横浜F・マリノスの喜田拓也が呼び込んだ「『まさか』」。サポーターに向けた行動を「あまり覚えていない」わけ【コラム】
明治安田J1リーグ第32節、横浜F・マリノスはFC東京に3-2で競り勝ち、得失点差で17位をキープした。降格圏が迫る重要な一戦で、マリノスのキャプテン喜田拓也は貴重な先制点を挙げ、チームの勝利に貢献した。ゴールと最も縁遠い男が見せた姿勢は、下位に沈むチームにとって何よりの希望となっている。(取材・文:菊地 正典)
「あまり覚えていないですね」
チャンスを作りながらもスコアレスで推移した試合の流れを一気に引き寄せたのは、キャプテンの一発だった。
先制ゴールを決めた喜田拓也は、チームメイトを誘導しながらサポーターが集うゴール裏へ走った。そして、ゴール裏に向けた背中を両手の親指で指す。さらに、ベンチメンバーも含めたチームメイトとゴールを喜び、輪が解けると、右腕からキャプテンマークを外し、サポーターに向かって掲げた。
「あまり覚えていないですね」
一連の行動の思いを問われると、まずはそう答え、言葉を選びながら紡いだ。
「一つじゃないので、何とも言えないです。いろいろな思いがあってのあれだったので、一つじゃないという感じです」
敵地でFC東京と対戦した横浜F・マリノスは前節、ガンバ大阪に逆転負けを喫していた。残り7試合で18位の横浜FCと勝ち点で並ぶ17位。横浜FCは両者を勝ち点3差で追う19位の湘南ベルマーレと対戦する。
マリノスのホームスタジアムの一つであるニッパツ三ツ沢球技場で行われる一戦は、どちらかが勝ち点3を積む可能性がある。マリノスとしてはどの試合も一戦必勝だが、結果によっては18位に後退する可能性もあり、この試合が持つ意味は小さくなかった。
そんな試合において、喜田の調子は良さそうだ。
そう感じられたのは、試合の立ち上がりからだった。
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まずは2分、一度は奪ったボールをすぐに奪われてFC東京に速い攻撃を仕掛けられると、自ゴール前に戻りながら、一瞬フリーになった遠藤渓太へ左サイドの深い位置からマイナスに送られたグラウンダーのパスをインターセプトする。
さらに5分には、またも左サイドから送られたクロスをボレーシュートのモーションに入ろうとしていたマルセロ・ヒアンの手前に入り、ヘディングでクリアした。
特に前者は、まずプレスを掛ける前線に連動して高い位置で相手を1人消していた。つまり、一度はボールを奪った状況かつ相手の速い攻撃に対し、長い距離を戻った末のプレーだった。
そして、いずれも周りの状況を把握し、ボールの行き先を読んでいた。
「本当に大きな重圧があるし、このクラブの大きさも素晴らしさも理解しているからこそ、その重みをひしひしと感じながら戦っているし、選手は大きな重圧の中で戦っているので、それを少しでも自分の姿で絶対に這い上がるというところを見せられればとも思った」
喜田のそんな思いを知ったのは試合後だが、強い思いを抱いていることはプレーから感じられた。
しかし、いくら調子が良さそうだとは思っても、まさか先制ゴールを奪うに至るとは想像できなかった。
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トップチームに昇格して13シーズン目、U-22Jリーグ選抜の一員としてJ3リーグに9試合出場したのち、2014年8月23日の川崎フロンターレ戦で中村俊輔に代わってトップチームデビューを果たしてから11年、その間に喜田がJ1リーグで決めたゴールは、286試合でたった4つしかなかった。
シーズン複数得点を記録した経験もない。これまで喜田が果たしてきたマリノスに対する貢献は言い尽くせないほど多岐に渡るが、ゴールは最も縁遠いものと言っていいだろう。
それなのに、何としても勝ち点3が欲しい試合で先制点を決めてみせた。
しかも、最前線の位置でJリーグ屈指のセンターバック、アレクサンダー・ショルツのマークをかわしてダイビングヘッド。プロキャリアで一度しか決めていない頭で、まるで数々のゴールを重ねてきたストライカーのようなゴールを決めた。
「みんなからは、『まさか喜田が』というのもあるだろうし、『まさか頭で』とも言われはした」
表情を崩しながらそう話しもしたが、一方で自身がゴールを決めた意味についてこう答えてもいる。
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「この状況なのでみんな苦しいし、選手だけじゃなくてクラブに関わる人全てがもがいて、いろいろな思いを持っている。それを一つにするには、と考えると、ピッチに立つ自分たちが闘う姿勢を示す、自分がああやって表すのは、この状況だからこそ大切になると思う」
ゴールがまるでストライカーのようならば、ゴール後の様子は偉大な先輩たちがフラッシュバックするようだった。
背中を指す仕草は、若いころに目をかけてくれた尊敬する大先輩であり、トップチームデビュー時に交代した中村俊輔を彷彿とさせた。さらに指した背番号8は、やはり背中を見続けた中町公祐から託され、受け継いだ番号だ。
さらにキャプテンマークは、11年から16年までキャプテンを務めた中村はもちろん、選手会長や副キャプテンを務めた中町も巻いた。彼らだけではなく、マリノスのキャプテンマークは日本を代表する選手の証と言っていいほど、偉大な選手たちが巻いてきたものだ。
この勝利でJリーグ史上2番目となる通算550勝達成について問われると、喜田はこう答えている。
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「自分たちだけで積み上げたものではないので、もちろんクラブの初代から積み上げてきた歴史なので、それこそがクラブの価値だと思う。たくさんの人が人生を懸けて積み上げてきた歴史そのものなので、自分たちがその一端を担えている幸せを感じないといけないし、このクラブには守らなければいけないものがある」
ゴールパフォーマンスに込められた思いへの明言は避けた。ただ、「一つじゃない」のであれば、クラブの歴史、これまでマリノスで戦ってきた人たちの思いを背負うという意思が込められていたのは間違いないだろう。
チームは3点をリードしたあとに押し込まれ、特に喜田がベンチに下がった80分以降は一方的な展開で2点を失った。
その後もピンチはあり、試合終了の笛が鳴るまで何が起きても不思議ではなかったが、喜田はチームメイトと同様に勝利の喜びをあらわにすることはなかった。
何が何でも欲しい勝ち点3だったが、それを得ても17位と勝ち点で並んでいる状況に変わりはない。この勝利の意味は決して小さくないが、何が決まったわけでもない。逆転負けした前節の反省は活かせたが、試合の締め方など課題もある。
「ゴールでみんなを助けられたのであればすごくうれしく思うけど、また次勝つことが大事。そのためにやれることをやっていきたい。
今は本当に大きなパワーを使って戦っている最中だけど、自分たちが本当の意味で理解して戦わないといけないし、ピッチに立たないといけない。全員が自分を犠牲にしてでもこのクラブのためと思えれば絶対にその数字も積み上げていけると思うし、このクラブに大切なものとして残っていくと思うので、そういう自覚を持ってやっていきたい」
喜田は先人たちの思いも背負いながら、仲間たちとともに、もう前へ進んでいた。
(取材・文:菊地 正典)
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