「間違いなく成長した部分がある」川辺駿がサンフレッチェ広島に帰ってきた理由。「6番を背負って本当によかった」【コラム】
2025JリーグYBCルヴァンカップ準決勝第2戦、サンフレッチェ広島は横浜FCに2-1で勝利し3シーズンぶりの決勝進出を決めた。ボランチとして出場した川辺駿は、攻守両面で黒子に徹しながらも確かな存在感を放った。意外にも広島でタイトル獲得経験の無い川辺は、今季青山敏弘氏から受け継いだ背番号「6」に込められた思いを胸に、チームをタイトル獲得に導く。(取材・文:藤江直人)
「この背番号をつけてから…」
レジェンドと交わした約束をかなえるチャンスを手繰り寄せた。
ホームのエディオンピースウイング広島に横浜FCを迎えた、12日の2025JリーグYBCルヴァンカップ(ルヴァン杯)・プライムラウンド準決勝の第2戦を2-1で制し、2戦合計4-1で決勝進出を決めた直後。今シーズンからサンフレッチェ広島の「6番」を背負う川辺駿はこんな言葉を残している。
「この背番号をつけてから、僕のなかで間違いなく成長した部分がある。本当は昨シーズンに優勝してからつけたかったけど、それはかなわなかった。ただ、僕が広島に帰ってきた理由には、このチームでタイトルを獲る目標も含まれていたので、その可能性が出てきた状況をすごくうれしく思います」
百戦錬磨のボランチの記憶に、いまも色濃く刻まれている場面がある。昨シーズン限りで現役を引退した広島のバンディエラ、青山敏弘氏が引退セレモニーでこう語った瞬間だ。
「この場で歴史を繋ぎたいと思います。守ってきた6番のユニフォームを引き継いでもらいます、駿」
舞台は北海道コンサドーレ札幌に大勝した昨年12月1日のホーム最終戦。首位のヴィッセル神戸を勝ち点1ポイントで追う2位をしっかりとキープし、最終節での逆転優勝へ向けて、広島にかかわるすべての人々のボルテージが最高潮に達したなかで起こったサプライズだった。
実は青山氏が昨年10月に引退を発表した直後から、川辺は強化部にある直訴を繰り返していた。
「背番号6を引き継ぐのは自分しかいない」
「優勝したら来シーズンから『6番』をつけさせてください」
昨シーズンの川辺は「66番」を背負っていた。ヨーロッパへ新天地を求めた2021年7月まで背負っていた「8番」が、ベルギーのスタンダール・リエージュから完全移籍で古巣へ復帰した同8月の段階で空いていた。
それでも自らの強い希望で「66番」を選んだ理由を川辺はこう語っていた。
「広島における『6番』はものすごく大きい。それを目標にしたい、という決意を込めました」
広島のアカデミー時代から、川辺はトップチームの中心でまばゆい輝きを放つ青山氏の背中を追いかけてきた。
だからこそ、プロ4年目の2007シーズンから青山氏が背負い続け、いつしか象徴と化していた背番号へのリスペクトの念を込めて「6」を2つ重ねた。さらに川辺はこんな言葉も残している。
「背番号6を引き継ぐのは自分しかいない、という強い気持ちで広島に帰ってきたので」
川辺の熱い思いを伝え聞いた青山氏も心を震わせた。そして、川辺本人には伏せたまま、引退セレモニーのスピーチで『6番』の継承を電撃発表。想定外の事態に川辺はピッチ上で涙腺を決壊させた。
青山氏は「チームには優勝したら、と言っていたようなので……」と6番継承をこう語っていた。
「優勝する前に渡すから優勝してくれ、と。そういう思いで僕は託すし、それを託せる選手だと思っている。駿のプレーからは広島への思いが伝わってくる。これで駿がどうなるか、期待しながら見ていきたい」
しかし、昨シーズンのJ1リーグでは約束を果たせなかった。勝利だけが必要だった1週間後のガンバ大阪との最終節で一敗地にまみれ、湘南ベルマーレに快勝した神戸が連覇を達成して美酒に酔った。
悔しさを胸に刻んでから約10カ月。国立競技場での一発勝負という形で11月1日に行われる決勝進出を決めた広島の中心を担う川辺は、青山氏との約束をかなえた先をこう見据えている。
「自分が背負うのにふさわしい番号に…」
「シーズンを通して『6番』に見合うプレーができていると思うし、その意味でも優勝してタイトルを獲れて本当に自分の番号になるというか、自分が背負うのにふさわしい番号になっていくと思っています」
横浜FCとの準決勝第2戦。川辺は黒子に徹しながら、攻守両面でいぶし銀の存在感を放った。
試合は広島が開始10分に先制した。FWヴァレール・ジェルマンがゴールの右隅へ突き刺したPKをさかのぼっていくと、川辺の的確な状況判断に行き着く。
攻撃参加したDF塩谷司が出した縦パスにバイタルエリアで反応した川辺の思考回路には、瞬時にこんな考えが駆けめぐっていた。
「シオくん(塩谷)が自分にパスをくれたかどうかがわからなかったので、どうしようかと思いましたけど、自分が触れる範囲内にボールが来たので、とにかくボールをもらおう、と」
塩谷が放った強めの縦パスに対して、体の重心を左側へ大きく移しながら思い切り伸ばした左足でワンタッチ。目の前にボールを弾ませた川辺の視界の片隅にジェルマンの姿が飛び込んできた。
「すごくいい仕事をしてくれた」
「決定的なパスを出そうかなと思いましたけど、ヴァレ(ジェルマン)は危険な位置へ入っていけるし、周りを使うプレーもうまいので簡単に預けました。すごくいい仕事をしてくれたと感謝しています」
こう振り返った川辺が選択したのは、右足のアウトサイドを駆使した優しいパス。これをジェルマンがワンタッチで前方のスペースへ流し、飛び出した加藤陸次樹が背後から細井響に倒された。
しかし、第1戦を2-0で先勝していた広島にさらに突き放されても、クラブ史上で初めてベスト4へ進出している横浜FCもそう簡単にはあきらめない。
17分には広島のアカデミー出身の山根永遠が、ペナルティーエリアの外から豪快な無回転ミドルシュートを決めて第2戦を振り出しに戻した。
さらに32分には川辺とボランチを組んでいた田中聡が接触プレーで脳震盪を起こし、トルガイ・アルスランとの交代を余儀なくされた。中盤の守備の強度が落ちた広島に対して、横浜FCはアダイウトン、ジョアン・パウロ、櫻川ソロモンと個の力に長けたアタッカートリオを先発させていた。
さらに後半にはルキアンと鈴木武蔵も投入されたなかで、川辺は守備に重心を置き続けた。
「30代になるまでは…」
「自分だけじゃなくて、周りの選手たちにも守備の意識といったものを求めました。相手は個の力を活かしたプレーをしてきたので、1対1になりそうな場面ではできるだけ味方をサポートしよう、と」
1-1のままで迎えた75分に、途中出場のジャーメイン良が豪快なミドルシュートを一閃。これが決勝点となった広島は第2戦も制した。
チームにとって3シーズンぶりの決勝進出。しかし、セレッソ大阪に逆転勝ちして初優勝した2022シーズンのメンバーに、当時スイスでプレーしていた川辺は名を連ねていない。
ルヴァン杯だけではない。リーグ戦で連覇した2013シーズンは2種登録選手であり、3度目の優勝を果たした2015シーズンは開幕直前にジュビロ磐田へ期限付き移籍した。すれ違いもあって広島でタイトルを獲得した経験がない川辺は、それでもこれまでのキャリアのすべてが自身の糧になっていると振り返る。
「30代になるまでは自分の成長という部分を追い求めていたし、ジュビロやヨーロッパでプレーした時期も含めて、間違いなく自分にとって必要な環境だったと思っています」
そして、9月に30歳になった川辺は、かねてから描いてきた青写真を実行に移している。
「タイトルの獲得でしか…」
「そういった経験を成果として出して、タイトルに繋げていくのは30代になってからだとずっと考えていました。経験値的にも、年齢的にも、キャリア的にもそう思ってきましたし、タイトルの獲得でしか評価されないチームになってきたなかで、いいキャリアの歩み方ができていると個人的に思っています」
以前から節目にすえていたシーズンと「6番」の継承が偶然にも重なった。引退後はトップチームのコーチを務める青山氏との間柄を「お互いにそんなに多くは語り合わなくても、ある程度わかり合えている」と表現しながら、川辺は偉大なるレジェンドへこんな言葉をつけ加えている。
「あれだけの素晴らしい選手なので真似をするのは難しいですけど、自分もヨーロッパから帰ってきて個人的なプレーだけじゃなくて、チームを引っ張る意欲やメンタリティーを発揮できればと思ってきました。
そういう部分でもアオくん(青山氏)は常にチームに貢献してきたし、その意味でも今シーズンから『6番』を背負って本当によかったし、自分にプレッシャーをかけるうえでも大きかったと思っています」
取材エリアを後にする直前に、準決勝のもう1試合の結果が入ってきた。柏レイソルが大逆転で川崎フロンターレを撃破した一報に、川辺は「今度こそ勝ち切りたいですね」とこう続けている。
「リーグ戦では2試合とも引き分けだったので。もうオールコートマンツーマンでいきますよ」
決勝へ充実感をみなぎらせた一方で、累積警告による次戦の出場停止にリーチがかかっていた川辺は「イエローカードをもらわないのも、今日の僕のミッションでした」と胸をなで下ろすのも忘れなかった。
(取材・文:藤江直人)
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