《家族3人をクロスボウで殺害》「母は拙いながらに食事を用意して…」「あなたはあまりに歪んでいた」無期懲役の野津英滉被告(28)、生き残った叔母が証言した「複雑な感情」

野津被告と凶器になったクロスボウ(右/イメージ、AFLO)

 2020年6月、兵庫県宝塚市の自宅でボーガン(クロスボウ)を撃ち、祖母、母、弟の家族3人を殺害し、叔母に重傷を負わせた野津英滉被告(28)。神戸地裁で行われていた裁判員裁判は6回の審理を終え、10月31日、無期懲役の判決が下された。検察の求刑は死刑だった。

 判決前には、被告人に矢で射られ重傷を負いながらも唯一生き残った叔母が、意見陳述を行なった。叔母は判決を受けた後、こうコメントしている。

「3人は殺されてしまったがために、自分たちの言い分を述べることができず、裁判の資料は、そのほとんどが彼の説明によるものでした。その結果、彼が家族に苦しめられていたということが過剰にフォーカスされてしまっていました」

 被害者である叔母からみた家族の姿、そして甥に対する複雑な感情とは——裁判ライターの普通氏がレポートする。【前後編の後編。前編から読む

 判決前の審理の最終日は、検察官側の遮蔽された席に座る叔母本人の意見陳述から始まった。叔母は事件当日、祖母・母・弟と同様に被告人から矢で射抜かれたが、唯一命は落とさなかった。被告人はこれまで同様、頭を下に向けながらだが、手で頭を抱えるような姿勢で聞いていた。

 叔母の意見陳述を、一部メモの範囲で紹介する。

〈事件の日から、1日も欠かさず自分を責めた。大切な家族を守れなかった、食い止められなかった。あのとき、私も殺されていればと思った。一人孤独に生きて、重りのような地獄が消えない。

 なぜ事件を起こしたかは、だいたいは聞いていた。しかし裁判で聞き衝撃を受けた。あなたの景色は親族と違った。家族はみんななりに真面目に一生懸命生きていた。

(被告人にとっての)母は、障害があり、生きるのが辛かった。子どもから暴力を受け避難もしながら、ギリギリまで働いてきた。福祉の支援を受けていたのは本当に最後の手段としてだった。

 母は(被告人らと離れ)団地に引っ越したあと、自分は狭い部屋で過ごしながら、被告人の部屋を用意して(被告人の引越しを)待っていた。離れて住む被告人の家に通っていたのは、顔を見たい、声をかけたい、拙いながらも食べ物を用意したいという思いだった。

 私もよく、(被告人にとっての)母の買い物を手伝った。いつも多く買っていたのは、好みを言わない被告人のために、念のために多く買っていたからだった。進路を聞いても反発するし、留年しないよう、家族のせいでそうならないよう心配をしていた。

(被告人にとっての)弟と、だんだん話をしなくなるのも心配していた。弟は家族も自分が支えると決心していた。喧嘩もよくしていたが、なんでも言える仲だった。

(被告人にとっての)祖母は、中学のとき被告人に一番近かった。強迫性障害での、被告人が定めた特殊なルーティーンにも向き合っていた。

 被告人は家族に乱暴な言葉ばかり。ストレスが解消されないからだろうが、理由を聞いても無視したりで、察するのも難しかった。部屋にいるときは介入しないようにしていたけど、家族としては一緒にいたかった。私は外から見ていたが、あなたはあまりに歪んでいた。

(被告人の「確実に死刑判決を受けるために4人目として叔母の殺害を計画した」という供述を受け)念のための生贄のようにされかけた私は、傷による後遺症に悩み、PTSDに苦しみ続けている。人を殺したことを苦しみながら、死ぬまでの日々を過ごしてほしい。

 なのに、被告人は「自分の家族は殺されて当然」「後悔していない」「死刑になりたい」などと聞き、愕然とした。人はほっといても死ぬ。それを奪った罪深さがわからないのか。3人は突然奪われた未来を取り戻せない。それがどれほど恐ろしいことか、想像できないのか。

 それでも、精神鑑定を行なった医師から、(被告人が)本心に蓋をして、心の底では後悔していることを聞いた。事件から、ずっと苦しんでいるのだろう。

 でも、あなたの行動は絶対に許されない。あまりに大きな取り返しのつかないことをした。どれほど生きるかわからないが、3人に懺悔し続けて欲しい〉

 涙に声を詰まらせながらも、気持ちを込めながら最後まで陳述を終えた叔母。そんな様子を被告人は頬杖をつくような姿勢で聞いていた。

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