「私の考えは間違いだった」 保釈のあり方問う元エリート判事の告白
「あなたの取材をきっかけに書いたのでお送りします」
司法の保守本流を歩んだ元刑事裁判官から丁寧な文面の手紙が私(記者)の元に届いた。保釈のあり方に関する論文が同封されていた。
「判で押したように、憲法との関係で疑問のある定型的な処理が行われている」。そこには古巣と過去の自分を厳しく批判する内容が書かれていた。
真意はどこにあるのか。もう一度、元裁判官の元を訪ねた。【巽賢司】
<主な内容> ・大川原化工機事件がきっかけ ・論文で問うた「罪証隠滅の恐れ」
・保釈は裁判官の主戦場ではない?
「主流を歩んできた理論派」
研究室のドアを開けると、その人の姿はあった。
藤井敏明さん(68)。裁判官を40年間務めて2022年に退職し、現在は日大法科大学院で学生たちに刑事訴訟法を教えている。
経歴は華やかだ。最高裁判事を補佐する調査官や、裁判官らの研修・指導に当たる司法研修所の教官を務めた。いずれも裁判所内では「エリートコース」とされる。
現場の経験も豊富だ。05年に起きた栃木県日光市(旧今市市)の女児(当時7歳)殺害事件では、東京高裁裁判長として被告に無期懲役を言い渡した。
一方で、この裁判では1審で被告が自白する取り調べ段階の録音・録画の映像が法廷で長時間流されたが、こうした検察側の立証方法を問題視した。裁判員が直感的に「有罪」と判断しかねないためだ。
こうした経歴や実績から、裁判所の後輩たちからは「主流を歩んできた理論派」と評される。
大川原化工機の保釈問題がきっかけ
藤井さんへの1度目の取材は24年1月だった。化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)を巡る冤罪(えんざい)事件について尋ねた。
事件では、軍事転用可能な装置を不正輸出したとして社長ら3人が20年3月に外為法違反容疑で逮捕・起訴された。しかし、初公判直前の21年7月に「起訴内容に疑義が生じた」と東京地検が起訴を取り消した。
この間、裁判所は保釈請求をなかなか認めず、社長と元取締役は約11カ月間にわたり勾留された。元顧問の相嶋静夫さん(72歳で死去)は拘置所で胃がんが見つかったが、最後まで保釈が認められず、被告の立場のまま亡くなった。
大川原側が起こした国賠訴訟では、警視庁公安部の逮捕と検察の起訴の違法性が認められ、東京都と国に計約1億6200万円の賠償を命じる1審判決が23年12月に言い渡された(大川原側、国・都側の双方が控訴中)。
「無実の人が長期間勾留された事実は重い。保釈を長く認めなかった判断は適切だったのか。裁判所は問題点を検証すべきではないか」
私の質問に対し、藤井さんは最初の取材…