黎智英氏が獄中でつかんだ「自由」 あす9日に量刑言い渡し 重刑は不可避 日曜に書く 論説委員・藤本欣也
手元に2022年のクリスマスカードがある。5年以上にわたり獄につながれている香港の著名な民主活動家、黎智英(れい・ちえい、ジミー・ライ)氏(78)の家族からその年に送られたものだ。
カードにはキリスト教の「受胎告知」、つまり、神の子イエス・キリストを宿したことを天使から告げられた聖母マリアの絵が印刷されている。黎氏自ら香港・スタンレー刑務所の獄中で描いたクレヨン画である。
「聖告」とも称される受胎告知のその絵に、黎氏が一言だけ書き添えている。突然のお告げに困惑しながらも、神の意志を受け入れた聖母マリアの決意、「YES!」だった。
黎智英氏が獄中で描いた聖母マリアのクレヨン画(2025年のクリスマスカードから)安全への渇望
黎氏は昨年12月15日、香港国家安全維持法(国安法)違反などで有罪判決を受けた。あす9日に量刑が言い渡される。
黎氏がカトリックの洗礼を受けたのは、香港が英国から中国に返還された1997年。敬虔(けいけん)なカトリック信者の妻、李韻琴さんの影響で教会に通い始めたのが信仰の契機となった。
「(返還後の香港で)『私は捕まるかもしれない』という将来の不安によって、安全への渇望が心の中に浸透し、洗礼を決心したのです」。後に黎氏は神父にこう告白している。
黎氏が創刊した香港紙「蘋果(ひんか)(リンゴ)日報」の名前も、アダムとイブが「善悪を知る木の実」を食べた旧約聖書の物語(後世この禁断の実はリンゴとされた)がその由来である。
「蘋果が毎日1つあれば、誰にもだまされない」が創刊当時のキャッチコピーだった。
不安から受容へ
「香港で働きながら、社会をじっと見ていて気づいたことがある。英語のできる人が成功している、ということなんだ」
2020年に黎氏にインタビューした際、彼は少年時代を振り返ってこう語った。
黎氏は中国広東省出身。12歳だった1960年、「チョコレートを腹いっぱい食べたい」と独りで密航し香港に渡った。
工場などで働いた後、株の売買でもうけ、アパレル企業を創業。89年の天安門事件の際には中国の民主化運動を支援した。95年に蘋果日報を創刊。自由と民主を掲げ、中国に批判的な論調で人気を博し、香港民主化運動を言論・経済面で支えた。
インタビューで黎氏に「成功した秘訣(ひけつ)」を聞くと、彼は「もちろん、英語を懸命に勉強したことだよ」と笑った。「成功」のため独学で勉強を始めた英語は、信仰を深めることにも役立ったようだ。黎氏は朝4時に起床し英語の本を読むことを長年の習慣にしていたが、聖書だけでなく、キリスト教関係の英書も読むようになっていった。
2020年8月、黎氏が国安法違反の疑いで初めて逮捕された夜のこと。留置場の冷たい床に横たわっていると、「このままずっと外に出られないのではないか」と不安が募った。だが、「自分は(人生をやり直したとしても)きっと同じ道を歩く」。そう確信できたとき、落ち着きを取り戻せたという。
「これは自分の運命であり、神からの賜りものだ。受け入れよう―」
黎氏がインタビューで明かしてくれた話だ。洗礼を受けてから23年の歳月が流れていた。
そのときは逮捕2日後に保釈された黎氏だったが、4カ月後に再び投獄されてしまう。
香港の元ジャーナリストで黎氏と親交の深いマーク・クリフォード氏によれば、黎氏は獄中でもキリスト教関係の本を読み、神学の研究も進めている。ドイツの神学者、ディートリヒ・ボンヘッファー(1906~45年)の著作を読んで、勇気を奮い立たせたのだという。
ボンヘッファーは第二次大戦中、キリストに従う道を模索しながら、ナチスに抵抗した牧師としても知られる。香港のため中国と闘った黎氏の人生と重なる。最後は収容所で処刑されたボンヘッファーから黎氏が得た勇気とは何だったのだろう。
新しき人生
黎ファミリーの昨年のクリスマスカードにも、黎氏が描いた「聖告」があった。2022年のカードと違うのは彼の信仰告白が添えられていたことだ。
「主が、私に新しき人生を与えてくださったことに心から感謝します。その人生は、以前は見えなかった真の平安、喜び、意義に満ちています」。そしてこう結んだ。「見えるようになった今、私は自由です」と。
黎氏があす言い渡される量刑を巡っては、禁錮10年以上の重刑になるという見方が強い。(ふじもと きんや)