富士山に唯一麓から登れる「吉田口登山道」復活へ…1707年に建てられた中ノ茶屋リニューアル

 7月1日に解禁予定の山梨県側の富士登山。有料道路「富士スバルライン」を車で上り、5合目から山頂を目指すのが一般的だ。しかし、スバルラインの完成までは、登山者らは麓からの登山道を利用しており、かつては行者らでにぎわっていたという。今はすっかり荒れ果ててしまったこの古道を復活させて多くの人を呼び込もうと、富士吉田市などが動き始めている。(涌井統矢)

 「吉田口登山道は麓から登れる唯一の登山道で、歴史と文化が色濃く残る」

 5月16日、登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社と1合目の中間地点にある休憩所「中ノ茶屋」前で、同市の堀内茂市長が、力強くあいさつした。

 この日は、リニューアルオープンした中ノ茶屋の発表会。1707年に建てられ、富士山を信仰する「富士講」の行者らの登山を支えてきたが、近年は利用客が減少し、存続が危ぶまれていた。

 市では3月、富士山周辺の活性化を目的にフランスのアウトドアブランド「サロモン」を展開するアメアスポーツジャパン(東京都新宿区)と包括連携協定を締結し、第1弾としてリニューアルに着手。内装を一新して、1階には同ブランドのハイキング用シューズのレンタル場を設けたほか、2階には登山者が利用できるシャワーを2基設置した。

 堀内市長は「富士山の入り口でもあるので、きれいに整備して多くの方に来ていただきたい」と期待を込めた。

■建物老朽化が深刻

 市歴史文化課によると、富士山では、1964年にスバルラインが開通するまでは、登山者らは麓から吉田口登山道を登って頂上を目指していた。麓から5合目まで約11キロの道沿いには多くの山小屋や茶屋が並んでいたという。

 しかし、開通以降は5合目から山頂を目指すのが主流となり、麓からの登山者は激減。山小屋や茶屋は、営業が立ちゆかず軒並み廃業し、維持管理ができなくなった登山道の建物や神社は老朽化や損壊が深刻化していた。

 市では建物の解体撤去など景観整備を図ってきたが、土地や所有者の権利構造の複雑さなどから制限も多く、対策が打てずにいた。

■信仰の歴史など発信

 状況を打開しようと、市では2023年度、国や県、有識者を交えた委員会を設置。山小屋所有者らからも意見を聞きながら、2年かけて「富士山吉田口登山道保存と活用のための活動計画」を策定した。

 34年度までの10年間で、倒壊の恐れがある1合目の鈴原社の整備や復元、4合5 勺(しゃく) の御座石浅間神社の待機所としての再整備を進めるほか、倒壊が懸念されるほかの建物についても、所有者らと協議しながら、補強を行っていく。

 富士講らを世話した「 御師(おし) 」の町(現在の市街地)と登山道を連動させたイベントも展開し、麓の登山道の認知度向上や活性化を図っていく。

 今秋には継続的な協議体も設置予定といい、同課の沢柳幸司課長補佐は、「富士山信仰を体感できる登山道を伝承していきたい」と強調する。

 アメアスポーツジャパンとも、同社の培ってきたノウハウを生かしながら登山道の価値を高めていく考えで、富士山信仰の歴史、麓よりの神社などの建造物などに関する情報発信を強化していくほか、環境保全などを通して県内外に登山道をPRしていく。

 同社のショーン・ヒリアー社長は「富士山の麓の美しい自然や文化にも目を向けてもらえるよう、新しい風を届けていきたい」と話した。

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