共演者たちが振り返る《中山美穂さんと過ごした時間》 清水宏次朗「シャイで大人しくて繊細な女性でした」、ダンプ松本「私の肩で泣いていた」
1985年の日本レコード大賞で中山美穂さん(左)の肩を抱くダンプ松本
昨年12月に亡くなった中山美穂さん(享年54)のお別れの会が4月22日に開かれ、その早すぎる死を日本中が悼んだ。1985年に俳優デビュー、同年6月に歌手デビューすると、またたくまに社会現象となった中山美穂さんと過ごした時間を、ゆかりのある人たちが振り返る。
清水宏次朗(俳優) 『ビー・バップ』の不良を本気で怖がっていた
初めて会った時、美穂は15歳だった。5歳くらい年下で、妹のような存在だったよ。
映画『ビー・バップ・ハイスクール』(第1作1985年公開、第2作1986年公開)の撮影で憶えているのは、美穂が本当に怖がっていたこと(笑)。キャストは一般公募でリアルな街の不良を集めていたから、現場のあちこちでリアルな喧嘩が起こるんだよ。美穂に「怖いんだけど……」と何度も相談されたな。
演技になると役に没頭して、仕事が終わると会話もしない。シャイで大人しくて繊細な女性でした。30代か40代で久しぶりに再会した時、「年齢を重ねて、いい女になったな」と思ったんだけどね。早すぎるよ。
福住朗(キングレコード・元ディレクター) 深夜のレコーディングでも妥協しなかった
美穂さんとの契約は、会社で猛反対されました。無口で、アピールしない人でしたからね。
でも、オーディションで中森明菜の『スローモーション』を歌った時、天性の表現力を感じました。それにこの世界で生き抜く覚悟があった。深夜のレコーディングで、私がもう大丈夫と思っても、彼女は「ここを直したい」と妥協しなかった。
将来を見据えて詞の宿題を出していたのですが、職業作家とは一味違う独自性があった。『世界中の誰よりきっと』では、クリスマスのイルミネーションを「まぶしい季節」と表現した。歌もドラマも映画も大ヒットさせた。もうこんな人は出てこないと思います。
ダンプ松本(女子プロレスラー) 私の肩で泣いていたことを思い出します
「極悪同盟」としてドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系 1985年)で初共演した時から、美穂ちゃんとは仲が良かったですね。いつも私の控室に遊びにきてくれて楽しかったな。かくれんぼが大好きで、無邪気で可愛かった。
レコード大賞最優秀新人賞を獲った時はブル(中野)ちゃんと駆け付けたんだけど、私の肩で泣いていたのを思い出します。
忙しいのに私のレコーディングに来てくれたり、ドラマ撮影終了日に手紙をくれたりと優しかった美穂ちゃん。また会いたいよ。
取材・文/上田千春、岡野誠
※週刊ポスト2025年5月9・16日号