A級戦犯の素顔は…93歳の現代史家・秦郁彦さんが語る東京裁判
「ははあ、あのへんが裁判官の席」
天井の高い室内を見回しながら、現代史家の秦郁彦さん(93)はつぶやいた。
2025年12月、東京・市ケ谷の防衛省。極東国際軍事裁判(東京裁判)が行われた法廷に、秦さんは立っていた。
満州事変から太平洋戦争までの日本の政治的・軍事的指導者を戦勝国が裁いた東京裁判は、1946年5月3日に開廷した。
当時、秦さんは13歳。山口県で暮らす中学生だった。「秘められた歴史が次々に明らかになる。興奮しました」。やがて大学に進学し上京した秦さんは、裁判で有罪になったA級戦犯ら旧軍人へのヒアリングを始めた。
「まだ隠されている部分がずいぶん残されているなと直感した」からだ。
「平和に対する罪」が問われた東京裁判開廷から80年。今なお、世界で戦火は絶えない。
戦後日本の出発点ともいえる現場を秦さんと歩き、旧軍人の生の証言をたどった。
前中後編の前編です 中編:日独は軍事法廷をどう残してきたか(17日午前6時半配信予定) 後編:専門家に聞く「世紀の裁判」(24日午前6時半配信予定) <前編の主な内容> ・邪気のない荒木貞夫・元陸軍大将
・検察側証人、田中隆吉が見た「亡霊」
研究者のきっかけが「東京裁判」
「何回も来たことがあるんですけどね。初めてがいつだったのか覚えていないんですよ」
東京裁判が開かれた旧陸軍士官学校大講堂はかつての場所からほど近くに移築復元され、市ケ谷記念館として公開されている。法廷内に置かれた証言台を見つめ、秦さんは語った。
当事者への聞き取り、公文書や1次史料に基づき、歴史的事実を追究してきた日本近現代史の第一人者だ。「研究者になるきっかけになったのが東京裁判でした」
日本のポツダム宣言の受諾に基づき、米国や英国などの連合国側11カ国が日本の軍事・政治指導者の戦争責任を裁いた国際軍事裁判。東条英機元首相ら28人が「平和に対する罪」でA級戦犯として起訴された。
戦犯は、連合国軍総司令部(GHQ)が東京都豊島区に設置した巣鴨プリズンに収容された。裁判は46年5月から約2年半の歳月をかけ、48年11月に閉廷。戦時中、国民に知らされなかった軍部の謀略や戦地での残虐行為が次々に明らかになった。病死や免訴となった3人を除く被告25人全員が有罪判決を受け、うち7人が死刑となった。
「君も革命やらんか」
「裁判で明らかになっていない点を解明したい」
秦さんが東京大学に在学中の53年、休学してまで旧軍人たちへのヒアリングを始めたのはそんな率直な思いからだった。
裁判の終了から5年。前年のサンフランシスコ講和条約の発効で、巣鴨プリズンの管理はGHQから日本に移管されていた。戦犯との面会は自由で、週末は自宅に帰っている…