旅先で亡くなったら 遺体の国際搬送を手がけて35年、オランダ・スキポール空港のコーディネーター
オランダ・スキポール空港のスキポール遺体安置所(MOS)に勤務する35年の経験を持つベン・フォスさん/Blane Bachelor
アムステルダム(CNN) 9月初めのある月曜日、午前5時にベン・フォスさんの電話が鳴った。オランダの首都アムステルダム郊外にあるスキポール空港の管制室からだ。アジアからの便の乗客が、機内で亡くなったという。
こうして、毎年何百回も繰り返される仕事がまた始まった。フォスさんは外国や機内で亡くなった人々のケアを担当するコーディネーター。勤務先の「スキポール遺体安置所(MOS)」という会社は、空港の一般エリアに隣接している。
午前6時に便が到着して乗客が降りると、フォスさんは国境警備を担当するオランダ王立保安隊の係員とともに機内へ入る。同行する検視官が暫定的な死因を「心臓発作」と判断した後、フォスさんと係員は遺体を収納袋に入れて、後部の非常口から運び出す。人目につかないようにそのまま専用の車に運び、滑走路側のドアから安置所に搬入する。
亡くなった人のプライバシーをできるだけ守り、最大限の敬意を表することは、フォスさんの任務の重要な一部。身内の死を悼み、予期せぬ出来事に圧倒されている遺族への支援もまた、大切な仕事だ。
フォスさんと部下3人のチームは、業界用語でRMR(遺体搬送)と呼ばれるこのプロセスに対処するために、専門的な訓練を受けている。空港の各部門は「どこまでもカバー」しているが、フォスさんたちも例外ではない。
世界初のサービス
空港に遺体の安置所や保冷庫があることは珍しくないが、死後のケアに特化した総合サービスを提供する施設はあまりない。MOSは1997年、その1番手としてスキポール空港に開業した。スキポールは現在、欧州で2番目に利用者が多い空港だ。
2017年に移転した現在の施設は、一部の出発ゲートから有刺鉄線のフェンスを隔てた向こう側、空港に直結するホテル「シチズンM」の側にある。ホテルでは時々、スーツケースを引いた客が大文字で書かれた看板に気づき、建物をもっとよく見ようと立ち止まっている。
正面の外観は控えめだが、約900平方メートルの内部にはエンバーミング(遺体の衛生保全)処置室や保冷庫、埋葬前に遺体を洗浄する儀式のための専用エリア、丸い天窓がある対面室など、葬儀場としてのあらゆる設備がそろっている。小さな吹き抜けには、1本の木が空へ向かって伸びている。
待合スペースは壁沿いにソファが並び、丸テーブルと椅子が何組か置いてある。テーブルの上には水差しとともに、季節ごとのアートフラワーが飾られている。
遺族に心安らぐ空間を提供するニュートラルなデザインの一方で、建物の機能は遺体搬送の複雑な過程に対応できるよう設計されている。滑走路側に設けたドアを使えば、機内からわずか数百メートルの移動で、保安検査を通らずに遺体を運び込むことができる。保冷庫は36体を収容でき、温度は約4度に保たれている。空港の危機対応計画では収容数を400体まで拡大できることになっている。
国際葬儀連盟(FIAT-IFTA)のエマーソン・デ・ルーカ事務局長は「遺体が腐敗する可能性を下げることが第一だ」と説明し、MOSは故人の尊厳や遺族への敬意という面で「非常に良い」施設だと評価した。
フォスさんたちのチームは遺体搬送にともなう必要書類や手続きの厳しいルールにも巧みに対処し、他国からの遺体を受け入れたり、国内で亡くなった人を送り出したりしている。医師や航空会社、空港スタッフ、監察医、大使館などの政府機関と連携して、死亡証明書や税関申告書を用意する。MOSに火葬の設備はないが、対応する業者に遺族を紹介することはできる。
ここは24時間営業で、常に2人以上の従業員が常駐している。フォスさんにとっては、どんな時でも電話に出るのが普通のことだ。「年中無休だ」「止まることはない」と話す。
外国で亡くなる人が多い季節は
MOSは同系列のもう一社と連携して、年間約2500件の遺体搬送を手がける。この中には外国で亡くなったオランダ人の遺体を国内に搬送するケース、オランダで亡くなった外国人の遺体を出身国などへ送り出すケースが含まれる。
世界全体のデータは見当たらないが、外国で死亡するオランダ人旅行者の数は近年、かなり増加している。オランダ外務省が昨年、領事業務として支援した外国での死亡例は1275件に上った。この数字は支援の要請があった例に限られるため、実際の件数はもっと多いとみられる。
フォスさんは長い年月の間に、いくつかの微妙なパターンがあることに気づいた。例えば冬は「とても忙しい」という。スキーに出かける旅行者や、温暖な国で冬を過ごす高齢者が多いからだ。「多くのオランダ人がスペインやポルトガルを訪れるが、そういうお年寄りが旅先で亡くなってしまう」と、フォスさんは話す。
冒頭の例のように、MOSは機内で亡くなった人のケアも手がける。
フォスさんたちのチームは死者を弔うさまざまな儀式や慣習に精通している。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖職者やスキポール空港の臨床宗教師と連携し、世界各地の文化に応じて遺族を支援する。一部の信仰に合わせ、待合スペースは葬儀の間、天井からつったカーテンで男女を分けられるようにしてある。
フォスさんは特に強く印象に残っている儀式として、旧オランダ領の南米スリナムから訪れていた人々の葬儀を挙げる。アフリカ系スリナム人の伝統に従って、国内のボランティア団体が遺体を洗浄し、遺族や友人らが音楽や献酒で供養する。
フォンさんは「トランペットやドラムの楽団が演奏して、参加者は歌ったり泣いたりしながら笑い、酒を飲む。午前10時ごろに集まって4~5時間は続くだろうか」と説明。故人の人生を祝福し、死に敬意を払う姿は「見ていていいものだと思う」と語った。
亜鉛張りの棺から死後の「パスポート」まで
国境を越えた遺体搬送をつかさどる国際法は存在しないが、各航空会社のルールや業界の基準、亡くなった国や搬送先の衛生法規などがすべてかかわってくる。1937年には遺体の搬送に関する初の国際的な取り決め、通称「ベルリン協定」が結ばれた。
ベルリン協定では、故人の名前や死因などが記載され、死後の「パスポート」とも呼ばれる遺体通行証が導入された。棺(ひつぎ)についても材質の厚さや防水性、密閉性の基準が定められた。73年には欧州評議会が同協定を簡素化し、これが「ストラスブール条約」として成立した。
遺体通行証など一部の手続きは今も運用されているが、現在の航空業界は国際航空運送協会(IATA)の示す手順や指針に従っている。その代表例が2019年に発表された「コンパッショネート輸送マニュアル」だ。
マニュアルはFIAT-IFTAなど葬儀業界団体の協力を得て作成され、167ドル(約2万6000円)で販売されている。遺体搬送に求められる国ごとの条件や手順が具体的に記され、毎年更新される。多くの国が定める通り、IATAの指針では遺体を密閉した袋に入れることになっている。過去には、亜鉛で内張りした重くて高価な棺がよく使われていた。
MOSは棺も提供する。奥の部屋にはポプラ材や合板のシンプルな棺が十数基、壁に立てかけてあった。運び込まれる棺については、MOSの従業員全員が航空貨物の保安管理資格を持ち、遺体以外に密輸品などが入っていないか確認する検査を実施できる。
遺体を送り出す前に書類を確認し、フォスさんかほかのメンバーが棺を封印する。空輸する場合は従業員が棺を黒いラップフィルムで包む。棺を保護し、貨物室への積み下ろしでなるべく目立たないようにするためだ。
旅行保険の大切さ
遺体搬送はお金がかかる。費用には幅があるが、FIAT-IFTAのデ・ルーカ氏によれば一般に5000~1万ユーロ(約90万~180万円)とされる。
主要な旅行保険会社は通常、遺体搬送の費用もカバーしているが、念のために補償内容の細かい文字を確認しておくのがいい。医療搬送に含まれる場合もあるが、遺体搬送を個別に扱っている場合もある。
業界の専門家は、旅行者が保険に加入する際、既往歴を正確に申告することも重要だと指摘する。基礎疾患を申告していなかったために保険金請求が却下されるという不運なケースもあるという。
当然のことながら、フォスさんは仕事柄、旅行前に保険に入ることを常に強く勧めている。
時には難しい局面も
フォスさんたちの仕事は同じようなパターンが繰り返される日も多いが、時には例外的なことも起きる。そのひとつが、難民認定の申請中に亡くなった人の遺体搬送だ。故人がパスポートなどの身分証明書を持っていなかったり、出身国の政府が非常に抑圧的だったりすることもある。
フォスさんによると、ロシアへの搬送はたいてい、大使館の承認を得たり書類を作成したりする過程が複雑で費用も高く、他国に比べてずっと長い時間を要する。さらに現在、ロシア領空の飛行が制限されているため、通常なら2~3日で済むプロセスに10~12日かかることもある。
「すべての書類をロシア語に翻訳するよう求められ、それにも高額の費用がかかる」と、フォスさんは説明する。「大使館で600ユーロ、翻訳に400ユーロ。書類手続きだけで1000ユーロかかることになる」
あるいは、殺人や犯罪が疑われるケースもある。MOSには法医学捜査官だけが使える解剖室も用意されている。記者たちが事件の手がかりを求めて押しかけることもある。フォス氏によれば、最近オランダ人が外国で死亡し、大きな注目を集めた事件では「入り口に200人が殺到した」という。
こういう状況では、記者たちを退去させるために、フォスさんが王立保安隊に連絡する。「電話をかければ2分で出動してくれる」という。
フォスさんは1990年に葬儀業界に入ってから、さまざまな経験を積んできた。当初はオーダーメイドのバスルームに特化した会社を経営していたが、この会社を売却し、パートタイムで結婚式や葬儀の運転手を務めた後、MOSに入社。それから35年間で現在の地位を築いてきた。
この間に一番うれしかったのは、多くの人にとって人生で最もつらい瞬間の厳しさを、自身や部下たちの手助けで少し軽減できたという手ごたえだった。
「亡くなった人や遺族との仕事を終えた時、そう思えると大きなやりがいを感じる」「すべてが滞りなく済んだ時には満足感が得られる」と、フォスさんは語った。