安倍昭恵さんが遺族になってたどり着いた答え 元首相銃撃事件
元首相が選挙演説中に凶弾に倒れるという戦後史に例を見ない事件の裁判員裁判が奈良地裁で開かれています。
起訴された山上徹也被告(45)は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に家族を壊された恨みから安倍晋三元首相を銃撃したとされています。
事件では、発生直後から旧統一教会の存在がクローズアップされ、報道が過熱しました。
私は公判から事件の取材に携わるようになったのですが、教団の問題に隠れて、遺族が置き去りにされていると強く感じるようになりました。
元首相の妻としてだけでなく、殺人事件の被害者遺族として思いを聞かせてほしい――。その一心でした。
被告に対する検察側の求刑は無期懲役。2026年1月21日に判決が言い渡されます。
事件にはさまざまな見方がありますが、最愛の家族を奪われた遺族の視点からも考えてもらいたいと願っています。
毎日新聞デジタル10月26日の記事を紹介します。年齢・肩書きは当時のまま。
感情を閉じ込め、ほとんど泣くことができない3年間だった。
2022年7月8日、安倍晋三元首相(当時67歳)が凶弾に倒れ、死亡した。銃撃したとされる山上徹也被告(45)は、その場で身柄を取り押さえられた。
安倍氏の妻昭恵さん(63)は、政治家の妻としてどんなことがあっても動じずにいたいと自らに課してきた。しかし、予想だにしなかった悲報に、心は強く張り詰めた。
「銃で撃たれました」
いつもと変わらない朝だった。あの日、東京・富ケ谷の自宅で、夫、義母の洋子さんと3人で朝食を取った。当時は参院選のまっただ中。安倍氏は応援演説で全国を駆け回っていた。
「行ってきます」。笑顔で自宅を後にした安倍氏は、奈良市へ向かった。夫を送り出した昭恵さんは、自宅の大掃除に取りかかった。
数時間後、電話が鳴った。相手は事務所の女性職員で「銃で撃たれました」と告げられた。
テレビをつけると、混乱する演説会場の様子が映っていた。事態がよくのみ込めなかったが、「入院することになるだろう」と数日分の夫の着替えを携え、自宅を飛び出した。
奈良県内の病院に到着したのは午後5時ごろ。「手は尽くしました」。院長の言葉ですべてを悟った。
対面した夫に「晋ちゃん」と声を掛けた。手を握ると、わずかに握り返してくれたような気がした。
政治の会話ないままに こみ上げる後悔
そこから激動の日々が始まった。通夜に葬儀、国葬、山口県民葬――。普段は涙もろいのに、思いっきり泣くことができなかった。おえつする弔問客にも冷静に応対した。目の前の現実を突き放して見つめる自分がいた。
24年に洋子さんが他界。住み慣れた富ケ谷の家から引っ越すことになった。思い出の品を整理していて、安倍氏が子どもの頃に付けていた日記を見つけた…