「あやまちと裏切り」 戦争責任問い続けた詩人と日の丸
日の丸の旗に戦争を想起する人は、戦時下の体験者が少数派となった今、もはや多くはないだろう。
とはいえ国旗とは国のシンボルであるからこそ、そこには歴史の負の記憶も染み込んでいる。
国旗損壊罪を創設する新法を巡る議論に「あの詩人が存命だったら」と思う。
原爆の惨状と生命の尊さをうたった「生ましめんかな」で知られる栗原貞子さん(1913~2005年)は、自らの被爆体験を基に核兵器の非道を告発するにとどまらず、日本の戦争責任を問い続けた。
75年に書かれた「『旗』(二)」は、こう始まる。
日の丸の赤は じんみんの血/白地の白は じんみんの骨
日章旗(日の丸)をアジア侵略戦争の象徴とみた詩人の筆致は鋭い。
高市早苗首相がこだわる国旗損壊罪を巡っては、自民党のプロジェクトチームが条文案に「国民の自由と権利を不当に侵害しない」と留意事項を盛り込んだ。わざわざ言及すること自体が、表現や思想の自由に抵触しかねない法の性格を表しているかに思える。
ひとたび法律になってしまうと、実際に旗を傷つける行為を罰するだけでなく、日の丸に批判的な言動や表現活動までも萎縮させられないか。国家による統制の強化と同調圧力の高まりを懸念するのは、飛躍が過ぎるだろうか。
「今こそ栗原さんの思想に向き合う時ではないか」
広島市内で5月30日、没後21年になった詩人を追悼する市民集会(広島文学資料保全の会主催)があった。パネリストを務めた原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)代表委員の金子哲夫さん(77)は、苦い思い出を明かした。
90年12月20日、広島県議会は自民、社会、公明、民社4党の会派(党名は当時)が共同提案した「国旗『日の丸』掲揚に関する決議」を可決した。広島開催を4年後に控えていたスポーツの祭典・アジア競技大会に向けて、日の丸掲揚の促進を図るものだった。
平和と護憲を旗印にした社会党(現・社民党)を熱心に支援していた栗原さんは怒った。…