「ネイティブの発音」をマネするほど世界で信頼されない…元国連幹部が「秋田なまりの英語」を貫いたワケ
日本人が英語を学ぶうえでは、どんなことに気を付ければいいのか。経営コンサルタントのショーン川上さんは「『ネイティブ英語』は目指さないほうがいい。完璧で流暢な発音、ネイティブのような表現を学ぶ時間とエネルギーは、『何を語るか』『どう考えるか』の構築に向けるべきだ」という――。
※本稿は、ショーン川上『英語力の核心』(アルク)の一部を再編集したものです。
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「ネイティブ信仰」の落とし穴
「ネイティブのような英語を目指すべきか?」と企業研修などで聞かれるとき、筆者はいつもこう答えます。
「そもそも、ネイティブって誰のことでしょうか?」
英語を母語とする人々の英語は、決して一つではありません。アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語、カナダ英語――発音もイントネーションも語彙も、それぞれ大きく異なります。アメリカ国内でさえ、ニューヨーク、テキサス、カリフォルニアで話される英語はまったく違います。
では、私たちが目指すべき「ネイティブ英語」とは、一体どこの英語なのでしょうか? 現在、英語を使用している人は世界で約15億人といわれています。British Councilの推計などによれば、そのうち英語を母語とする人は4億人程度。つまり、英語話者の約75%は非ネイティブなのです。
筆者が参加したアジア太平洋地域の経営者会議では、15カ国からCEOたちが集まりました。英語で議論していましたが、完璧な「ネイティブ英語」を話していたのは、一人もいません。シンガポール英語(Singlish)、インド英語、中国訛りの英語、韓国訛りの英語。でも、誰もそれを問題にしませんでした。重要なのは、何を言っているかであって、どう発音しているかではないからです。
「ネイティブ発音を目指さなくてもいい」。こう言うと、多くの人が戸惑います。では、少し長くなりますが、4人の賢人の視座にお付き合いください。
「堂々と秋田訛りの英語を話せばいい」
直接お目にかかることは叶っていませんが、個人的に敬愛してやまない元国連事務次長で、カンボジアや旧ユーゴスラビアの紛争調停に奔走された明石康氏は、著書『「独裁者」との交渉術』などで、言葉とアイデンティティーに関わる重要な示唆を与えています。
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国連大学で開かれたシンポジウムで発言する明石康・元国連事務次長=2026年4月15日午後、東京都渋谷区
氏は、国連における自身の立場を「中立(ニュートラル)」ではなく、あえて「不偏(インパーシャル)」という言葉で定義しました。「中立」という言葉には「理念や原則が欠如した『色のない』状態というニュアンスが含まれかねないから」だそうです。彼が戒めたのは、国際社会で特定の国の色を消そうとするあまり、誰からも信用されない「無性格のコウモリ」になってしまうことです。
彼の「個の確立」への意志は、言語への向き合い方にも貫かれています。歴代の国連事務総長がみな「お国訛り」の英語を話していたことを挙げ、明石氏自身も「堂々と秋田訛りの英語を話せばいい」と提言しています。英語という「道具」に埋没せず、自身の哲学や「日本人としての芯」を保ってこそ、信頼される交渉者たり得る。「不偏(インパーシャル)」の精神と「秋田訛り」の推奨は、明石氏の中で、確固たるアイデンティティーの表明として一つにつながっています。
この視点は、英語学習においても極めて重要です。なぜなら、英語学習者が「完璧なネイティブ英語」を目指すとき、知らず知らずのうちに、各自が選んだ「ネイティブ英語」に内包された特定の文化的・歴史的前提まで引き受けてしまう可能性があるからです。グローバル化した世界で英語を使う私たちは、どのような姿勢で英語に向き合うべきなのでしょうか。
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外来の思想や言語をどう受容するかという問題は、別の角度からも考えることができます。戦後日本を代表する政治思想家の丸山眞男は、『日本の思想』(岩波新書、1961年)で、日本には西洋のキリスト教のような「思想的座標軸」が欠如していると論じました。外来思想は既存の思想と真に対決することなく、表層的に受容され「無秩序に埋積」されてきた。これを丸山は「思想的雑居性」と呼びました。
丸山のこの洞察は、私たちの英語との向き合い方にも示唆を与えます。日本人が「普遍的」「標準的」と称される英語(例えば、イギリス英語やアメリカ英語)をそのまま模倣しようとするとき、それは丸山が批判した「表層的な受容」と同じ構造を持っているように思えます。その言語の背後にある文化的・歴史的文脈を批判的に検討することなく、形だけを取り入れる。それでは、自分自身の思想的立脚点は確立されないということです。
「日本人英語」のほうが信頼につながる
明石、クリスタル、サイード、丸山――国籍も専門分野も異なるこれら4人の知性は、異なる角度から、重なり合う示唆を与えてくれます。それは、無理に特定の国の英語アクセントに寄せることは、意図せず「その国の文化的・歴史的前提を引き受けた」と受け取られる可能性がある、ということです。アメリカ英語の完璧な発音を目指すことは、場合によってはアメリカ的な価値観の代弁者と見られる可能性もあります。イギリス英語の洗練された発音を身につけることは、旧大英帝国の文化的エリート主義と無関係ではいられません。
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それよりも、自分が日本人であることを前提にした「日本人英語」のほうが、話者の立脚点を正直に示し、結果として誠実さや信頼につながる場合が多いのです。なぜなら、日本人が日本人訛りの英語を話すことは、「私は日本という文化的背景から、この問題を見ています」というメッセージを、言葉以前のレベルで伝えるからです。それは対話の出発点としての誠実さを示しているともいえます。
英語コミュニケーションにおいて本当に大切なのは「自分は誰として語るか」だということです。完璧で流暢な発音、ネイティブのような表現を学ぶ時間とエネルギーは、「何を語るか」「どう考えるか」の構築に向けるべきなのかもしれません。日本人としての視点、経験、価値観を、明確な英語で、自信を持って発信する――それこそが、グローバルな場で最も求められている姿勢なのですから。
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世界的な英語学者デイヴィッド・クリスタル(David Crystal)は、著書 “English as a Global Language”(Cambridge University Press、第2版2003年)の中で、示唆に富む議論を展開しています。「国家的・文化的アイデンティティーの必要性と、互いに言葉が通じ合うこと(intelligibility)の必要性は、しばしば対立するものと見なされがちだが、それは誤解であり、両者は十分に両立しうる」というのが彼の主張です。
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クリスタルが提唱するのは、グローバル言語(世界コミュニティーへのアクセスを提供する)と地域言語(ローカルコミュニティーへのアクセスを提供する)を併せ持つバイリンガリズムです。この2つの機能は「補完的(complementary)」であり、異なるニーズに応えるものだと彼は論じます。
さらにクリスタルは、英語がもはやネイティブスピーカーの「所有物(property)」ではないという現実を強調します。世界中で15億人以上が英語を使用し、非ネイティブスピーカーがネイティブスピーカーの3倍以上を占める現在、英語は特定の国や文化に帰属する言語ではなく、真の意味での「国際共通語」となったとすれば、日本人は日本人として、中国人は中国人として、それぞれの文化的アイデンティティーを保ちながら英語を使えばいい。これが、クリスタルの論から導かれる一つの結論です。
「ネイティブのように」がはらむ危険性
しかし、なぜ「自分の立脚点を保つ」ことが、そこまで重要なのでしょうか? この問いに、思想的な深みから示唆を与えてくれるのが、パレスチナ系アメリカ人の文学理論家・文化批評家エドワード・サイード(Edward Said)です。彼の代表作“Orientalism”(Pantheon Books, 1978年)は、西洋が「東洋」をどのように表象してきたかを批判的に分析した古典的名著です。
サイードの洞察の核心は、「東洋を明確に表現する(articulate)のはヨーロッパである」という指摘にあります。彼によれば、すべての表象は、表象する側の言語、文化、制度に深く埋め込まれています。知識は権力を生み、権力はさらなる知識を要求する。この弁証法的関係が、オリエンタリズムという言説を支えてきたのです。
サイードが分析したのは、西洋学術による「東洋」表象という特定の文脈でした。しかし、この洞察を英語コミュニケーションの問題に援用すれば、次のように言えるかもしれません――ある言語で語るという行為は、その言語が背負ってきた歴史的・政治的な前提を、無自覚のうちに引き受ける行為でもありうる、と。つまり、ある言語を使うということは、単に「道具」を使うことではなく、その言語に埋め込まれた見方、考え方、価値判断までをも(意識するしないに関わらず)引き継ぐ可能性があるのです。
もちろん、サイードが分析した「西洋による東洋表象」と、日本人が英語を学ぶ状況は、権力の方向性が異なります。しかし、「言語には話者の前提が埋め込まれている」という洞察自体は、学習者の側にも示唆を与えるのではないでしょうか。
この視点は、私たちに重要な警鐘を鳴らしているように思います。何も考えずに「ネイティブのように」話そうとすることは、知らず知らずのうちに、自分本来の視点や立場を見失う危険性さえはらんでいるのかもしれません。
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「海外に行きさえすれば、英語が話せるようになる」。これも、日本人に根強い幻想の一つです。
10年ほど前、企業の若手社員向けに、海外ビジネススクールの短期プログラムを調査する機会がありました。UC Berkeley Extension、UCLA Extension、Harvard Extension Schoolなど、数週間から数カ月の集中プログラムです。これらに参加した日本人の方々をヒアリングして、気づいたことがあります。
筆者が2013年に実施したExtension Program参加者へのヒアリング/アンケートを集計すると、次の傾向が見えました。比較のため、参加目的の性質により、参加者を「英語力向上」を主目的とするA群、「英語で専門科目を学ぶ」ことを並走させるB群の2群に分類しています。
帰国後の継続学習率(※1)28%
【B群】専門科目並走(3カ月) 調査対象n=42(20代後半~40代、社会人比率約8割) 参加期間12週間(約3カ月) 参加前スコアTOEIC600~850(中央値725) 平均伸び+128点(IQR:+85~+165) スピーキング自信度 (10点満点の自己評価)+2.2(例:4.7→6.9)帰国後の継続学習率(※1)74%
専門知識の習得満足度(※2)(5点満点)4.3※1 帰国後3カ月時点で週3回以上・各30分以上の学習を継続 ※2 例:マーケティング基礎、データ分析(統計入門、可視化、SQL基礎)など ※本データは2013年に筆者が実施した探索的調査(n=86)に基づく参考情報である。以下の交絡因子を統制できていないため、因果関係は断定できないことを了承ください。 ・参加者の自己選択によるプログラム振り分け(無作為割付ではない) ・両群のベースライン英語力の差(A群中央値520、B群中央値725) ・参加期間の差(A群6カ月、B群3カ月)
・社会人比率・年齢層の差