「頂き女子りりちゃん」こと渡邊真衣さんの母親が涙ながらに語った話、そして本人の気になる現状(篠田博之)

「頂き女子りりちゃん」こと渡邊真衣さんの母親から「お会いしたい」というメッセージが届き、会って話をした。彼女とは初対面だが、私がヤフーニュースにアップした記事を読んで連絡しようと考えたらしい。

 この4月1日、これまで真衣さんを支援するための枠組みとして動いてきた「被害弁済プロジェクト」が終了することが発表された。それは4月3日に、名古屋拘置所で面会した母親から本人に伝えられたという。

 そしてその何日か後に、刑が確定して以降も名古屋拘置所にいた真衣さんはどうやら刑務所に移送されたようだ。通常なら移送してすぐに本人から家族に手紙で連絡がなされるのだが、もう何日も経っているのにそうなっていない。真衣さんが孤立無援の状況に置かれて精神的に追い詰められている恐れもあり、気になるところだ。

 そもそも私は作家の草下シンヤさんらが立ち上げた「被害弁済プロジェクト」については高く評価していから、それが事実上の頓挫してしまったという事態はとても残念だ。その経緯と、真衣さんが今置かれている状況、そして何度かにわたって聞いた母親の話など、ここで報告しよう。そもそも、これまで報じられてきた母親についての印象、母娘の関係など、私自身もこの間、考えさせられることも多かった。

 母親には私も前々から一度会いたいと思っていた。そもそも私がこの事件に関わるようになったのは、月刊『創』(つくる)のコラムで精神科医の香山リカさんが、りりちゃんについて「逆境的小児期体験」の一例として触れていたからだ。

渡邊真衣さんの「逆境的小児期体験」

 これまで数多くの事件当事者と関わってきて思うのだが、その背景に、育ってきた家庭の事情があることが少なくない。渡邊真衣さんも、小中学校において生来のアトピーのせいでいじめられたこと、家庭においても父親の暴力や母親の無関心に悩んだことなどを語っていた。

 彼女のそういう主張については、下記記事などで紹介してきた。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/326d686e7133b1ccd842257d6fd5467f32078946

9月30日第2審判決!「頂き女子りりちゃん」が面会室で語った小児期体験

 学校にも家庭にも居場所がなかった彼女は、20歳の時に家を出て、その後、新宿歌舞伎町のホストクラブに入りびたり、ホストに多額の金をつぎこみ、その資金を調達するために、「おぢ」と呼んでいた男性たちから合計で1億5000万円ものお金を詐取したのだった。

 真衣さんの犯罪の背景に「小児期体験」があったとして、では実際に彼女の家庭はどうだったのか。機会があればぜひ親に話を聞いてみたいと思っていた。

 真衣さんは上記記事で紹介した手紙の中で「私は父から暴力とか包丁でおどされたりしました。ままは見て見ぬふりでした」と書いていた。だが、その後の勾留生活の中で、何度も母親と手紙や面会を重ねている。もともと親からの愛情を求めていたのだろうが、途絶えていた母娘の関係が、事件を機にある種の修復ができつつあったようだ。母親自身も、娘がのめりこんだという歌舞伎町のホストクラブに足を運んでみるなど、努力を重ねていた。

真衣さんの母親はボロボロと涙を流した

 その母親と4月17日に会って、2時間以上話をした。

 彼女は、母親に家庭で無視されていたといった娘の発言にショックを受けたという。

「私はすごいショックで、ああ、そういうふうに捉えてたんだと思いました。でもあとで手紙で『ママをいじめすぎた』とか謝ってくるし、どれが本心なのだろうかと思いました。

 私は真衣を愛情を持って育ててきたつもりです。なのに、それが愛情でなかったと言われたら、どれが愛情なんですかと言いたい」

 そう言いながら彼女はボロボロと涙を流した。母親にはその後も話を聞いたが、その内容に触れる前に、まず「被害弁済プロジェクト」が突如、終焉することになってしまった経緯を説明しよう。

 草下シンヤさんと写真家の立花奈央子さんが中心になっていた「被害弁済プロジェクト」については、下記記事でも詳しく書いた。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7c5fc9c41fcd593c288be7a48f608791368b0908

「頂き女子りりちゃん」の「被害弁済プロジェクト」は犯罪への社会的対応として注目すべきものだ

「被害弁済プロジェクト」は4月1日に中止発表

 真衣さんの投稿を載せたXの「りりちゃんはごくちゅうです」は大きな反響を得た。そして真衣さんが書いた自身の半生記をnoteで有料公開したところ、最初の昨年9月の売り上げは約67万円、10月には約120万円に達した。草下さんらは真衣さんの弁護士とともに「いぬわん」という会社を設立、収入をそこで管理して、被害者への弁済や税金にあてることにしていた。

 真衣さんの収入を被害弁済にあてるというこの仕組みは、この社会が犯罪にどう向き合うかを試す実験としてはなかなかのものだ。犯罪を犯した人には贖罪意識が形作られていくし、被害者には弁済金が入る。

 本当はそういう活動がもう少し早く、せめて1・2審の公判が続いている時になされていたら、判決内容にも影響したろうから真衣さんら当事者にも大きなモチベーションとなっただろうし、まさに一石二鳥だった。ところが現実には、最初に真衣さんが書いた半生記は、取材に来ていた東海テレビの記者に渡ったまま返還を求めても戻ってこなかった。東海テレビはネットニュースなどでしばしばその中から引用を行い、話題になっていたから、それを独占しようと考えたのだろう。手記は、今も返還されていない。

 草下さんの勧めで真衣さんは新たに半生をまとめた原稿を獄中で執筆した。1審・2審の裁判には結局間に合わなかったのだが、手記の出版は具体的に進められ、その収益も被害弁済にあてられるはずだった。その出版も今回の事態で頓挫することになった。「被害弁済プロジェクト」自体が中止となってしまったのだった。その発表は4月1日にXの「りりちゃんはごくちゅうです」でなされた。詳細は下記からアクセスして読んでほしい。

https://x.com/inu2narenakatta

 発表された内容は、かなり長文だ。ここでは主要部分のみ引用することにしよう。

今年7月末までに合同会社いぬわんは解散

《渡邊真衣さんの起こした詐欺事件の被害者のために設立した合同会社いぬわんは令和7年7月末日までに解散する予定です。設立の意図、活動実績、解散の経緯などについて説明していきます。》

《【解散の経緯】合同会社いぬわんを解散することになった経緯について説明します。発端は合同会社社員草下のもとに2024年8月30日に届いた渡邊真衣さんの手紙でした。以下、一部内容を抜粋します。

(引用始め)あのね、さっき弁護士先生にきいたら簡単に(今のベトナム人との婚約?)リコンできないって言われちゃった。けど、結婚してもいいかなあ。しんやさんはパパだから一応きいてみた。ヤクザとか半グレじゃないの。サカヅキしてないの。(言っていいのかな?)(でも、あっちはまいのこと家族とか組しきに話してるからいいかな)○○会の一家の人なの。8月からずっとやりとりしててー。求婚されてるの。表社会にいきたいって。足あらいたくてキッカケがなくてって、言ってた。今の、トクサギとか、タタキとか、そーゆーしくみつくっちゃった人なの。頭よくてー。まいのことすごくかわいがってくれるの。》

《まいは うれしい 愛 感じる まいのお金目当てじゃないの、うれしい。》

《渡邊真衣さんとやりとりしている人物は現在、関東の拘置所に収容されている立場にありますから、渡邊真衣さんとの面識は当然ありません。手紙の中では現役暴力団員ではないと綴られているものの、組織名を渡邊真衣さんに伝えていたり、特殊詐欺や強盗等の仕組みを作ったと語っていたり、覚醒剤や拳銃等の写真を送っていることなどを考えると、反社会的組織との関わりが否定しきれないと判断せざるを得ませんでした。

 冒頭にある「(今のベトナム人との婚約?)」という部分は、渡邊真衣さんとベトナム人との間に婚姻関係があることを意味しています。渡邊真衣さんはホストクラブの遊興費を捻出するため、20歳のときにベトナム人と偽装結婚しています。渡邊真衣さんは手紙の差し出し人X氏と結婚するため、弁護人に対して、ベトナム人との婚姻抹消手続きを要請し、弁護人はその要請を受理しませんでした。》

これ以上の関係継続は「不可能と判断」

《渡邊真衣さんがどのような恋愛を行い、いかなる人物と婚姻関係を結ぶのかは本人の意思によって決定されるべきものです。第三者が渡邊真衣さんとX氏との関係に介入することはできません。とはいえ、収支報告をガラス張りにし被害弁済を行っていく被害弁済プロジェクトと、渡邊真衣さんの手紙を見る限り反社関係者と思しきX氏との適性はよいものとは言えません。渡邊真衣さんがX氏と今後婚姻関係を結ぶことになれば、被害弁済に回るはずの原資がそちらに流れてしまうのではないかという疑念が生じることは容易に想像がつくことです。

 合同会社いぬわんとしては、X氏との婚姻手続きと被害弁済プロジェクトを同時に進めていくことは困難であると渡邊真衣さんに伝えました。このタイミングで一時的にnote記事の新規公開を停止するなどの対応を行いました。》

《2024年12月26日に合同会社社員立花奈央子に届いた手紙で状況が大きく変わりました。》

《渡邊真衣さんから被害弁済プロジェクトの停止を求める内容が綴られています。手紙にはその他に「いぬわんの収益をX氏の口座に振り込むこと」「振り込まない際は横領の罪で法的処置を行うこと」という言葉もありました。合同会社いぬわんによる被害弁済プロジェクトは渡邊真衣さんに手紙や面会等で再三趣旨の説明を行い、本人の合意を得て進めてきたものです。

 noteの売り上げ等についても手紙や面会などで伝えており、役員報酬や弁護士費用を受け取っていないことも再三説明しています。合同会社いぬわんのプロジェクトは渡邊真衣さんの「被害弁済をしたい」という気持ちに基づいて行ってきたボランティア活動であるため、彼女にその意志がなくなり、合同会社社員との信頼関係が崩壊した以上、継続していくことはできません。以上の経緯から、渡邊真衣さんと合同会社いぬわんとの関係継続は不可能と判断し、合同会社いぬわんを解散することを決定しました。》

 この話は、ネットニュースなどでも報じられた。

真衣さんの母親が語ったこの間の経緯

 さて、4月下旬、改めて母親に話を聞いた。かいつまんで報告しよう。まず事件発覚当時の様子だ。

《2023年8月に真衣が逮捕されたことはニュースで知りました。その後すぐ、名古屋の警察からも連絡がありました。名古屋から近くの警察署に来ていたようで、そこに幾つかの物を持ってきてほしいと言われました。真衣の使っていたパソコンと、被害者から届いていた手紙ですね。

 手紙は、半年くらい前に私宛に届いていたのですが、知らない人でした。多分詐欺事件の被害者なんでしょうが、まるっきり信じちゃっていて、「真衣さんが困っているから助けてあげてください」というのです。リストカットもしていると、血だらけの写真が同封されていました。

 その手紙やパソコンなどが押収され、私も警察に事情聴取されました。私は何も知らなかったので驚きましたが、「真衣さんは、歌舞伎町では神と呼ばれてた存在でして…」とか言われました。

 問題になったマニュアルも見せられました。「お母さん、目を通してみませんか」と言われたんですが、私は見たくないですと断りました。そのマニュアルについては、2~3年前、真衣とLINEでやりとりしていた時に、「ママ、今度、本を出すんだよ」と言うので、「すごいね」と言ったことがありました。「店頭に並ぶの?」と聞いたら、「いやネットだよ」と言ってました。

 警察からは主に家庭の事情を聞かれました。私は茫然としてしまって、精神的におかしくなるんじゃないかと思うような状況でした。》

証人出廷を断ったという話の真相は…

 警察に真衣さんのパソコンなどが押収されたことは前述したが、真衣さんは脱税の罪にも問われており、国税に家族の通帳も押収されたという。

 逮捕前、真衣さんはカプセルホテルなどに泊まりながらホストクラブに通っていたわけだが、そうした事情は母親にはいっさい話さなかったらしい。

《働いてるの?と聞いても教えてくれないんです。突き詰めて聞くとLINEが途切れちゃうし、どこに住んでいるのかも教えてくれませんでした。》

 真衣さんの逮捕後、マスコミも家にやってきたという。

《ピンポンと呼び鈴を押して「お話を聞きたいんですけど」と言ってました。外でカメラも回しているようでした。》

 真衣さんの1審の公判で、弁護人が母親に情状証人として出廷を依頼したら断られたという話がある。これも母娘関係を示す逸話として広がっているのだが、母親にその経緯を聞くと、こう説明した。

《弁護士さんの名前を教えていただいたので、私の方から連絡先を調べて電話したのです。そしたらそこでいきなり証人出廷の話をされて驚きました。初めて電話したので事情がよくわからないのに、一方的に説明されて、混乱しました。私の顔も出てしまうのかと思ったし、裁判は2審の判決の時に傍聴したのですが、その時もマスコミに取り囲まれるのではないかと怖かったんです。

 弁護士さんは証人出廷の話をされて、

「もし出てくれるんだったら連絡お待ちしてます」と言って電話を終えたんです。知人に相談したら、出なくてもいいのじゃないかということだったので、そのままになりました。私もよく知らなかったし、とにかく怖かったのですね。》

突如送られてきた化粧品とパジャマ

 母親は、娘が留置場にいた時期から月に1~2回のペースで面会していたという。家族はいま、首都圏在住なのだが、この2年ほどは、東京に出てくるより名古屋に通う方が多かったという。

《面会の時にも話をするんですけど、むしろ真衣が自分の気持ちを打ち明けてくれるのは手紙ですね。ママとどっか行きたいとか、一緒に住みたいとか、そういうことをいっぱい書いてくるんです。

 ただ昨年10月には手紙が1通も来なくなって、今思うと、その前に知り合った男の人と頻繁に手紙のやりとりをしていたのだと思います。私は何かあったのじゃないか、また『ママが嫌い』というのが始まったのかなとか、すごい不安になりました。その時は、私もおかしくなりそうで、薬をいっぱい飲んだりしました。

 真衣は頑固なところがある子で、面会や手紙のやりとりをしている時でも、ここで手紙とかのやり取りもなくなってしまうと怖いという気持ちが常にありました。

 だから4月に入って突然、化粧品とパジャマが送られてきて、手紙が来なくなってしまい、不安なのです。どうやら刑務所に移されたようなんですが、知らせも来ていません。》

真衣さんの移送先は母親も知らされていない

 真衣さんに最高裁で上告棄却の決定が出たのは1月14日。そこで懲役8年6カ月、罰金800万円という有罪判決が確定。その後は拘置所で受刑者扱いになっていた。受刑者扱いになるといろいろな制約を受ける。刑確定までは「無罪推定」で市民的権利はある程度保障されるのだが、今後は、例えばそれまで外部から手紙を送れば確実に本人の手元に届いていたが、そうでなくなる。本人の外部への手紙などの発信も回数など制約を受ける。

 母親が名古屋拘置所で最後に娘に面会したのは4月3日。その時にいぬわんの解散については話したという。その後、前述した化粧品とパジャマが送られてきた。その後は本人から手紙も届いていないという。

 真衣さんがどういう心境に陥り、いま何を考えているのか。未決囚だった時には外部から応援の手紙もたくさん届いたし、多くの人が面会に訪れていた。そういう状況が一気になくなり、支援体制も終焉することになって、彼女が精神的に落ち込んだ可能性は十分にある。そういう中で母親に手紙も送ってこない状態が続いていることが気になるところだ。真衣さんが昨年、結婚を考えるほどのめりこんだ男性からの手紙も、刑確定後、彼女のもとへ届かなくなっているようだ。4月1日の発表でその男性の情報もある程度公になったことで、今後、その関係にも影響が出る可能性は大きい。

「頂き女子りりちゃん」の事件は、このところゴールデン帯の情報番組でも詳しく取り上げられるなどして、改めて反響を呼んでいる。ただその多くが、真衣さんの詐欺の手口の詳細を再現することに重点が置かれ、視聴者には、とんでもない事件として興味の対象として消費されているように見える。

 ただ私には、学校にも家庭にも居場所がないという20代女性がさまよった末に歌舞伎町にたどりつき、承認欲求に応じてくれたホストにのめりこんでいったというこの事件には、今の若い人たちの置かれた社会的状況が反映されている気がしてならない。真衣さんもリストカットや自殺未遂を何度か起こしていたようだ。

 今後、事態はどう展開していくのか。可能な範囲でお伝えしていこう。

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