クレオパトラの時代の港を海底で発見、女王の墓も? 古代エジプト

考古学者のキャスリーン・マルティネス氏と、沈没したタイタニック号の発見者として名高いボブ・バラード氏は、エジプトのタップ・オシリス・マグナ遺跡の近くの海底に沈んだ人工構造物を発見した。この発見は、古代エジプトの女王クレオパトラ7世の墓をめぐる2000年にわたる謎の解明に重要な進展をもたらすと考えられている。研究チームは、アンフォラや複数の錨、磨き上げられた床、そびえ立つ柱などが発見されたこの場所を、海中に沈んだ古代の港だと考えている。(COURTESY NATIONAL GEOGRAPHIC)

 プトレマイオス朝エジプトの首都アレクサンドリアから西に約50キロ離れた海沿いの町に、見過ごされてきた神殿の遺跡タップ・オシリス・マグナがある。その沖合数キロメートルの海底で、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)で考古学者のキャスリーン・マルティネス氏のチームが古代の港を発見した。同氏は、これが2000年前の女王の墓の謎を解く決定的な手がかりになる可能性があると考えている。9月18日付けでエジプト観光・考古省が発表したこの発見は、タップ・オシリス・マグナが重要な宗教的中心地だっただけでなく、想像以上の規模を持つ海上交易の拠点でもあったことを示唆している。

「この神殿は、非常に重要な場所だったのです」とマルティネス氏は主張する。「クレオパトラが愛し、ともに戦ったローマの政治家マルクス・アントニウスと一緒に埋葬されるのにふさわしい場所だったのです」

 マルティネス氏は考古学の世界ではアウトサイダーだ。この20年間、他の考古学者が見向きもしなかった地下の遺跡で、クレオパトラの墓を探しつづけてきた。(参考記事:「クレオパトラを探して」

 プトレマイオス朝エジプトのファラオで最後の実質的な支配者だったクレオパトラは、自身が生まれた首都アレクサンドリアの王宮の近くで死去し、埋葬されたと多くの考古学者は考えている。一方、ドミニカ共和国の弁護士から考古学者に転身したマルティネス氏は、犯罪現場を検証するようなやり方で、クレオパトラの過去を丹念につなぎ合わせてきた。

 そうしてたどり着いた場所が、タップ・オシリス・マグナ遺跡だった。

 2022年、マルティネス氏とエジプト人とドミニカ人のスタッフからなる発掘チームは、タップ・オシリス・マグナ遺跡でクレオパトラの時代の遺物や構造物、そして、海に向かってまっすぐに伸びる全長約1300メートルのトンネルを発見したと発表した。

ギャラリー:クレオパトラの時代の港を海底で発見、女王の墓も? 写真と画像10点(写真クリックでギャラリーページへ)

遺跡のトンネルを歩くキャスリーン・マルティネス氏。トンネルは、淡水の内海から神殿の入口を通って地中海へと続いている。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT)

 地下約12メートルの深さにあるこのトンネルの一部は海水に浸かっていた。トンネル内からは、プトレマイオス朝時代の陶器や壺が見つかった。マルティネス氏は、今回の沖合での新たな発見と考え合わせると、「この港はクレオパトラの時代はもちろん、プトレマイオス王朝の初期から栄えていた」ことが分かると言う。

 この予期せぬ陸と海の交差点を探索するため、マルティネス氏はタイタニック号を発見したことで知られるナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー・アット・ラージ(協会付き研究者)の海洋考古学者ロバート(ボブ)・バラード氏の協力をあおいだ。彼らは海中探査中に、磨き上げられた床など、巨大で、明らかに人工的な水中構造物に遭遇した。

 マルティネス氏はチームのメンバーに、「私たちは2000年ぶりにこの港を訪れた人間になったのです」と語った。

驚異の人生と謎の死

 プトレマイオス朝は、アレクサンドロス大王がエジプトを征服した後の紀元前305年に建国され、古代エジプト史上最も長く続いた王朝だ。クレオパトラ7世は紀元前69年に生まれ、18歳で即位した。プトレマイオス朝の最後の実質的な支配者となった彼女は「並外れた女性」で、権力者たちをも恐れさせたとマルティネス氏は言う。(参考記事:「クレオパトラとは本当は何者だったのか、「美女」「狡猾」の真相」

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