「私は20年間両親に監禁されていました」自ら放火して脱出した男性の証言
SOCIETY
Long Read2025.5.3
男性が監禁されていた家 Photo: Christopher Capozziello/The New York Times
Text by Sarah Maslin Nir
175センチの身長で体重はわずか31キロ──消防士が、20年ものあいだ自室に閉じ込められていた男性を救助した際、その姿はあまりにも悲惨なものだった。警察によれば、この男性は12歳のときから監禁生活を送っていたという。そして現在、この男性の継母が容疑にかけられている。米「ニューヨーク・タイムズ」紙が、衝撃の事件を報じた。
消防士はキッチンの床にうずくまっていた人物を急いで抱き上げると、待機する救急車へ走った。煙のなかを進んでいたときに受けた妙な感覚は、いまも残っている。腕に何も抱えていないように感じたのだ。 病院へ急行する救急車のなかで酸素吸入措置に当たっていた救急救命士のひとりが思わず、あまりに耐え難い悪臭についてコメントした。すると間髪入れずに、助け出された男性がそれを謝罪するかのように口を開いた──「最後にシャワーを浴びたのは1年以上も前なんです」。 同乗していた警察官が身を乗り出した。男性は話しはじめると止まらなくなった。自分の名前と年齢(32)を伝え、父と継母によってほとんどの時間を自室に監禁されて過ごし、それは1日23時間にもおよぶときがあったと暴露した。
病院に到着してからも、話をやめなかった。彼はこの20年、ずっと囚われの身だった。便は新聞紙の上に出し、尿は新聞紙を丸めて2階の窓から垂れ流すしかなかった。20年間、医者や歯医者に行かせてもらえなかった。
サンドウィッチしか与えられなかった日もある。歯はボロボロで、食べると欠けることもよくあった。男性の身長は175センチだったが、体重はわずか31キロしかなかった。さらに、「いまこうして救急車に乗せられて外に出たのは、12歳のとき以来」だと言った。
その後、自室に火をつけたのは自分だと告白した。継母が彼に与えた着古したジャケットのポケットに入れっぱなしになっていたライターを使用したという。焼け死ぬようなことがなければ、やっと自由の身になれるかもしれない。そう考えたのだ。 2025年2月17日夜、救急車のなかで始まった秘密の暴露は、かつて製造業が盛んだったコネチカット州南部の小さな地方都市ウォーターベリーの名を汚す最大級の衝撃となった。警察は、救急車内で聞き取った内容を真実の証言とみなしている。
すなわち「ブレイクストリート2番地に建つ、散らかった家の最上階の8×9フィート(約2.4×2.7メートル)四方の部屋は過去20年、その少年(現在は成人男性)にとって監獄の独居房だった。彼が最後に家の外で目撃されたのは、小学4年のときだった」。
地域住民の多くは長いあいだ、少年の身の安全を案じていた。少年が姿を消す何年も前から教師、級友、近隣住民、そして彼が通学していた小学校の校長は皆、彼が人知れず苦しんでいると考えており、ウォーターベリー警察やコネチカット州児童家庭局に何度も電話をかけ、支援を要請した。
一連の通報を記録した可能性のある報告書の多くは散逸したが、入手可能な記録からは、対応に当たった当局者が少年の状態に問題はないと判断したことが明らかになっている。その後しばらくして、虐待の証拠も見つからないことから通報は途絶えた。
事実、2月の自室放火が起こるまで、ブレイクストリートに住むこの少年宅への警察官の訪問記録は2005年4月18日が最後だった。そのときは、父親からの通報を受けた訪問だった。父親は呼び出した警察官に、「息子について執拗に確認を求めてくる人物の嫌がらせを受けている」と訴えた。同年、自宅学習に切り替えるという名目で、少年は学校から引き離された。
監禁されていた男性は2025年3月におこなわれた警察の事情聴取で、「つかのま、学校の問題集を受け取っていた期間はあったが、その後ほどなくして正式な学校教育を受けなくなった」と説明した。病院で彼を聴取したウォーターベリー警察の刑事スティーヴ・ブロウネルは、「ホロコーストの生還者のように見えた」と表現する。
2025年3月末、男性の継母キンバリー・サリヴァン(57)は罪状認否のため、ウォーターベリー上級裁判所に出廷した。彼女は誘拐、暴行、虐待、不法拘束、無謀な危険行為の罪で起訴されている。すべての罪で有罪判決を受けた場合、終身刑に服する可能性がある。3月末の審理で、彼女は無罪を主張した。
キンバリーの弁護士イオアニス・カロイディスは取材に対し、「断固として間違ったことは何もしていない、というのが被告人の主張です」と言う。そして、男性の実父クレッグ・サリヴァン(2024年1月に死亡)に非があると訴えた(実母は、短期間婚姻関係にあったクレッグに親権を渡していた)。
「検察側は、まるでキム・サリヴァン氏がすべての決定を下したかのように見せかけている。男性が学校を退学したのも、何を食べて何を食べないかも、医者に行く日時もすべて彼女が決定していたと言っているのです」とカロイディスは続ける。
「男性の実の母親でもないのに」
カロイディスは4月初旬に行った記者会見で、継母に監禁されていたという男性の申し立てに異を唱えた。
「手錠は? 鎖は? 拘束された痕跡は? どこにもないじゃないですか」
多くの人が男性の身の上を案じていたにもかかわらず、どうして今回の事態にいたってしまったのか?
バーナード小学校の校長だったトム・パノーンは、2001年に同校に入学した男子生徒に感じた異様さをいまもよく覚えていると振り返る。
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