クマ対策に「クマスプレーもどき」が氾濫する罪深さ 対人用「催涙スプレー」のケースも 専門家は「規制」訴え

向かってくるヒグマ。クマスプレーはほぼ唯一の撃退手段だが、もし効果のない製品だったら、命に危険がおよぶ=環境省提供

 対人用の催涙スプレーが、クマを撃退する「クマスプレー」とうたって販売されるケースが急増している。クマの専門家は「効果を信じた人が危険にさらされかねない」と危惧する。

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■「クマスプレー」が多数流通

 クマによる人身事故が相次いで報じられている。複数の登山用品店によると、その影響で、クマスプレーを買い求める客が増えているという。

「比較的安価で小型な商品が人気で、入荷してもすぐに売り切れてしまいます」(登山用品店の店員)

 ある登山用品店で、よく売れているというその一つを見せてもらった。

「クマよけの『お守り』のような製品です」

■英語の商品説明に「クマ」の表記なし

 そう言って紹介してくれたのは、手のひらに乗るサイズの外国製スプレー。価格は6000円ほどで、スプレー上部のボタンを押すと、液状のトウガラシの辛味成分「カプサイシン」が噴射されるという。射程は約5メートルだ。

「クマに襲われたら、ピンポイントで目を狙ってください」(店員)

 突進してくるクマに対して、果たしてそんなことが可能なのか、と思いつつ、パッケージを手に取った。英語で書かれた商品説明のどこにもクマについての記述はない。「pepper spray(催涙スプレー)」とも記されている。

 クマを撃退する効果が本当にある製品なのか。店員に尋ねたが、明確な回答はなかった。

■「クマスプレーもどき」を専門家も危惧

 実はいま、クマの撃退効果がないとみられる「クマスプレーもどき」が、ネット通販や実店舗で複数売られている。記者が提示された商品もそのひとつだ。

「クマ用に作られていない『クマスプレー』が広まれば、効果を信じて使用した人が、最悪、命の危険にさらされかねない。非常に危険です」

 そう指摘するのは、ヒグマ学習センター代表の前田菜穂子さんだ。

 前田さんは、学芸員として「のぼりべつクマ牧場」の博物館(北海道登別市)に勤めていた際、ヒグマの撃退方法について研究を重ねた人物だ。1986年、世界で初めて商品化されたクマスプレー「カウンターアソールト」の開発にも寄与した。当時、前田さんは日本のクマにも効果があるか、試作品で実験した。

EPAに認可されたクマスプレー「カウンターアソールト」とクマの爪あと=藤村正樹さん提供

■米国には「クマスプレー」の製品基準

「煙が出るくらいの濃塩酸を置く、火柱で脅すなど、20種類ほどの方法を試しましたが、ヒグマは逃げなかった。ところが、カウンターアソールトを噴射すると、一発で逃げ去った」(前田さん)

 噴射成分のカプサイシンが感覚神経に作用すると、猛烈な痛みを生じる。メーカーは、人に付着しても皮膚に炎症を起こしたり、失明したりするなどの健康被害はもたらさないとしてきたが、前田さんは念のために自らを実験台にした。

「顔面に吹き付けると、息が詰まるほどの痛みでうずくまりました。目も開けられない。でも60分たったら、痛みは消え、普通に行動できました」(同)

 米国では、カウンターアソールトの誕生後、環境保護局(EPA)が「クマスプレー」の製品基準を設けたという。催涙スプレーを「クマスプレー」と称して販売することも法律で禁止されている。

■手のひらサイズはありえない

 催涙スプレーとクマスプレーの違いは何か。メーカーのホームページによると、どちらもカプサイシンを主成分としているが、仕様が異なるという。

 対人用の催涙スプレーは、射程は5メートルほどで、液状のカプサイシンが真っすぐに飛ぶように設計されているものが一般的だ。噴射した液体が暴漢以外の人に当たるのを避けるためだ。カプサイシンの濃度も1%前後に抑えられている。

 クマスプレーのカプサイシン濃度は、EPAの上限基準2%の製品が多い。噴射すると、霧状のカプサイシンが拡散しながら飛ぶ。慌てるなどして狙いが不正確であってもクマの顔面に当たりやすくするためだ。

 EPAの基準では、射程は7メートル60センチ以上、噴射時間は6秒以上。十分な飛距離と噴射時間を確保するため、内容物は225グラム以上でなければならない。

 この容量を確保すると、スプレー缶は500ミリリットルのペットボトルよりもひと回りほど小さなサイズになる。つまり、米国の基準では「手のひらサイズのクマスプレー」など存在しないのだ。

■クマスプレーに関する規制が日本にない

 だが、日本は違う。

「クマスプレーに関する規制は今のところ日本にはありません。米国で催涙スプレーとして販売されている製品を、日本に輸入して、クマスプレーとして売っても違法ではない。こうした製品が野放し状態なのです」(同)

 実際、国内では10年以上前から、クマに対する効果が不明な「クマスプレー」と称する商品が販売されてきた。急増したのは、年間で219人(うち6人死亡)ものクマによる人身被害が発生した2023年度以降だという。

「クマ被害がクローズアップされ、クマスプレーの需要が高くなった。それを商機ととらえ、販売業者が増えたのでしょう」(同)

EPAに認可されたクマスプレー「ガードアラスカ」=米倉昭仁撮影

■事故の同行者所持は「催涙スプレー」

 Amazonなどネット通販サイトで「クマスプレー」を検索すると、数十種類の商品が表示される。多くは外国製で、特に米国製が目立つ。複数の関係者によると、8月14日に北海道・知床の羅臼岳で下山中の男性がヒグマに襲われて亡くなる事故が起きた際、同行していた友人が所持していた製品もその一つだという。

 この製品は、米国では「催涙スプレー」として販売されているが、8月21日に知床財団が出した調査速報によると、国内では「クマスプレー」とうたわれて販売されていた。

 報告書には「ヒグマに対応した製品ではない」とも記されている。

「この製品の商品説明に『ツキノワグマ専用』と書かれているからです。しかし、ツキノワグマに本当に効くのか。サイトには何の根拠も示されていない。おそらく、ヒグマとツキノワグマ、どちらに対しても効果は実証されていないと思われます」(関係者)

■商品説明に「誤解を与える記述」と専門家

 以前からこの製品は、クマ研究者らの間では知られてきた。商品説明にはなぜか、「米国産のベアスプレーは日本国内ではエゾヒグマ専用のスプレーですのでクロクマ(ツキノワグマ)には催涙剤(カプサイシン)濃度が強烈すぎて使用不可」「万一でも使用すると極度の対人間恐怖症となり人間を襲うようになる」などと記されている。

 日ごろからクマスプレーを携帯して調査に当たる研究者の目には、この説明書きは消費者に誤解を与え、クマスプレーを持つのを躊躇させかねない記述と映る。

■選ぶならEPA認可製品を

 カウンターアソールトの輸入代理店、有限会社アウトバックの藤村正樹代表取締役は、「クマスプレーはEPAが認可した製品、もしくはそれに準ずるものを選んでほしい」と訴える。

 具体的には「Counter Assault」「Frontiersman」「Griz Guard」「Guard Alaska」「UDAP」などのブランドだ。国産では「熊一目散」(バイオ科学・徳島県阿南市)がEPAの性能ガイドラインに準拠して設計されている。

 クマと遭遇した際、クマスプレーはクマを退ける可能性のある唯一無二の道具だ。不幸な事故をできる限り避けるためにも、国や行政がクマスプレーの基準を設けて規制することが必要だろう。

(AERA編集部・米倉昭仁)

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