フランス「安楽死」法案下院可決 国民の大半賛成、自殺禁じるカトリック国で変わる死生観
自殺を禁じるカトリック信仰が根強いフランス議会下院で5月、不治の病気で耐え難い苦痛がある18歳以上の成人の自殺幇助(ほうじょ)を認める法案が可決された。宗教関係者からは法案審議に否定的な意見もあがったが、国民の多くが安楽死の法制化を求めるといった意識の変化も背景にある。関係者は「最後の一線を越えた」と評価するが、一方で、実施要件が曖昧との課題も指摘されており、今秋以降の上院での審議に注目が集まる。
「彼女は故郷のフランスで安楽死を望んだ。それはかなわなかったが、法案は彼女のような患者には希望になる」
2024年2月に隣国ベルギーで安楽死したフランス人、リディ・イムホフさん=当時(43)=の友人で、ベルギーに同行した元麻酔科医、ドニ・ルソーさんは語る。
先天性の全盲だったリディさんは、幼少時に半身不随となり、成人後に四肢麻痺(ししまひ)や原因不明の腸疾患「クローン病」に苦しんだ。さらに母親に虐待されて育った影響で心のよりどころもなく、死を望んでいた。
「彼女は心身ともに私たちに想像がつかないくらいに苦しんでいた。苦しみから逃れ、人としての尊厳を守るには安楽死しかなかった」。ドニさんは、外国人にも安楽死を認めるベルギーで最期を迎えたリディさんの思いを代弁する。
認知症患者は対象とせず
法案では、医師が処方した致死薬を患者が摂取する「自殺幇助」を想定。患者自身で意志表明▷不治の病が進行あるいは末期状態-など5要件を規定、例外的に患者が摂取することができない場合、医師が致死薬を投与する「安楽死」も認めた。
病気が進行した場合、安楽死を希望する事前指示書を残しているというシルヴィー・アンドレズさんただ、オランダなど一部の国では認められる認知症患者は時期尚早として対象外とされた。6年前、若年性アルツハイマー型認知症と診断された元看護師のシルヴィー・アンドレズさん(55)は「病気が進行すれば、家族は24時間体制で私を介護しなければならない。彼らが疲れ果てる前に、尊厳を持って死ぬことができたかもしれないのに…」と肩を落とす。
自己決定権を尊重する価値観が根差す欧州では、01年にオランダ、02年にベルギー、09年にルクセンブルクでそれぞれ安楽死を認める法律が成立した。
フランスでは交通事故で四肢麻痺となり、母親らの手を借りて自殺した青年の訴えを受けて、05年に望まない延命治療を行わない「尊厳死」が法制化。16年にさらに踏み込んだ内容に法改正されたが、宗教界からの反対もあり安楽死は認めなかった。
越えた最後の一線
安楽死法制化の流れが顕在化したのは23年以降。マクロン大統領が重要政策に掲げ、24年に病気などで耐え難い苦痛がある成人の安楽死を認める法案を発表した。同年6月の欧州議会選に絡む政局の余波で審議は暗礁に乗り上げたが、今年3月に再審議が始まった。
背景の一つが、多くの国民の支持だ。24年に実施された世論調査(有効回答2527人)では、92%が「安楽死を認めるべきだ」と回答。国民が法制化を支持する現状が明らかになっていた。
医師や倫理学者らによる国の独立機関「CCNE(国家倫理諮問委員会)」も22年に政権の諮問を受け、安楽死に肯定的な意見を答申。自らもカトリック教徒だというCCNEのジャン・フランソワ=デルフレシ会長は「フランスはカトリック国だが、毎週教会に行く人も少なくなるなど、時代とともに宗教的価値観も変わりつつある」と説明、安楽死について宗教家と一般信者らの意識は異なると話す。
下院での採決は賛成305、反対199と割れている。それでも、フランスの法制度に詳しい衣笠病院(神奈川県横須賀市)の武藤正樹医師(76)は「これまでの宗教的価値観に基づいた最後の一線を越えた意味は大きい」と指摘する。
法案は今秋にも上院で審議されるが、5要件の解釈が医師に委ねられることに対する懸念もあり、成立に向けて混乱は続きそうだ。(小川恵理子)