10月の沖縄訪問 (上)|辺野古ボート転覆事故遺族メモ
10月17日から19日まで、沖縄を訪問した。
事故から7か月。
辺野古への再訪も含め、沖縄を訪れることはずっと考えていた。現地に立ったとき、どんな感情が湧き上がるだろう。あの時のことを積極的に思い出すには、まだ勇気がいる。
空港に降り立ったときのこと。神妙な顔で私を待っていた教頭先生。中城海上保安部での知華との対面。知華が泊まったホテルの同じ部屋。キャンプ・シュワブでの献花。慌ただしい手続きの数々。最後の服を選んだこと。空港での見送り。
つらい記憶をたどる中で、心に引っかかっていることがあった。平和丸が出航した辺野古漁港の浜に、私はまだ行けていなかった。3月18日、キャンプ・シュワブを訪れた帰りに漁港へ寄ろうとしたが、人が多く、断念して引き返していた。いつか、訪れなければ。ずっとそう思っていた。
9月17日、知事選の数日後、古謝新知事側から、知華に直接冥福を祈りたいと、仏前へ訪問の打診をいただいた。とてもありがたく、すぐにでもお受けしたかった。ただ、選挙後まもない時期に遠方までお越しいただくのは申し訳なく、私たちが沖縄を訪問する際に、お申し出へのお礼とお願いしたいことをお伝えさせてください、と返したところ、快く受けていただいた。
10月は、知華の18回目の誕生月。訪れるなら、このタイミングだと思った。
今回の訪問で実現したいこと
・県へのお願いを伝えること・事実を確認すること
・お世話になった方々への挨拶
三つ目は、土日を含む3日間の訪問だったため、ご挨拶できた方が限られてしまった。再訪の際には、できる限り多くの方にお会いしたいと思っている。
10月17日(土) 1日目
朝の便で沖縄へ移動。
14:00 第11管区海上保安本部
7月12日に受理いただいた刑事告訴のその後の捜査状況について伺うため、海上保安本部を訪問した。急なお願い、しかも土曜日にもかかわらず、以前から窓口になっていただいている方と、上司の方が出迎えてくださった。
面談では、私たちに伝えられる範囲という前提で、現在までの捜査状況の説明を受けた。また、私たちからの質問にも、答えられる範囲で回答をいただいた。
内容をここに書くことは控えるが、熱量を持って捜査にあたっていることを感じ取れた。長い時間が必要な捜査であっても待てる。今回の面会でそう思えたことは良かったと思う。
16:30 古謝知事と面会
知事公室の方々に案内され、応接室の前まで向かうと、古謝知事が部屋の外で迎えてくださった。丁寧なお悔やみの言葉をいただいたあと、応接室へ入った。
実際に知事と向かい合って座ると、私は緊張してしまい、事前に用意していたことの半分も伝えられなかったように思う。知事になる前から、現場に足を運んでくださっており、面会当日の朝も現場で手を合わせてくださったことに感謝を述べた。
伝えたかったことの要旨は、次のとおり。
・県内で実施される修学旅行・教育旅行の安全の確保。海のプログラムや自然体験、引率の目が届きにくい民泊も含めて安全管理の実態を把握し、学校・旅行会社・受け入れ側が共有できる仕組みを整えてほしいこと。
・子どもたちを受け入れる体験活動の提供者(船、マリンレジャー、ガマの見学、自然体験、民泊など)が、必要な登録や許認可、保険、安全管理の体制を備えていることを、確認できる形にしてほしいこと。登録のない団体が子どもを船に乗せるようなことが、二度と起きないように。
・平和学習の講師やガイドの方々の選定や研修の基準が、いまどうなっているのかを伺いたいこと。見解の分かれる事柄の扱いによりどころが示されることは、規制ではなく、現場の方々が安心して、自信を持って語れる支えになること。平和学習が、安全に、堂々と続いていくための土台になること。
・事故の風化防止と、県との窓口の継続。そして、沖縄がこれからも修学旅行先として安心して選ばれ続けるために、私たち遺族にも手伝えることがあれば、力を尽くしたいこと。
あわせて、学校や旅行会社からだけでなく、沖縄を訪れた生徒たち自身の声が県に届く仕組みがあるといい、ということも伝えた。
県議会の開催中という多忙な時期に時間を割いてくださった古謝知事に、改めて感謝したい。
17:00 知事と並んで記者の方々の取材対応
記者会見では、古謝知事の冒頭のお話に続けるかたちで、私から今日の面会について話をした。
・ご就任の際、仏前に手を合わせたいと温かいお申し出をいただいていたが、まずは県政に専念いただきたいとお伝えし、時期を見て、こちらから伺ってお礼とお願いをお伝えしたい、と返していたこと。それが今回、実現したこと。
・県へのお願いは上に書いた通り。知事は一つ一つ丁寧に受け止めてくださった。これらが具体的なかたちになっていくように、私たちも、できる限りのことをしていく。
・沖縄の皆さまへ。事故を受けて沖縄に急行したとき、悲しみと憤りで混乱していた私たちの心に温かい手を差し出してくれたのは、沖縄の人たちだった。沖縄は、知華が最後にいた場所。全国の子どもたちが沖縄で学び、たくさんの思い出を持って、無事に家に帰る。その当たり前のことが確実に行われるよう、知事をはじめ、議会の方々、報道の方々、多くの方々の力を貸してほしい、とお願いした。
記者の方々からは答えづらい質問も来るだろうと覚悟していたが、実際には、これからの沖縄の在り方に関する前向きな質問が多かった。これまでの発信や取材を通して、私たちが経験してきたことや、これからへの願いが、沖縄のメディアの方々にもしっかり届いていたのかもしれない。もしそうであれば、とてもありがたいことだと思う。行政、報道の皆様と、一緒にスタート地点に立てたのだと、そう感じられたことが私にとっては本当に大きかった。
ただ、ここはまだスタート地点に過ぎない。大切なのは、ここからどうやって全容解明と再発防止を具体的な形にしていくか。周囲が前向きに受け止めてくださったことに安堵して、足を止めてはいけないと自分に言い聞かせている。
10月18日(日) 2日目
11:30 辺野古区長と面談
関係者の方々にご調整をいただき、以前からの願いの1つであった区長との面談が実現した。
区長にお伝えしたことは、主に次の二つだ。
・辺野古漁協の方々への感謝をお伝えいただきたいことマスコミ等に対する情報の提供や取材への対応、私たちへの温かいお申し出、また献花したお花の片付けなどでお手間をおかけしたことへの感謝をお伝えしたかった。
・辺野古に住んでいる方々へのお詫びをお伝えいただきたいこと私が情報発信をする際、「辺野古」を主語にして語ると、どうしても「辺野古」という地名の周りにネガティブな言葉が並んでしまう。そのことに対して、普段この地域で暮らしている方々が辛い思いをされているのではないかと感じていた。区長を通じて、そのお詫びを伝えていただければと思った。
区長からは、過去、そして現在の辺野古のこと、協議会との距離感、この事故に対する想いなど、苦悩を滲ませながら率直なお話をいただいた。
また、今後、関係する方々との面会などについて、様々なお力添えをいただけることになった。 日曜日にもかかわらずお時間をいただいたこと、心から感謝申し上げたい。
13:00 辺野古漁港の浜辺で
辺野古の漁港に移動した。辺野古を訪れることを前日にお伝えしたにもかかわらず、当日は多くの報道の方が来てくださった。献花の間、離れた場所から静かに見守ってくださったこと、ありがたく思った。
浜辺から花を手向け、知華が好きだったお菓子と飲み物を添えた。
3月18日の早朝、妻は、ここしかないというタイミングで一人辺野古を訪れ、移動される前の平和丸を見ながら知華に声をかけた。知華の魂は、あのとき妻と一緒に帰ってきていると、私たちは信じている。だから、知華の魂はもうここにはいない。
それでも。遅くなってごめんね、と。知華が最後に笑顔だったであろう場所、そして息を引き取った場所に向かって、祈りを捧げた。
そのあと、過去3回の辺野古コースで乗船場所となった場所まで、細い足場の防波堤の上を歩いてみた。
風に煽られる。足を踏み外せば、下は不安定な岩場。手や足のつき場所が悪ければ、骨折などの怪我もするだろう。山歩きに来たわけではない、運動に適さない靴やスカートの子、何の備えもない子どもたちを歩かせる場所ではない。事実、防波堤の下の岩場を歩いていた警察の方は、2度ほど片足が岩の間に落ちるほど足を滑らせていた。防波堤から岩場までの高さは、私でも飛び降りるのが怖いと感じた。
なぜ学校は、過去2回も、そして今年も、ここで疑問を持たなかったのか。その時の教員の気持ちを考えながら歩いたが、腑に落ちるものは何一つなかった。そして、ここを歩いている時の知華の顔、お友達からもらった動画に一瞬だけ映ったその顔を思い浮かべた。唇をキュッと結んだ見慣れない表情の奥で、何を思っていただろうか。防波堤から飛び降りる時は。船に乗り込む時は。いっそここで骨折でもしていれば。治る怪我でなくてもいい。生きてさえいてくれたら。
そう思いながら、花を捧げ、手を合わせた。
その後、防波堤の先まで歩き、転覆現場がここからでもまだ見えないことを確かめた。転覆場所を近くで見るには、船で海から近づくか、キャンプ・シュワブの中まで行くしかない。
今回は、キャンプ・シュワブの方からもご連絡をいただいていたが、時間の都合で伺うことがかなわなかった。3月18日に受け入れてくださったことへのお礼をお伝えし、次回の訪問の際に、改めてお願いさせていただくこととした。
乗船場所にて(下)に続きます。この日の午後、ヘリ基地反対協議会と初めて向き合いました。