安倍総理に首脳10人集まる…「戦友だから」と旧知の大統領が奔走 中国・王毅氏より優先 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(56)

2013年6月3日、横浜市で開かれた第5回アフリカ開発会議(TICAD)の閉会式後、各国首脳と握手する安倍晋三首相

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。50歳の若さで大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。

「どこに行けばいい?」

《2013年6月、横浜で3日間開催された第5回アフリカ開発会議(TICAD)が無事終了した》

外務省アフリカ部長として、肩の荷が下りたと思う間もなく、安倍晋三総理から尋ねられました。

「アフリカ訪問を検討したい。どこに行けばいいか? 3カ国を選ぶように」

安倍総理はTICADで、アフリカを訪問すると演説していた。予期した通りの質問であり、すぐ返答しました。

「2カ国は、これから慎重に選びます。しかし、1カ国は心に決めてあります。コートジボワールです」

夕食に招かれ

コートジボワールのワタラ大統領(共同)

私は08年から約3年間、コートジボワール大使を務め、11年に戦闘に巻き込まれて命からがら救出された経験を持つ。その事件を契機に、国連が介入して内戦が終結し、私は同国内で〝英雄〟扱いもされていました。

ワタラ大統領は私の離任にあたり、私と妻を自宅の夕食に招いて「戦友だ」と言ってくれた。その私が言えば、何でも頼みを聞いてくれるはず、という自信もあったのです。

《安倍総理が訪問を了承。さっそく9月、国連総会が開催されるニューヨークへと飛び、総会出席のために来ていたワタラ大統領と会った》

私は大統領に言いました。「安倍総理が来年1月、アフリカ外遊の訪問先として、あなたの国を選んだ。ここはひとつ、大掛かりな歓迎をしてほしい」

そして1つ、お願いをしました。「周辺国の他の大統領たちにも来てもらい、一緒に歓迎の晩餐会をして頂けませんか」と。

「〝戦友〟の頼みだからな」

ワタラ大統領は、訪問先に母国が選ばれたことを喜び、盛大な歓迎の準備をする、と返答。そして、「あなたの提案もぜひ、実現してみよう。何といっても、〝戦友〟の頼みだからな」と、ニッコリ答えました。

私は、あてもなく自分の案を持ち出したわけではありません。大使として兼務していたブルキナファソ、トーゴ、ベナン、ニジェールの大統領は引き続き現職で残っており、誰か来てくれるだろう、と踏んでいたわけです。

昭恵夫人も同伴

安倍晋三首相(中央右)と昭恵夫人(中央)=2019年6月28日、大阪市中央区

《安倍総理のアフリカ訪問は、最初にコートジボワールに行き、モザンビーク、エチオピアという日程となった》

安倍総理は14年1月初旬、昭恵夫人を伴い、コートジボワールの最大都市アビジャンに、経済代表団を連れて向かいました。私自身も巻き込まれたあの戦火の経験から約3年、着陸体勢に入った政府専用機の中で、感慨もひとしおでした。

「私は今、コートジボワールの地に再び降り立つのだ。しかも安倍総理とともに…」

空港からの沿道には、とんでもない数の人々が並んだ。高層ビルには、安倍総理とワタラ大統領の巨大な写真も掲げられるなど、盛大な歓迎となりました。

王毅氏、セネガル訪問中だったが…

中国の王毅氏=北京市内(田中靖人撮影)

そして、ワタラ大統領は何と、私が期待していた周辺国(ブルキナファソ▽トーゴ▽ベナン▽ニジェール)の大統領たちに加え、ガンビア▽ガーナ▽リベリア▽ナイジェリア▽セネガル▽シエラレオネの大統領計10人をアビジャンに呼んでくれたのです。

安倍総理はたった1カ国の訪問で、総勢11人の大統領と顔を合わせたわけです。セネガルのサル大統領は、中国の王毅外交部長が訪問中だったのに、わざわざ安倍総理に会いに来てくれ、日本側を驚かせました。

《なぜこのように大掛かりな歓迎が実現したのか》

実は〝タネ明かし〟があります。ワタラ大統領は1月から、西アフリカ経済共同体(ECOWAS)の議長に就任していた。議長の権限で、ECOWAS臨時首脳会議を開催し、各国の大統領たちをアビジャンに招集したのです。テーマは「日本との協力」です。

「アベ・ロード」で盛り上がる

晩餐会の前に、ECOWASと日本との合同首脳会議が行われた。西アフリカに巡らす主要道路建設(日本のJICAが計画案策定)が取り上げられ、「道を『アベ・ロード』と名付けよう」などと、安倍総理と大統領たちの間で話が大いに盛り上がりました。

《安倍総理1人のために、これだけの大統領が集まるのは前例がない》

背景に総理の人望があることは、もちろんでしょう。しかし、何より、ワタラ大統領の尽力のたまものです。大統領がそれだけ本腰で取り組んでくれたのは、私が大使時代、襲撃事件で散々な目に遭い、大統領から「戦友」と認められたからかもしれません。

あの事件は、私にとって、とんでもない災難でした。しかし、災い転じて、福となった。「これで十分、報われた」と思いました。(聞き手 黒沢潤)

<おかむら・よしふみ> 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICAD(アフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。

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