59歳・川上麻衣子さん、95歳父のスマホ買い替えと八ヶ岳での「不便な環境」での気づき。「年齢に合った豊かさを見つけたい」(ESSE
いやはやもう、この状況、少なくとも高齢の父にとって「便利」とは言いがたい結果となっています。 けっして他人事ではなく、これからさまざまなことやものは進化を続けていきます。20年後30年後にもし私が生きていたとするならば、さらに簡単な操作で複雑なものを扱えるようになったとしてもきっと「宝の持ち腐れだわ」と私もつぶやくに違いありません。 私自身、便利にするために開発されたはずのものに、不便と感じてしまうことはすでに多々あります…。 自宅のインターネットが突然つながらなくなったときでも、どこに相談すればよいのか問い合わせの電話番号を探すことにまずひと苦労し、やっとのことで電話をしてみれば、音声ガイダンスの長い行程に導かれます。 最近では会話形式で返答を求められるため、人前ではなんとも恥ずかしい発声をしなければならないこともあります。 変化に追いつかねばならないとはわかりつつも、すぐに対応できない現実があります。
そんな中、父のスマホ問題からまもなくして、先日仕事で八ヶ岳に長期滞在をすることとなりました。 たまたま宿泊場所にはテレビがなく、周りは静かな森に包まれていて、いちばん近いコンビニまでも歩いて40分という場所です。 はっきり言って「不便」な場所と言えるかもしれませんが、なんとその心地のよいこと! 1日の時間がゆったりとしていて、スマホはつながる環境でしたが、なるべく触らないことに。その時間は読書に代わり、緩やかなデジタルデトックスを味わうことができました。
八ヶ岳での数日間で感じたのは、「不便な環境は、意外と豊かなのかもしれない」ということ。 私たち昭和世代は、世の中がみるみると便利になっていく過程を肌で感じ、ワクワクと若い頃に過ごしてきました。 新しい機械が出るたびに飛びついては、進化した機能に興奮したものです。それなのに、正直なところ進化する事柄があまりにも多くなり、この環境に少し飽きてしまいました。ちょうどよい加減の時代は、瞬く間にとおり過ぎた気がします。 若い頃は手先が器用で、どんな機械も分解してでも修理してくれた父が95歳になって抱えるジレンマは必ず私にも生きていれば訪れる現実です。 ならばまだ猶予のある今、敢えて不便を探して日々を生きてみるべきなのではないだろうか。自炊の中でのひと手間であったり、外出前に目的地をスマホではなく地図を広げて場所を確かめてみたり。 便利さよりも豊かさを求めて、年を重ねたいと痛烈に感じたのです。なぜなら、長く生きていれば私の肉体そのものが、いずれ不便になっていくことは免れないのですから。 そのことをきっと受け入れられることができるように、豊かに今このときを積み重ねたいと思っています。
川上麻衣子