中野なかるてぃんさん(31)は通塾なし、通信教育の活用で一橋大法学部に合格した。担任に「この成績では無理」と言われ、模試が「E判定」でも、奮起して間違った問題を分析して何度も解き直し、合格をつかみ取った。

中学も高校も山梨県の公立です。中学では成績上位でしたが、(進学校の)県立高校で勉強が難しいと感じて気落ちしました。1年生の頃はテスト結果もふるわなくて。担任の数学の先生との面談で、かっこいい名前だと思った一橋大を志望校に挙げたら「この成績では無理」なんて言われました。入学間もないのに、なぜ無理と言い切れるんだよと思いながら、成績を上げようと決意しました。

1、2年生のうちは、部活動のサッカーに打ち込みながら、学校の授業をよく聞いたり、課題を毎日こなしたり、英語の単語帳を基に毎週行われる小テストの勉強に励んだりしました。

模試では「無理」の言葉にあらがうように志望欄に「一橋大」と書き続けました。2年生のときは、たしかDやE判定。それでもめげずに間違えた問題を見直しました。まだ習っていない範囲の出題もあり、不正解は当たり前。それをすでに習った人たちも受けている模試なのだから、これは「本当のE判定ではない可能性がある」と自分に言い聞かせました。

楽しそうに撮影に応じる中野なかるてぃんさん(酒巻俊介撮影) 「こんなポーズはどうですか」と提案する中野なかるてぃんさん(酒巻俊介撮影)

父に「弁護士になる」

3年生で高校の履修範囲のすべてを習い終えた頃から高校の進路指導室に置いてあった過去の大学入試の問題に本格的に取り組むようになりました。部活動は3年で引退。平日は大学入試センター試験(現・大学入学共通テスト)の過去問をやり、土日は一橋大の2次試験の問題に没頭。一橋大の過去問は15年分ほどやり、私大の過去問も試験の流れを把握するために数年分に着手。分からないところがあるたびに高校の先生に聞きにいき、なかでも「一橋大は無理」と言った数学の先生によく質問しました。塾に通っていなかったから高校の先生が頼りでした。

小学1年生から続けていたのに、部活動が忙しくなってやめていた通信教育の「進研ゼミ」を部活動引退後に再開。一橋大を目指す受験生向けの問題も活用し、間違えた問題を何度もやり直して解き方に慣れるようにしました。

文系の大学に進みたいと思いましたが、僕の家系は7代続けて医者。父に「医者にならず弁護士になる」と伝えたら怒られるかと思いましたが、父は「自分のレールを進めてえらいな」とほめてくれました。

センター試験の英語の自己採点は満点でした。私立大はセンター利用入試方式で早稲田大と中央大の法学部に合格。一般入試で上智大に受かり、慶応大は補欠合格でした。

自分に「グッドラック」

一橋大の2次試験の前日、住んでいた山梨から特急あずさに母と乗り、東京に向かいました。持参したのは問題を解いたノートや参考書など数十冊を入れたキャスター付きのスーツケース。夜、都内のホテルでノートなどを並べ、こんなに解いたと思ったら自信につながりました。ここまでやった自分に「グッドラック」と伝え、試験もリラックスして挑めました。

受験で実感したのは、合格や不合格という結果よりも、頑張る経験をしたのが大事ということです。

一橋大ではお笑いサークルに所属。在学中に「お笑い芸人になります」と父に伝えたら「そんなところにレールはない」と言われましたが、当初は反対していた父もテレビに出る僕の姿を見て応援してくれるようになりました。

今は、漫才日本一決定戦「M-1グランプリ」で力を発揮するために努力しています。毎日、少しでも漫才のアイデアを考えたり、ライブに出演したり。漫才を仕上げるときも勉強のようにコツコツと取り組んでいます。目標に向けて、がむしゃらに頑張れる状態にいられるのはすごくラッキー。そんなふうに今も思うのはきっと受験したおかげなのでしょう。(竹中文)

モットーを書いた色紙を持つ中野なかるてぃんさん(酒巻俊介撮影)

中野なかるてぃん

平成6年生まれ。山梨県出身。一橋大在学中にNSC(吉本総合芸能学院)に入学。相方ヤスと結成した「ナイチンゲールダンス」は令和5年「ツギクル芸人グランプリ」王者に。ストーリー写真集『君とナイチンゲールダンス-もしも出会っていなかったなら-』を昨年発売した。

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