『社会学評論「還暦社会」特集号』の「縁、運、根」
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(前回:『高田保馬リカバリー』の「縁、運、根」)
学外活動も業務のうち
大学で専任の社会学教員として生きる場合、学内の教育、研究、会議、各種委員、入試業務は当然の義務であり、研究分野によっては地元の自治体、都道府県庁、さらに政府審議会への委員が要請されることもある。私も専門テーマがコミュニティ、地方創生、高齢化、少子化、児童虐待などであったから、札幌市と北海道庁からの委員要請には極力応じていたが、50歳を過ぎてからは多忙のために札幌市のみに限定した。
なお、それまでに文部(科学)省、国土交通省、厚生労働省、北海道開発庁などの委員も務めたし、1995年12月6日には衆議院の「物価問題等国民の消費生活に関する件」で「第十二委員会」の「参考人」として15分間の意見陳述をしたことがある。
質疑者
4人の「参考人」がそれぞれ15分の持論を話した後に、政党の議席数に応じて、質疑者が15~20分程度の質問をして、短時間でそれに応えるというやり方であった。この時は自民党から2名、新進党も2名、社会党と共産党はそれぞれ1名の質疑者であった。
当時は緊張のあまり誰が質疑者であったかには関心がなかったが、最近書棚を片づけていたら当時の依頼状とプログラムが出てきて、自民党からの質疑者の一人が若き日の岸田文雄氏であったことが分かった。これにはびっくりした。
学会活動も半ば義務
それらに加えて、社会学者の集団が年に一回集い、それぞれの研究成果を持ち寄っての発表会(学会大会)があり、その成果をもとに年に4回の日本社会学会機関誌『社会学評論』を刊行する業務もある。
学会活動の主要メンバーは、北海道地区、東北地区、関東地区、関西地区、西日本地区から会員の直接選挙で選ばれた約30人の学会理事であり、理事とは別に選挙され当選した会長が業務を委託する。2年間の任期であり、財務、国際、活動倫理、学会大会、学会機関誌、広報、学会賞審査、データベースづくりなどを分担する。
私は理事として3期を、監事を1期務めて、データベース委員長、『社会学評論』編集副委員長、学会賞委員長を歴任したが、今回は『社会学評論』に関連する回想法を試みる。
2年間の任期で8冊の特集号を編集
理事の任期は2年だから、合計で8冊の『社会学評論』の編集責任者になったが、査読を経た自由投稿論文だけの掲載を止めて、すべての号で半分のページを「特集」としたのである。これは、会長から委嘱された委員長の舩橋晴俊法政大学教授と議論したうえで決定した方針であった。舩橋教授は私より1歳上の団塊世代であり、それまで環境社会学の体系化を志されてきた研究姿勢を私も高く評価していた。
それで、会長に副委員長の職務を委託されたので、早速二人で今後2年間の編集方針を協議した。そうしたら期せずして、この10年間くらいの『社会学評論』が大学院生の就職用になっていて、中堅の専門家や大家がなかなか書かなくなったことが残念であるとの判断で一致した。
そこで委員長、副委員長を含めて11人の『社会学評論』編集委員が自らの専門分野に近い「特集テーマ」を理事会で披露して、議論の末8冊の「特集号」が決定した。もちろん提案した編集委員も「特集号」には必ず寄稿することを条件に、それまでにはなかった2年間のプロジェクトが始まったのである。
「還暦を迎える日本社会」を特集した
当時の私は高齢化研究と少子化研究を融合して、「少子化する高齢社会」論を模索していたので、戦後60年目の2005年にふさわしい「特集号」にしたいと考えて、「還暦を迎える日本社会」を委員会で提案したところ、全員に賛同していただいた。それで私以外の執筆メンバーを4人選んで、半年間での準備を条件に執筆をお願いしたところ、全員が快諾された。
赤川学信州大学助教授(現・東京大学教授)、白波瀬佐和子筑波大学助教授(現・東京大学名誉教授)、稲葉昭英東京都立大学助教授(現・慶応義塾大学教授)、前田信彦立命館大学教授の方々であり、それまでにもいろいろな縁があり、この特集号への寄稿を引き受けていただけたのである。
「還暦社会」とは何か
日本の「還暦社会」とは、太平洋戦争の敗戦によって、ゼロから出発した日本社会が2005年には目出度く60周年を迎えたことから命名した用語であった。
その青春時代はいうまでもなく、1955年から1972年までの高度成長時代であり、団塊世代の青春と重なり合っているので、まとめやすいテーマでもあった。紆余曲折はあったにしても、よくぞ敗戦からの60年間を経済成長と社会発展の軌道を描いてきたものだという感慨もあり、半年くらいかけて5人全員が脱稿した。
「特集号」を学部・修士の専門ゼミで使用したい
「特集号」のもう一つの狙いには、同じテーマで5篇の専門論文が掲載された雑誌ならば、半年の専門ゼミの教材になるはずという読みがあった。
1篇の論文を2回のゼミで精読して学生や院生に発表してもらい、意見交換をする。ゼミの教材として専門書を出版すれば同じ効果が得られるが、その専門書の価格は当時でも3000~5000円あたりが標準になっていた。しかし、毎年学会費を払えば、年4冊の学会誌は自動的に送られてくるので、学生・院生にとっても経費削減になるはずという思いが強かった。
アジアからの留学生の増加
なぜなら20世紀末から、アジアからの大学院留学生が激増しはじめていたからである。せっかく日本の大学に留学しても、アルバイトに精を出さざるを得ない多くの留学生にとって、専門書の5000円は大きな出費であったが、学会費を払えば学会誌が手に入るので、そのような配慮をしたのである。
後日発行元の有斐閣に尋ねたら、思惑通りこの8冊の「特集号」は社会学会会員以外からも購入があり、通常の『社会学評論』の販売部数よりも多く出たとのことであった。
「還暦社会と」「傘寿社会」の人口データの比較
さて、20年前の「還暦社会」(2004年)における人口動態データとそれから20年後の後期高齢化が進む「傘寿社会」(2024年)のそれを比較しておこう。
表1に見るように、「還暦社会」の総出生数は111万人であり、「傘寿社会」の68万人とは隔絶の様子を呈していた。2004年の死亡者は出生者より少なく、自然人口増が続いていた。翻って2024年は91万人の自然減であったことにより、8年後に到来する「米寿社会」の凄まじい姿が想像できよう。
表1 「還暦社会」と「傘寿社会」の人口データ比較 (出典)厚生労働省「令和6年 人口動態統計月報年計(概数)の概況」
6兆円予算の「少子化対策」の不発
この数年の「少子化対策予算」は防衛費と同じ年間6兆円を使い、2025年度に至っては年間予算7.3兆円が支出されるのだが、少子化に直結する総出生数や合計特殊出生率、年少人口数(子どもの数)や年少人口比率(総人口に占める子どもの割合)などは軒並み低下の一途をたどってきた。どの指標を取っても反転していない。
「還暦社会」での主要な「仮定法」論調
2004年段階でも少子化の傾向は鮮明ではあったが、何しろ出生数は110万人を超えていたし、死亡者との差を計算しても社会全体における人口増加がまだ期待できるという実状にあった。
そのため次のような「仮定法」による議論が学界レベルでも流行していた。
「仮定法」の事例
- ジェンダーの縛りが解消されれば、(少子化は解消できる)
- 男女共同参画社会が創れれば、(少子化は解消できる)
- 社会全体の効率性が高まれば、(少子化は解消できる)
- リプロダクティブ・ヘルス・ライツが確立すれば、(少子化は解消できる)
- 人口減少社会に適応できれば、(少子化は解消できる)
というような議論が大半であり、現在までその影響を受ける厚生労働省やこども家庭庁の官僚、マスコミ界での「少子化問題担当者」、評論家、シンクタンクの「少子化問題担当者」にその名残を感じることは珍しくない注1)。
このような「仮定法」依存の議論では、「少子化対策」と銘打ってはいても、むしろ「仮定法」の主張をしたうえで、「少子化対策」がうまくいかないのは、現代日本社会でその「仮定法」で主張した内容が浸透していないからだというロジックが鮮明であった。
「人口減少社会に適応できれば」と主張
たとえば「人口減少社会に適応できれば」と主張を聞けば、誰でもが納得するであろうが、その論者は「人口減少社会に適応できる方法」を全く論じないままに、この仮定法を使う傾向にあったから、まるで説得力がなかった。
同様に「男女共同参画社会が創れれば」という主張でも、当初に比べて20年後の今日の日本では「男女共同参画社会」の理念の浸透が明瞭である。
にもかかわらず、「子ども人口」の反転が不本意なままであることは、「男女共同参画社会」の理念の浸透がまだ不十分であり、「少子化も仕方がない」という診断が下されやすい。まるで「永久運動」そのものである。
新しい論点
このような仮定法ではなく、日本の場合の少子化は出生数の減少が一番の理由だが、婚外子率がヨーロッパの50%を超える国々やアメリカの40%台とも異なり、常時2%台という日本の特徴を考慮しておきたい。
そうすると、日本での出産は既婚者が98%を占めるのだから、既婚者だけの応援として「待機児童ゼロ」、「ワーク・ライフ・バランス」、「各種の子育て支援金・補助金」をいくら積み上げても、せいぜい子どもが2人か3人に増えるだけになる。
未婚者のライフスタイル
一方、未婚者は「結婚するかしないかは自由」、「自分の仕事をつきつめたい」、「趣味を生かしたい」、「家族を作るのは面倒」などの理由をのべて、未婚=単身のライフスタイルを謳歌する傾向にある。
しかし、70歳を過ぎれば、誰にでも病気やけがなどによる「入院」「要支援」「要介護」の危険性が強まる。その時に家族が支えてくれるかどうかで「入院」や「要介護」の質が変わってくる。
また、複数の長寿地域の疫学調査から、長寿の原因として家族との交流が大きな役割を果たすとの研究報告もある。
未婚者にどのような情報を提供するか
定義により未婚=単身者には家族がいないのだから、「要介護」面でも「健康長寿の支え」の面でも条件が悪くなる。
少し前までは2000年4月からの「介護保険制度」は十分に機能していたが、この数年は介護事業所の廃業や倒産、ケアマネージャーや介護支援員の不足により、もはやすべての高齢者に平等な介護サービスの提供が困難な時代になっている(週刊東洋経済編集部、2025)。
だから、既婚者未婚者を問わず、家族との交流の意義を正しく伝える情報の提供が望ましい。その一つが歴史のある総計数理研究所「国民性調査結果」である。
「国民性調査結果」の推移
戦後の「国民性調査」で「家族・子ども」についての日本人の感覚を調べた貴重なデータが、「あなたにとって一番大切と思うものはなんですか」という設問の結果である。
表2では、調査結果が公表されている1958年から2013年までの上位3位までの推移をまとめた。なお、調査時期は国勢調査の谷間という方針があるようで、戦後は一貫して、末尾が1963年のような3年と1968年のような8年に全国調査がなされていた。
回答の選択肢は「家族」、「子ども」、「生命健康自分」、「愛情」、「金・財産」であり、そのうちの「一番大切な選択肢」を選んでもらう方式である。
表2 あなたにとって一番大切と思うものはなんですか(%) (出典)統計数理研究所編『国民性の研究 第13次全国調査』2013年
未婚=単身の増加で「家族・子ども」の重要性が見直された
とくに興味深いのは、未婚=単身が増加するにつれて、「家族」「子ども」を合わせた「家族・子ども」が一番大切という回答の比率が上がってきたことである。
実際には「家族」も「子ども」もいないのだが、「自分にとって」はやはり「家族・子ども」は重要であるという回答の増加は、「失ってみて初めてその価値が分かる」の類であろう。
作家の伊藤整もまた、近代日本文学評論を通して、「家庭という宝物は壊れて失われる時に、はじめてその真の価値を当事者に認識させる」と断言した(伊藤、1958:193)。データの時系列分析による社会学でも、作品研究からの文芸評論でも、期せずして同じまとめになっている。
逆の傾向も真実
しかもこの逆の傾向もまた真である。高度成長期中期の1963年からその終了の翌年である1973年までは、「家族・子ども」への選択は低いままであり、「生命健康自分」を一番大切とする回答が多かったからである。
高度成長期の日本人は「生命健康自分」を一番大切とした
勤務成績次第では給与が増えて、階層的にも上昇可能な時代であり、居住地選択もそれに伴い選択の幅が広かった。
たとえば1970年の平均世帯人数は3.73人であり、通常は4~5人での家族構成が多くみられたから、とりたてて「家族・子ども」が一番大切と言わなくても済んだ。というよりも、「家族・子ども」は全く自然な存在だったから、それを選択するよりも、会社での立身出世をめざして、「生命健康自分」を大事にして働き、結果的にそのライフスタイルが家族や子どもにも好影響を与えると判断した時代が到来していたのである。
要するに、「失ったもの」へのノスタルジアとして「家族・子ども」が、2003年以降の調査では過半数に達したのであろう。
学歴が長くなり、平均世帯人員が減少する時代
1970年の全国の高校進学率は82.1%であったが、大学・短大への進学数は23.6%に止まっていた。これからまもなく高校進学率は90%を超えたが、大学・短大進学率は1990年にようやく36.3%になり、1998年に48.2%まで上昇した(『日本国勢図会』第59版)。そして半数近くが大学・短大進学に行く時代には、たとえば2000年の平均世帯人員は2.70人まで減少した。
当時から現在まで、未婚率の高さには学歴の長さが関連していることは、計量的にも示されてきているし、身近なところの経験でも学歴とりわけ大学院修了までの長さになれば、結婚という選択肢が後回しになることは容易に観察されていた。
女性では学歴が高いほど生涯未婚率が高くなる
とりわけ女性の場合、学歴が高いほど生涯未婚率が高くなる傾向があった。高卒女性の生涯未婚率は低いが、大卒・大学院卒女性では高くなる。一方、男性は学歴が高くなるほど未婚率が低下する傾向は変わらない。
すなわち、高学歴男性は結婚しやすいが、高学歴女性は結婚しにくい社会が誕生して、現在までこの傾向が続いているように思われる。
女性未婚率の要因分析
それから15年後の田辺と鈴木の「都道府県別の女性未婚率の要因分析」によれば、人口・世帯分野では検証した説明変数10種のうち、「親同居」「大院卒」の2種、生活分野では説明変数12種のうち、「交際」「育児休業」「介護休業」の3種、経済分野では25種の説明変数のうち、「所得」「持家」「製造業」「医療福祉業」の4種が要因となった(田辺・鈴木、2020)。
要するにいろいろな要因が未婚率を押し上げてはいるのだが、計量分析データで注目されるのは,「所得」と「大院卒」の感度符号が正で,両者の影響度の合計が31.1%に達し,高学歴高所得女性の増加が未婚率の上昇に大きく寄与するという結果である(同上)。
学歴の長さは不可逆的
だからと言って、男女ともに大学・大学院志向が強い現状では、それを人為的に止めることは不可能である。それは文字通り「人権問題」になる。
しかし、かなりな大学では量的にみても定員割れが進行して、同時に質的には小学校の算数での分数や少数の計算ができない、中学校の英語動詞の変化を覚えていない、47都道府県を正確に言えない大学生が在学していることも事実である。しかもそれらの大学にも年間約3000億円の補助金が文科省から支給されている。
入試基準や大学補助金を見直せるか
だから、入試基準を強化したり、補助金を見直せば、大学受験生が確実に減少することは明瞭である。そうすると、高学歴化の動きは止まるであろう。
あとは与野党がどこまで高学歴と少子化との関連を意識するか、政策として取り上げるかにかかっている。
要因が多分野にまたがっている
いずれにしても未婚率の増大は、「結婚からの逃走」であり、「家族からの逃走」でもあり、社会システムの根幹を大きく揺さぶる社会現象である注2)。この結果から、要因が多分野にまたがっていることがわかる。
本研究の結果の中で次に注目されるのは、「所得」と「大院卒」の感度符号が正で、両者の影響度の合計が31.1%に達し、高学歴高所得女性の増加が未婚率の上昇に大きく寄与するという結果である。
この問題に関する先行研究はいくつかあり、たとえば女性の晩婚化について線形重回帰を行い、高学歴は結婚相手との出会いを遅らせ、晩婚化を促進する最大の要因であるという論文もある(金子、1995)。
働き方の変化
未婚率に直結するもう一つの「結婚からの逃走」と「家族からの逃走」は、働き方に関連が深い。デジタル化に象徴されるように、「還暦社会」までには想定できなかった社会現象が増えてきて、その結果、職業の種類も豊富になり、働き方の多様化を推し進めた。
だから四大卒でも正規雇用ではなく、非正規雇用で済ませて、自分の時間を大切にするという選択肢が広がる。また、家庭の事情で「子育てや介護など家庭の事情との両立」が必要な若者がいる。
非正規雇用を行う企業の理由
高度成長期には、建設業や自動車製造に象徴的な「季節工」がたくさんいたという記憶がある。これは東北地方や北海道では、積雪寒冷のために冬場の農作業や建設業が不可能になるために、本州に「出稼ぎ」に出ていた農家の男たちを表した表現である。
しかし、寒冷地でもビニールハウスや建築技術の高度化で冬場でも活動が可能になり、20世紀末までには「季節工」が徐々にいなくなった。
その代わりに、企業がコスト削減、柔軟な雇用調整などを念頭に非正規雇用を重視して、特に小泉内閣の時代にそれが全ての業種で解禁された。
非正規雇用を選択する若者の理由
よく言われるのは、既述したように「働き方の多様性」を追求する若者の価値観であり、「自分の都合の良い時間に働きたい」という理由に象徴される。
もう一つは大学は卒業したものの、本人の学力などで「正社員になれない」若者が増えてきたこともある。
「労働力調査」
たとえば総務省統計局による最新の25年4月の分では、正規の職員・従業員数は3709万人であり、前年同月に比べ43万人(1.2%)の増加であった。他方、「非正規の職員・従業員数」は2101万人であり、前年同月に比べ17万人(0.8%)の増加を示した。まとめれば表3を得る。
表3 男女別正規雇用と非正規雇用(2025年4月分) (出典)総務省「労働力調査」(2025年4月分)
(注)集計は四捨五入なので、必ずしも100%にはならない。