巨人右腕が果たした最後の"有言実行" 大怪我から執念の復帰…見せた生きざま「腕ちぎれても」
現役ラスト登板で男の生きざまを見せつけた。巨人・近藤大亮投手が27日、ジャイアンツタウンスタジアムで行われたイースタン・リーグのロッテ戦に先発登板。オリックス時代の同僚である大下誠一郎内野手と対戦し、空振り三振を奪った。右肩の大怪我からの復帰登板は引退登板。代名詞である力強い直球を投げ込み「やり切った」と胸を張った。
【PR】平日MLB見るならアベマ! 厳選試合を平日毎日無料生中継!渾身の直球を続けた。初球は135キロで見逃しストライク、2球目は136キロで空振り。全盛期の最速155キロには及ばなくても懸命に腕を振った。最後は140キロで空振り三振。リハビリ中は全力投球しても100キロに満たない日もあっただけに感慨深いものがある。
「正直、腕がちぎれてもいいと思って全力で投げました。でも、弱かったですね。もっと出したかった。まあ、自分の出せる限りの力は出せたと思います」。大下と熱い抱擁を交わし、マウンドに戻ってナインと握手。マウンドまで足を運んだ桑田真澄2軍監督からねぎらいの言葉をかけられてベンチに下がると、球場全体から温かい拍手が送られた。
3月13日のソフトバンクとのオープン戦(みずほPayPayドーム)で右肩を痛めて緊急降板。後に右肩腱板断裂が判明し「手術しないままでは復帰できない」と医師から告げられたという。手術した場合は1年以上は投げられない。34歳の年齢を考慮し、実戦復帰の前例がない保存療法を選択して調整を続けてきた。
「前例がないのなら、僕が前例をつくればいいという強い気持ちで臨みました。正直、腐りかけたこともありましたけど、諦めるのは簡単。いろんな人に支えられて、僕なりに全力で取り組んできました。支えてくれた人たちに、もう一度マウンドに立つ姿を見せることを目標にやってきたので、感謝の気持ちを込めてマウンドに上がりました」
パナソニックから2015年ドラフト2位でオリックスに入団。2017年に中継ぎの一角に食い込むと、同年11月のアジアプロ野球チャンピオンシップで侍ジャパン入りして金メダル獲得に貢献した。そこから3年連続で50試合以上に登板と球界を代表する救援投手に成長。ただ、2020年以降は怪我との闘いが続いた。右肘を痛め、2020年9月にトミー・ジョン手術。育成契約を経て支配下に復帰した2022年は32試合に登板した。2023年は12試合に登板し、11月に金銭トレードで巨人に移籍。昨年は2軍で44試合に登板したものの1軍での登板はなかった。
稲葉篤紀氏からサプライズメッセージ「最高っす」
「昨年は1試合も1軍で投げていない。チームの力になれず、凄く悔しかった。だから今年は活躍できなかったら引退しようと決めていました」。背水の陣で迎えた1年はオープン戦で悪夢の負傷。それでも苦しいリハビリに前向きに取り組んだ。「34歳でもまだまだ諦めへんで! 誰にも負けへんと思って練習してきました。何かを感じてくれたらうれしい」。戦う姿勢は一緒に汗を流した若手に伝わったはずだ。「過去は振り返らずに前だけを見て、目標を立てて全力で頑張ってほしい」。背中で示し続けた道。それが後輩へのエールだ。
実戦復帰の一戦が引退試合。対戦したのはわずか打者1人だったが、近藤らしさが詰まった3球だった。プロ野球人生を問われると「ストレート、フォーシーム、真っすぐ……。真っすぐばかり投げてきました」と答え「真っすぐに頑張ってきました。真っすぐな選手だったと思います」と振り返った。
常に笑顔だった1日。ただ会見で、同僚の中川と大勢に続いて2017年に侍ジャパンに招集してくれた元日本代表監督・稲葉篤紀氏から「勝負どころでいいピッチングをしてくれたことが印象深い。一緒に戦えたことを誇りに思います」などとサプライズメッセージが届けられると、思わず目が潤んだように見えた。どこか、ぎこちない笑顔。「最高っす……。すぐ電話します!」と必死に言葉をつないだ。
常識を覆して“史上初”となる保存療法を経ての復帰登板。最後のマウンドとなったが「やり切ったという思い。後悔はない」と言い切った。今後に関しては未定だが「球界の中にいて恩返ししたい」という。「もうできへんのかと思ったら名残惜しい部分もある。でも素晴らしい方々の中でプレーできて幸せでした。怪我ばかりの野球人生だったけど、仲間には恵まれました」。最高の仲間の手で3度宙に舞った34歳。満身創痍の体を、少しだけ休める時間が訪れた。
(尾辻剛 / Go Otsuji)