「俺らもおじさんになったけど」男子バレー“BBQ決起集会”でポツリ…“今年30歳”石川祐希、小野寺太志、大宅真樹が思い出す12年前の夏「ある事件が…」(Number Web)
しかし、第1、2セットをともに23ー25で競り負けると、大宅は第3セットで交代を命じられる。1歳下のセッター永露元稀がコートに入ると、同じく途中出場組の富田将馬やこの日のチーム最多23得点を挙げた宮浦健人の活躍で日本はフルセットの末に大逆転勝利を飾った。 交代後もベンチで常に声を出し、サーブ時には手拍子でチームを盛り上げた大宅は「チームが勝つことが大事だったので勝ててよかった」と安堵しながらも、素直な思いを口にした。 「替えられた悔しさはめちゃくちゃあります。何で? って気持ちもあったし、自分自分に対しても正直、怒りというか、腹立たしさもあったんですけど、それをベンチで出す必要はない。チームの中でどう評価されるか、そのために何ができるかを考えて行動に移せるようになったのは、自分の中では成長できたことだと思ってます」 悔しくても顔には出さず「チームのために」と徹する。12年前、石川と小野寺と共に日の丸を背負った時の大宅では考えられない言葉だった。 2013年初夏、メキシコで開催された世界ユース(U19)男子バレーボール選手権大会。その中に、高校3年の石川、小野寺、大宅がいた。 すでに全国制覇を経験した石川はチームのエース、大宅もセッターとして前年のアジア選手権では主軸を担った。一方、中学まで野球部だった小野寺はバレーボールの経験が浅く、当時を「素人時代」と笑いながら回顧する。 「僕があまりにできないから、祐希はいろいろ親切に教えてくれたし、“あの頃”は優しかったんですよ(笑)。プレーは同世代ではダントツ。でもバレー以外は抜けているところもあって。大宅は常にお調子者。よく考えると、今もそこはあんまり変わっていないですね」 日本代表とはいえ、思春期の青年たち。指導者はさぞ手を焼いたのだろう、と思いきや当時のチームを率いていた本多洋は「純粋で、純朴そのものだった」と回想する。 「バレーボールだけでなく食事やトレーニング、ストレッチもちゃんとやる。こちらから言わなくても、自分たちからやる子たちばかり。バレーボールに対して、まっすぐな選手たちでした」 ただ、12年前の姿を少しずつ掘り起こしていけば、さまざまなシーンが蘇ってくる。 恵まれた体躯をもちながら、試合に出場し続けてもなかなかコート内での動き方がわからず、ネットの周りでラリー中にぐるぐる回る小野寺。練習でも試合でも「俺を出せ」とばかりにギラギラした熱や負けん気を隠さない大宅。バレーボールに対して真面目で誰より貪欲でありながらも、疲れがたまったり、気乗りしない時にはサボりがちな石川。 本多が特に「今でも忘れられない」と振り返ったのが、世界ユースの1次リーグ最終戦、キューバとの試合前の出来事だ。 「ユニフォーム、間違えました」 試合会場で背番号9をつけるはずの石川が手にしていたのは、間違えて持参した背番号6のユニフォーム。登録された背番号以外のユニフォームでは試合に出ることはできないため、チームマネージャーが慌てて宿舎に戻ったが、試合開始の時間は刻一刻と迫っている。本多はウォーミングアップをする選手を見ながら「石川抜きでどう戦うか」と考えを巡らせていた。 ユニフォームが届いた、と知らせが届いたのはコートに入場する1分前。大急ぎで着替えてなんとか事なきを得たが、試合はストレート負け。1次リーグを1勝3敗と負け越した日本は下位グループでの順位決定リーグに臨むこととなった。