コラム:2026年日米金利差の行方と日銀の新たな課題=井上哲也氏
[東京 17日] - 為替レートは多様な要因によって変動し、しかも主たる要因が局面によって変わることは言うまでもない。また、コロナ禍後の大幅な円安については、経常収支の弱さや多国籍企業による海外収益の現地での再投資、個人投資家が資産運用を積極化する下での対外証券投資の増加といった構造要因の影響が大きいとの見方も強い。
<円安と内外金利差>
一方で、短期的ないし急速な円安局面では、内外金利差が主たる材料として指摘されることも多い。為替相場では内外金利差による収益を凌駕(りょうが)するボラティリティーが生ずることは日常茶飯事であるだけに、こうした議論には必ずしも合理的でない面がある。それでも、短期間で円安による為替差益を得ようとする投資家にとっては、内外金利は無視しえない要素だ。
なぜなら、円売りポジションを構築ないし維持するための相対的なコストが上昇するからである。このため、円安が実現するまで「果報は寝て待つ」ことは困難となり、意図通りの期間内に円安が実現しないとポジションをクローズせざるを得ない。結果として、こうした投資家による円安圧力の持続力が低下することになる。
内外金利差は長期的ないし構造的な円安要因ではないとしても、短期間に円安にドライブをかける可能性がある点で注視すべき要素だ。同時に、内外金利差が主として短期の時間的視野をもつ投資家に影響しているとすれば、内外金利差の中でも短期の金利差に着目すべきことになる。
<日銀の政策金利>
そこで、2026年の円相場を展望するために、短期の内外金利差の代表として政策金利の差を考える。また、円相場の中でも米ドルレートが日本の金融経済にとって圧倒的な重要性を有するだけに、日米の政策金利差に焦点を当てる。
まず、26年の日本の政策金利については、日本銀行が24年のように半年に1回程度の緩やかな利上げに回帰することを基本シナリオとして想定できる。
今年は米国の関税引上げによる経済への影響が不透明であったほか、年前半には金融市場が不安定化したり、年後半には国内政治が流動化したりしたことで、日銀も利上げに対して慎重になった。しかし、これらの不透明性が低下した一方で、企業活動はむしろ強さを示しているほか、家計消費の回復を妨げた一因であるインフレ率も来年にかけて減速することが見込まれる。日銀の直近(10月時点)の見通しが、来年度の後半以降には潜在成長率近傍での成長と基調的インフレの2%目標への収れんを予測している以上、金融緩和を維持する必要性は低下し続ける。
問題は政策金利の最高到達点(ターミナルレート)だ。しかし、金融市場では、26年末の政策金利、あるいは政策金利に強い影響を受ける2年国債の利回りが1.25%程度になるとの予想が形成されつつある。これは、今年12月の金融政策決定会合での0.25ポイントの利上げを前提とした場合、先にみた半年に1回程度の利上げというシナリオと整合的になる。
もちろん、実際に政策金利が1%を明確に超えると、金融政策が「中立的」かどうかについて、日銀と金融市場や政府との間で意見が分かれ、結果として淡々と利上げを続けることが困難となる可能性はある。筆者は、マクロ的にフローの貯蓄が減少し投資が活性化している以上、中立金利には上昇圧力が働いていると考えるが、どの程度上昇したかを計量的かつ正確に示すことは技術的に困難だ。
26年末にはこうした問題が生じ得る点を認めた上で、日銀の政策金利は既往の日銀自身による中立金利の推計レンジの下限付近である1.25%程度になっていると考えることは合理的である。
<米国の政策金利>
26年の米国の政策金利については、米連邦準備理事会(FRB)の対応に大きな不透明性が残る。
今月の連邦公開市場委員会(FOMC)で、FRBは3会合連続での利下げを決定したが、パウエル議長は記者会見の中で政策金利が中立水準のレンジに達したとの見方を示して、今後の利下げに慎重な姿勢を示唆した。
実際、今回改訂された見通しでは、26年の経済成長率が大きく上方修正され、潜在成長率を明確に上回るものとなったほか、インフレ率は徐々に2%目標に収斂するとの見方を維持した。日本と同じく米国も経済と物価が「適温」になるとの見方にある以上、金融政策も既往の引き締めスタンスではなく、中立化することが合理的である。
ただし、FOMCメンバーによる「長期的」な政策金利は、中央値で3.0%、中央レンジでも2.8%から3.5%であり、今回の利下げ後の政策金利(FFレートの誘導目標:3.5─3.75%)は、パウエル氏の主張に拘わらずFOMCメンバーのコンセンサスよりやや高い。このため、政策金利を中立化するには26年にも1─2回の追加利下げが必要となる。こうした見方は、今回公表されたFOMCメンバーによる政策金利の予想パス(ドット・チャート)とも整合的である。
その上で、FRBの政策運営に不透明性を加えているのは、トランプ政権による政治的な利下げ圧力だ。こうした圧力があっても、金融市場や企業、家計がFRBによる政策目標の達成に信認を与えれば、実際の影響は抑制され得る。しかし26年には、5月に任期満了を迎えるパウエル氏の後任人事がある。トランプ政権は、来年初には前倒しで後任議長を内定する意向を示しているため、その後は金融市場がパウエル氏よりも後任者の発言に注目するといった「二重権力」的な状況も生じ得る。
この問題は、金融政策の先行きに関する金融市場の見方の不安定化を招くだけでなく、26年のFRBが新議長の下で経済や物価のファンダメンタルズに照らして過度な金融緩和バイアスを持つとの思惑に繋がる可能性がある。これらの点を総合すると、26年末のFRBの政策金利は少なくとも中立水準のレンジの中盤である3%程度まで低下し、場合によってそれ以下になり得ると考えることができる。
<日銀にとっての意味合い>
これらの推論が正しければ、政策金利で見た26年末の日米金利差は2%を明確に割り込むところまで縮小することになる。
過去30年を振り返っても、政策金利差が2%未満になったのは01年12月─04年10月、08年3月─18年8月、19年9月─22年6月の3つの局面だけで、それぞれにITバブルの崩壊後の影響、世界金融危機とその後の低インフレ、コロナショックといった特定の要因があった。日米ともに「普通」の経済状況で政策金利差が2%を割り込むことは前例の乏しい事態だ。
先にみたように円相場には構造的な円安圧力があるとすれば、日米金利差の顕著な縮小が生じても、過去のように大幅な円高に結び付くかどうかは明確ではない。それでも、短期的ないし加速的な円安を招く力を抑制することは期待できる。
こうして、いわば「自然に」円安が進む事態が回避できれば、今後の物価上昇は円安による輸入インフレの影響ではなく、主として国内の需給要因で決まることになる。日銀にとっては、基調的インフレというわかりにくい概念でなく、単純に消費者物価上昇率で議論できる点で、金融市場や政府との対話は容易になる。その一方で、日銀はインフレ目標を国内経済のファンダメンタルズだけによって達成し、維持することが求められることになるだけに、政策金利が中立水準に達した後の政策運営にはより多くの慎重さも必要となる。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション部シニアチーフリサーチャー。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。金融イノベーション研究部・主席研究員を務め、2021年8月から現職。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。
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