福岡の飲酒事故3児死亡、母親と面会の市長「お会いできてうれしいという表現は使いにくい」…母親「いつかお礼言いたかった」
福岡市職員だった男による2006年の3児死亡飲酒運転事故で幼い我が子3人を失った大上かおりさん(48)と同市の高島宗一郎市長が18日、市役所で対談した。2人の面会は初めて。事故後に就任した高島市長は冒頭、大上さんに謝罪した。大上さんは市の飲酒運転撲滅への取り組みに謝意を伝え、「一緒に活動できたら」と呼びかけ、「飲酒運転ゼロ」に向け協力することで一致した。(岡林嵩介、原聖悟)
市職員事故謝罪
「お会いできてうれしいという表現はなかなか使いにくい。市の職員が起こした事故で3人のお子さんを亡くされ、どれだけつらい思いをされてきたのか。現市長として本当に申し訳ございません」
高島市長は硬い表情を崩さず語りかけた。幼い3人の命が奪われた事故で逮捕されたのが市職員だったことに当時、衝撃と批判の声が広がった。男は事故後、通報せずに逃走し、友人に持ってこさせた水を飲み、飲酒の事実を隠そうとしたことも明らかになった。市は事故翌月の06年9月、飲酒運転をした職員は原則、懲戒免職にする指針の運用を開始するなど厳罰化に取り組んだ。
市役所前に設置されている飲酒運転撲滅を誓うモニュメント大上さんは事故後、福岡県外で暮らす中で、高島市長が撲滅活動の先頭に立って取り組む姿をニュースなどでたびたび目にした。「(亡くなった3児を)人として悼んでくれている。お会いしたい」。面会は、大上さんからそうした思いを聞いた読売新聞が仲介して実現した。
「市長がすごく頑張って飲酒運転撲滅の取り組みをされていて、いつかお礼を言いたいと思っていた」
高島市長にこう感謝の意を表した。高島市長は10年11月の市長選で初当選して以降、飲酒運転撲滅を自ら訴える音声を市地下鉄構内で流すなど撲滅活動に力を入れてきた。11年7月、事故後に現場近くの公園に設置された飲酒運転ゼロを誓うモニュメントを「より市民の見える場所に」と市役所前に移設した。
事故後18人が免職…自転車の酒気帯びも
3児死亡飲酒運転事故を巡る福岡市や高島市長の動き市職員の飲酒を巡る不祥事が相次いだことを受け、12年5月には全職員に対し、1か月間自宅外で飲酒しないよう要請する“禁酒令”を出し、波紋も呼んだ。昨年11月に施行された改正道交法で摘発対象となった自転車の酒気帯び運転も同様に免職で臨んでおり、事故以降、加害者の男を含めこれまでに18人が免職となった(うち1人は最高裁で処分取り消し)。
「市の職員が3人の命をあやめたことを忘れてはいけない。月日がたち、(事故を)知らない世代も我が事として(飲酒運転を)繰り返さないようにできるのか。取り組み続けないといけない」
市が厳しい姿勢を取る理由を語気強く語る高島市長を、大上さんはうなずきながら見つめていた。
大上さんは今春、事故後に離れていた福岡に戻り、福岡県内で教育関係の仕事をしながら、命の大切さを伝える講演活動を始めた。対談の最後、「子どもたちに飲酒運転はいけないことだと伝える教育に力を入れてほしい」との思いを打ち明け、こう呼びかけた。
「高島市長の活動に、私も力を合わせて一緒に発信していきたい。今日はありがたい、うれしい日でした」
高島市長も力強く応じた。
「今日は本当にありがたい機会を頂いた。未来に向かって悲劇を繰り返さないため、一緒に取り組みたい。大上さんの生のお声はすごく力がある。ぜひ力をお借りできたら」
◆ 3児死亡飲酒運転事故 =福岡市東区の海の中道大橋で2006年8月25日に発生。市職員(当時)の男が車を飲酒運転し、大上哲央さん(52)や妻・かおりさんら家族5人が乗る乗用車に追突した。大上さんの車は橋から約15メートル下の海に転落し、長男・ 紘彬(ひろあき) ちゃん(当時4歳)と次男・ 倫彬(ともあき) ちゃん(同3歳)、長女・ 紗彬(さあや) ちゃん(同1歳)が亡くなった。福岡高裁は男に対し、危険運転致死傷罪などを適用して懲役20年を言い渡し、その後確定した。