梅田サイファー:「死ねなくて情けなかった」非行・自殺未遂・引きこもり…KZが明かす痛みの青春 : 読売新聞
人気ラップグループ「梅田サイファー」の“心臓”と称されるラッパー・KZ。彼には、引きこもり、自殺未遂、保護観察と出口を求めてもがいた時期がある。「死ねなかったのが情けなかった」という彼が歌い続ける理由とは。(デジタル編集部 古和康行、敬称略)
梅田サイファーのラッパー、KZ「誰かの役に立つのなら」
「初めまして」
小雨が降る大阪。少し肌寒かったのに、彼は半そでのTシャツ姿で現れた。宮城でのライブを終え、伊丹空港から大阪に戻ったばかりだという。彼が所属する梅田サイファーは、世界的ヒット曲を飛ばした「Creepy Nuts」のMC、R-指定も籍を置くラップグループ。人気アニメの主題歌やプロサッカーチームの公式テーマソングも手掛け、日本のヒップホップシーンをリードしてきた。37歳のKZは「初期メンバー」の一人として仲間をつなぐ要となっている。グループの”心臓”とも呼ばれる。
インタビュー現場に現れたKZ。NOONは「いつもライブをしている場所」という指定された取材場所は「ライブをよくやっている」というクラブに併設されたカフェだった。「きょうは取材」と店員と、店長と親しげに話す。そこにいる誰もが彼の友達のようにも見えた。
KZを取材しようと思ったのは、彼が有名なラッパーだからではない。彼自身が、過酷な青少年期を経て、今を生きているからだ。取材を依頼したところ、「自分の人生が誰かの役に立つのなら」とインタビューを受けてくれた。コーヒーを飲んで、一息入れる。そして、語り出す。自分が死のうと思ったときのことを。
自由にできるのは「自分の命」
KZの両親は幼い頃に離婚していて、大阪府内の母方の祖母の家で育った。シングルマザーの母は、教育熱心で「どうしても入れたい私立中学」があったという。経済的に豊かではなかったが、小学校入学間もない頃から、塾通いが始まった。友達と遊びたかったが、母には打ち明けることすらできなかった。「何を言っても母親には勝てないような気がした。存在が怖かった」から。
成績は良く、「母が入れたい私立中学」は「普通に受験していれば受かっていた」。だが、受験当日、「やりたいことができなかった 復讐(ふくしゅう) 心なのか、反抗心からなのか……。テストを白紙で出したんです」。当然、結果は不合格。中学進学を機に、祖母の家から引っ越して、母と2人暮らしになった。
スタジオで梅田サイファーのメンバー・Cosaqu(左)と談笑するKZ中学には「やんちゃな友達」が多かった。髪の毛を染め、周囲から見れば非行少年だったが、彼にとっては初めての友達と遊ぶ経験だった。14歳で「やんちゃ」では済まされない事件が起きた。
けんかした相手を川に蹴り落した。後から聞かされた話では、落ちた先は排水溝の近くだったという。本人は「殺すつもりはなかった」が、一歩間違えれば、相手の命を奪いかねない危険な行為。傷害の容疑で警察に捕まり、さらに原付バイクを盗んだことも明らかにされた。「それまで危機感がなかったんです。警察に捕まっても『たばこを捨てろ』とか『ここに名前を書け』とか。でも、この時は違った」「留置所に行って、家庭裁判所に行きました。結果的には、保護観察処分になったんですけれど、こんなことを繰り返してはいけないって思った。ビビったんだと思います」
そこから、友達と悪さをすることが怖くなった。友情は「しがらみ」へと変わっていった。「家にこもればいい」と考え、自宅に引きこもるようになり、本を読み漁った。
カフカ、ヘミングウェイ、北方謙三……。本の中の世界だけが自由だった。でも、一人暮らしもできず、地元からは逃げられなかった。何も自分のことを決められない生活の中で、唯一、自分が決められるものがあるとしたら、自分の命だ。だから、死のうと思った。
その日のことを、KZはよく覚えている。
インタビューに応じたKZどこから飛び降りようと思ったのですか?
――「中学3年生の1学期のときだった。場所は14階建てのマンションの屋上でした」
天気は? 何が見えました?
――「暗かったんで覚えていません。でも、寒かったですね。夜景がきれいだった」
どんな気持ちだったのですか?
――「スタ、スタ、トンで飛び降りるつもりだった。潔くて、かっこいいじゃないですか」「でも、それすらできなくて。死ななくてよかった、というより、死ぬことすらできないことの方が情けなかった」
結局、死ねなかった。「潔く死ねたら、かっこいい」という「理想」はあっけなく散った。 安堵(あんど) 感に情けなさが勝った。
ネットの掲示板でラップ、そして梅田サイファーが始まる
「死ねないのだったら、生きるしかない」
中学卒業後は、近くの工場でライン作業の職に就いたが、すぐ退職した。引きこもり生活の習慣からか「就職して3、4日後。起きたらもう夕方で。そのまま辞めちゃいました」。そこから、アルバイトや契約社員として職場を転々とした。
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一方で、中学卒業後にKZがハマったのが「ネットライム」だ。インターネットの掲示板にラップを書き込んで競うバトル。MCバトル(ラップバトル)は、即興でラップを紡ぎ、相手とその技術を競うが、当時はインターネット掲示板でのバトルが流行していた。
アルバイトを転々としていたころのKZ(本人提供)「ラップは聴いていたので、何となくやり始めたらハマって。生活がうまくいかない中で、ネット上だとしても『うまい』と言われると自分の居場所が見つかったような気持ちになった」
アルバイトをしながら、ケータイの中でだけ「ラッパー」になる。そんな生活が続いたある時、当時流行していたSNS「mixi」でこんな投稿を見つける。
「梅田でサイファーをしませんか」
サイファーとは、参加者が輪になってそれぞれ即興でラップをする遊びだ。「行ってみようかな」。阪急梅田駅の高架の上で開かれたそれに参加したのが、KZのラッパーとしてのキャリアの始まりだ。2007年5月、19歳の時だった。
初期の梅田サイファーの様子(本人提供)梅田サイファーは、大阪・アメリカ村で開催されていたMCバトル(ラップバトル)の出演者が「梅田でサイファーをしよう」と始めたことで生まれた。それぞれに、mixiなどのSNS経由で集まった人が多く、KZは「ネットのオフ会みたいでした」と笑う。
KZが参加した後から様々なメンバーが加わる。R-指定やKBD、KOPERU、テークエム……。今も活躍するラッパーたちがその輪に加わった。
シーンに知られたきっかけは、R-指定が当時の日本最大級のMCバトル「Ultimate MC Battle」を2012~14年で3連覇を達成したことだろう。「オフ会」だった梅田サイファーは、ラッパー集団としてその名を轟かせるようになった。
ライブでのKZ(本人提供)知名度が上がっていくにつれ、梅田サイファーも「アーティスト」としての活動を本格化させ、2019年にアルバム「Never Get Old」を発表。ここに収録された楽曲「マジでハイfeat.R-指定,KZ,peko,ふぁんく,KOPERU,KBD,KennyDoes」が大ヒットしたことで、グループはアーティストとしての成功をおさめ、今に至る。
死ねなかった時のことを正解に
これまでにKZは6枚のソロアルバムを発表。グループは今年10月から、初めて全国47都道府県を回るツアーにも出る。浮き沈みの激しい業界で、ソロアルバムを6枚も出し、全都道府県を回るツアーを行えるラッパーはそういない。引きこもりの少年がラッパーとして18年のキャリアを歩む――それは奇跡といってもいい。