「中道改革連合」の「中道」って何? 58年前、その答えを池田大作創価学会第三代会長が松本清張に語っていた
立憲民主党と公明党による新党の名前が「中道改革連合」と発表され、「中道」という言葉が注目を集めている。 【画像】池田大作創価学会第三代会長と対談した松本清張氏 そもそも「中道」とは何なのか? 『清張が聞く! 一九六八年の松本清張対談』 (文藝春秋刊)の中で、松本清張が「公明党は保守か革新か?」と切り込み、当時40歳の池田大作創価学会第三代会長が「中道主義」について語っている箇所を紹介する(対談の初出は『文藝春秋』1968年2月号)。
松本 少し現実的な問題になりますが、これから公明党はさらに伸びて有力政党になる可能性がある。与党絶対過半数という現在の勢力率が破られるときがくる。 池田 そうなるとうれしい。松本さんは推理作家だからあたるだろう(笑)。 松本 そうすると、公明党がキャスティング・ボートを握る……。 池田 なりたいもんですね。 松本 なるでしょうね。そこでお聞きしたいのですが、池田さんはいわゆる是々非々主義ということをいわれる。一つの法案でもあくまで庶民のためを考えて通すべきだ、あるいは通すべきでない、という理想を貫こうとする。それは大変にけっこうなことだが、残念なことに議会では政党間の取り引きというものがある。 池田 ありますね。 松本 これまでの野党は、そういうことをやってきた。ある法案に対して国民の手前、議会で最後まで反対はするけれども、最後には通してやる、などという取り引きをしている。公明党はああいうことはやらないように、願いたい。 池田 わたしもそう思っています。 松本 それからもう一つ、国民はせっかちなんです。公明党は保守か革新か、すぐレッテルを貼りたがる……。革新的性格でも、公明党は社会党右派に近いのか、左派に近いのか、あるいは共産党に近いのか。それから、公明党は日蓮の教訓に従って活動するというが、鎌倉時代の状況の中で日蓮によって書かれたものが、現代にどれだけ真理が生かされているか。 マルクス、エンゲルスの予見でさえすでにあわなくなっているという人がある。そういうように、予見というものは、非常にむずかしいものなんですがね。 池田 日蓮大聖人がお書きになったものが七百年前といわれますが、キリスト教はもっと前でしょう。儒教もおなじだ。蓮のタネも、二千年たって初めて芽をふき、パッと咲くことがありますね。それと同じように、原理というものはあくまで原理、応用はどこまでも応用です。仏法の場合も、原理は不変真如の理であり永久に変らず、応用は随縁真如の智であり、両者は根本的に立て分けてあります。つまり社会の動静を見きわめて、どうすればいちばん民衆の幸福になるか、それに適応するように知恵を発揮していく。こういう方程式なんです。 だから、信仰はエンジンであって、それ自体が政治、教育などに出るものじゃない。その必要はない。時代相応に最も民衆が欲する方向に実践していく。そこには少しも不合理はありません。 それからもう一つは、先ほども申したように、政治は政治の分野ですから、国民のため、大衆福祉にどれだけの成果をあげたかということによって、政党のよしあしがきまる。それだけのことです。 政党はあくまで政党として、どう国民に評価されるか、これが急所であり、根本です。保守、革新というが、保守にしろ革新にしろ、国民不在で単なるレッテルになりさがっていることだってある。 松本 そうすると、だいたい現在の秩序、体制に対しては否定的? 池田 なんでもかでも否定するものではない、あくまでも中道政治です。 松本 中道政治といってもね、今まで、われわれはそういう政策を標榜した「中間政党」をいくつか知っています。それは成功してないだけでなく、結局は他の政党に吸収されてしまった。そのつど、国民は「中道政治」の政党に裏切られてきたんです。公明党もそれと同じイメージになる。中道とか是々非々とかいうことばよりも、公明党にもっと明確で具体的な理論がほしい。