世界を徒歩で巡る壮大な企画。ピューリッツァー受賞米ジャーナリストが日本の田舎で驚いた「普通ではない」光景

人類はアフリカで誕生し、そこから世界各地に広がっていったーー。

この仮説における人類の拡散ルートを歩いて辿るという壮大なプロジェクト、「Out of Eden Walk(アウト・オブ・エデン・ウォーク)」が現在日本を縦断中だ。

ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストでありナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探検家)でもあるポール・サロペック氏が2013年にアフリカのエチオピアからスタートしたこのプロジェクト。人類が最後に辿り着いた場所と言われている南米大陸最南端のティエラ・デル・フエゴまで、全長約3万8000キロを歩く。

この旅の目的は、日々のトップニュースの陰で見落とされがちな身の回りの人々のストーリーを、ゆっくり時間をかけて丁寧にすくい上げる「スロージャーナリズム」の手法で取材し発信すること。そしてそれらのストーリーを通じ、現代社会で起こっている気候変動や移民、文化の存続などのテーマと結びつけ、世界の人々に関心を持ってもらうことだ。

サロペック氏はすでに、アフリカから中近東、中央アジア、南アジア、そして中国、韓国と、各国現地のウォーキングパートナーと共に、13年かけ約2万6000キロを踏破してきた。

そして2024年9月、韓国から船で日本の福岡に上陸。そこから東京を経て横浜を目指す1400キロの徒歩の旅をスタートした。まだ「語られていない」ストーリーを求め、メジャーな都市やルートを避け、訪問者など来ないような農村部や田舎を選び歩み続けている。

現在関東圏に向けて足を進めているサロペック氏は4月23日、東京でナショナル ジオグラフィックの特別イベントに登壇。プロジェクトの意義や日本での旅の感想、これまでの旅路で目にしてきた地球環境の変化などについて語った。

会場に拍手で迎えられたサロペック氏は、落ち着きのある雰囲気で、語り口も柔らかい。彼を知る関係者がみな口を揃えて称賛していた人柄が伝わってくる。

アメリカ生まれメキシコ育ちのサロペック氏はこれまで、作家・ジャーナリストとして50カ国以上を旅しており、人類遺伝学とコンゴ戦争に関する報道で2度もピューリッツァー賞を受賞している著名なジャーナリスト。加えて、過去には商業漁師や金の採掘、牧場経営をしてきた経験もある。

世界中でさまざまな状況や経験を乗り越えてきたからだろうか、どこか達観した雰囲気を持つ。

そんな彼は日本の田舎道を歩きながら何を感じたのだろうかーー。

「日本の田舎の静かな景色は、皆さんにとっては普通の光景かもしれない。でも海外の人は、村ではもっと『音』がしているはずだと思うでしょう。だから美術館のように静かなのは、海外の人にとって『普通』じゃないんです」

4月末のイベント時点で、西日本を中心にすでに1200キロ歩いてきたというサロペック氏は、こう語る。

「9月半ばに九州を歩き始めた時、まだとても暑かった。農家にインタビューをしたけど、みんな70歳以上。これも皆さんにとっては普通かもしれないけど、海外の視聴者にとっては驚きです」

サロペック氏は日本の王道ルートをさけ、小さな農村部などを歩いている

同時に、地域で代々受け継がれる農業や芸術分野での豊富な知識、そして地方の人々の、自立した自給自足の生活に感銘を受けたという。

「日本の田舎で見た自給自足の生活は素晴らしい。もし最後の村人になったとしても、苦境も乗り越えていけるという自信を感じた。世界にはそういうところばかりではありません」

日本に住んでいると「当たり前」すぎる光景だが、それは決して世界のどこにでもある景色ではないのだ。

日本を歩くサロペック氏(右)と日本でのウォーキングパートナーを務める写真家の郡山総一郎氏(右)

一方、世界の人々の間には驚くほど共通点もあるという。

「私は長い間国際ジャーナリストとして活動してきましたが、日本の九州で出会った人と話しても、エチオピアの羊飼いと話しても、彼らの話すことはだいたい同じです。誰かにもっと愛されたいとか、なぜもっと愛されないのかとか、子どもの将来の心配や嫌いな上司の話などです」

「そして、気候変動について話すことも増えています」

世界の気温は2年連続で過去最高を更新。世界各地で異常気象が観測されている。

「気候危機はすべての場所で、現在進行形で起こっています。想像もつかないような場所でもね。気温が上がっているだけでなく、寒くなっている場所もあるし、大雨や逆に干ばつなど、予測できなくなっている。カザフスタンの気候科学者であれ、インドの農業専門家であれ、天候が異常でそれが大きな問題であることをみんなが話しています」

サロペック氏も、これまでの旅路で気候変動の影響を多々目にしてきたという。

「カザフステップ(カザフ草原)ではかつてないほどの大雨が降り、地元の年配者でさえ何か分からないような新たな植物が生えてきている。そして動物たちは湿地を歩けず餌を得られず、死んでいっています」

エチオピアを歩くサロペック氏を囲む子どもたち

日本でも、サロペック氏がインタビューした農家の何人かは、この熱波の中働き続けられないと、暑さが理由で引退を決意したと言っていたという。

サロペック氏はこうした動きも含め、気候変動による日本の食糧危機を危惧している。

「農家は早期に危機の予兆を察します。農家の人々は、気候変動によって米の品質が下がるだけじゃなく、収穫量も減っているという。これが加速すれば、人々は米の代わりを探すことになるでしょう。米以外を主食に生活することを強いられるかもしれないし、インドネシアのような海外からの輸入に頼るようになるかもしれない。これらは複雑な政策上の問題で私に答えはわからないが、歩きながら目撃したことです」

実際に2024年夏にはコメ不足により価格高騰が起こり「令和の米騒動」と騒がれた。その影響は今現在も続いており、備蓄米の放出が始まるも、流通が滞り価格が下がらずにいる。

2025年3月30日に東京で行われた令和の百姓一揆。原宿駅前を走るトラクター

すでに日本の農業は危機的状況にあり、東京では3月末、農家や酪農家などの生産者と消費者らが約4500人集まり、「日本の食と農を守ろう」と訴える「令和の百姓一揆」が行われた。この日のデモは沖縄から北海道まで全国14カ所で行われ、一揆では持続可能な農業のための所得補償や食料自給率の向上などを求める声が上がった。

エチオピアを出発し、これまで約2万6000キロ歩いてきたサロペック氏。様々な気づきがあった中でも、1番の驚きは、「僕ら人間がどれだけ世界を変えてしまったかということ」だと話す。

「人々は、スマホで『自然』と調べて出てくる画像を見て、世界にはまだどこかに手付かずの自然が残っているという印象を受けるでしょうが、アフリカから東アジアまで歩いてきた僕の経験では、手がつけられていない自然はほぼ存在していなかった。これまで4000日以上道中で過ごしてきたが、人の手に触られてない『ありのままの自然』で過ごしたのは、たった20日か30日ほどでした」

どこにでもプラスチックが落ちていて、サウジアラビアの砂漠のど真ん中にも風に飛ばされたゴミが舞っていたという。

南部アフリカの狩猟採集民族サン族

日本も含め、開発が大きく進んだ国では、自然のように見えるものも実際は本来の姿ではなく、樹木の構成や生物多様性などにも私たちの指紋が残っているのだと語る。

「それは大きな発見でした。朝起きて、僕らはどこに向かっているんだろう、と思い、胸が締め付けられます」

日本の都市部など、便利な暮らしに慣れてしまうと、私たちの日々の生活がどのように成り立っているのかまで考えることはあまりない。しかし、今こそ考え始めるべきだという。

「都市部に住む人が500キロ離れたところでどうやってりんごが生産されているか知らないことは、悪いことではありません。それはあなたにとっては自分の収入がどこからくるのかの方が重要かもしれない」と話す。

「でも問題は、気候危機がりんご生産地に影響を及ぼし始めると、りんごを求めて他国とも競争することになる。今の世界はそれぞれ繋がっていて、お互い資源に依存している。だから給料だけでなく、りんごがどこから来ているかも学び始めた方がいいでしょう」

「私たちは豊かな時代に生きていますが、それは非常に繊細なことなんです」

ハフポストのインタビューに応えるサロペック氏

サロペック氏はまた、都市が維持でき、成長し続けることができる現状は、都市から遠く離れた場所から資源を採取する巨大なエコシステムとインフラの上に成り立っているということを、旅の中で学んだという。

「今こそ、自分が使っている水がどこからくるのか...それはサステナブルなのか...そういったことに注意を向けるべきです」

サロペック氏は今、日本での最終地点・横浜に向けて歩みを続けている。

5月末に横浜から貨物船でアラスカに向けて出発するという。

「本来の人類拡散ルートを辿るならシベリアに向かうべきですが、ウクライナでの戦争のため、アメリカ人ジャーナリストとして今ロシアに行くのは安全ではないのです」

サロペック氏はがっかりしているというが、それも「ストーリー」だと受け止めている。

政治や火山の噴火など、いろいろなことが起きたら曲がり道をしなくては行けない。曲がり道も、そのストーリーの一部なんです」

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