「一体、何カ国首脳と」…皇室の伝統と威力、改めて感じ入る 南アの英雄マンデラ氏追悼式 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(55)

ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の公式追悼式の会場に到着された皇太子時代の天皇陛下(中央)と岡村善文氏(左)=2013年12月10日、ヨハネスブルク(AP=共同)

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。50歳の若さで大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。

「復讐」にあらず…

反アパルトヘイトの闘士、ネルソン・マンデラ氏を世界中が悼んだ=南ア・ヨハネスブルク(岡村善文氏提供)

《南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が2013年12月5日、死去した。反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動に従事し、1962年に逮捕・投獄されながら屈せず、獄中から27年間活動。90年に釈放され、翌年にデクラーク大統領とともに政策撤廃を実現。93年、ノーベル平和賞を2人で受賞した》

マンデラ氏は世界の英雄です。94年の選挙で黒人初の大統領に就任すると、自身を苦しめた白人への「復讐」ではなく、白人との「融和」を訴えた。忍耐、不屈、寛容、未来志向の姿は、世界の人々に感動と共感を生み出したのです。

追悼式の準備、大混乱に

《追悼式が5日後に行われることになった》

日本からは皇太子殿下(今上天皇陛下)が出られることになり、私は外務省アフリカ部長として、参列の責任者となりました。

特別機でヨハネスブルクに到着された皇太子殿下と、首席随員の福田康夫元総理を前にして、吉沢裕駐南ア大使は心配な表情を見せていました。

福田康夫氏

南ア側の準備が混乱し、首脳たちの接遇の段取りについて、まともに説明を受けていない状態だったからです。入場パスすら発行されていない。

すると、皇太子殿下は直ちに言われました。「それなら、早く会場に入ってしまいましょう」

私が「それでは、会場内で殿下を長くお待たせすることになります」と説明申し上げても、「早く行ったほうが良いでしょう」とおっしゃる。このため、式典開始の1時間以上も前に、会場に到着することになりました。実は、このご決断は「大正解」だったのです。

ガラス張りの貴賓室

《会場の巨大なサッカー競技場は超満員だった》

首脳たちには、厳重な警備のもと、会場を見下ろせるガラス張りの貴賓室が用意されていました。

ところが、貴賓室の入り口を仕切る南ア当局者から、「皇太子殿下と福田総理しか入れない」と言われてしまったのです。吉沢大使や警護官、宮内庁の関係者は入れてもらえません。私はこのため、「殿下と福田総理の案内をする必要がある」と言い張りました。

まだ式典開始の1時間も前。到着する首脳もまばらでした。南ア側は余裕があったのか、「仕方ない…」と私を入れてくれました。

貴賓室の入口、阿鼻叫喚

中で待っていると、案の定、混乱が始まった。開始時間近くになると、貴賓室の入り口は、阿鼻叫喚の状態となりました。

各国首脳の一行が着いたのに、首脳しか入室を認めてもらえない。「私たちも一緒に入れろ!」。随行者や警護官が同行しようとして大騒ぎになった。それでも南ア側は絶対に認めない。

もし私たちがこの時間に到着していたら…。混乱に巻き込まれただけでなく、他の首脳たちと同じ扱いで私は入れず、殿下をお支えすることができなかったでしょう。

貴賓室は壮観

クリントン元米大統領夫妻=ワシントン(AP=共同)

《それでも、南ア側の担当者が近づいて来て、「首脳参列者以外はそろそろ、出て行ってくれ」と言ってきた》

私は「殿下の通訳が必要だ」と答えました。しかしその横で、皇太子殿下が英語で、ローリングス元ガーナ大統領と話しておられる。「フランス語も必要だ」。私がとっさにこう言うと、しぶしぶ許めてくれました。

各国首脳しかいない貴賓室は実に壮観でした。米国からはオバマ大統領、クリントン元大統領夫妻、カーター元大統領が参列した。

英国からは、チャールズ皇太子とキャメロン首相。その横で、フランスのオランド大統領とサルコジ元大統領が何やら話し込んでいた。

チャールズ英国王(左)も皇太子時代、マンデラ氏の追悼式に参列した(AP=共同)

アフリカからは、ほとんどの首脳たちがいた。約半年前、横浜で開催したアフリカ開発会議(TICAD)で顔を合わせた大統領たちと再会しました。

皇太子殿下は、ほとんどの首脳らと過去に何らかの形でお会いされ、話し掛けてきた彼らと気楽にお話しされていました。

「殿下を見失うとは切腹ものだ!」

《ところが、岡村氏が少し気を許したすきに、皇太子殿下を見失った》

「殿下を見失うとは切腹ものだ!」

福田総理から、叱責の声が飛びました。青くなってお探しすると、個室のような場所から、出てこられたのです。

殿下は実は、オランダ国王夫妻、ベルギー国王、ノルウェー皇太子、スウェーデン皇太子、デンマーク皇太子といった方々が集まっていた場所を見つけ、旧交を温め、仲良く歓談しておられたとのことです。「王室の絆」は強いのです。

《式典がいよいよ始まった。首脳らは貴賓室の外に移るよう促され、貴賓席に座った》

南アのズマ大統領、オバマ大統領の追悼演説が始まった。氷雨が降る寒い日。演説は何人にも及んだ。

マンデラ氏を尊敬してやまなかったオバマ米大統領は、感動的なスピーチで人々の涙を誘った(岡村善文氏提供)

「しくじった…」

なかなか終わらないある首脳の演説に私はうんざりし、殿下に「寒いですし、そろそろ貴賓室に戻られてよろしいのでは」と声掛けしました。

殿下は言われました。「少なくとも、この人の演説が終わってからにしましょう」

「これはしくじった」。殿下に降参です。殿下のお言葉通り、演説の途中で席を立つと、意図しない意味に取られかねない。殿下に外交官の基本を正された気がしました。

外交力、ひそかに感嘆

《追悼式典は、90人を超える現職の国家元首、王室をはじめ、元首脳たち、国連事務総長など、名だたる世界の指導者たちを一堂に集めた荘厳なものになった》

私はマンデラ氏の足跡を振り返り、世界の平和・融和に向けた彼のメッセージに耳を傾けました。と同時に、「皇太子殿下は一体、何カ国の首脳と親善を深められたのか」と、殿下の外交力にひそかに感嘆しました。そして、そもそも日本の皇室外交の伝統と威力はとてつもない資産だと、つくづく思ったのでした。(聞き手 黒沢潤)

<おかむら・よしふみ> 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICAD(アフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。

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