【辺野古・東大五月祭】リベラルの傲慢さ:法令軽視と言論封殺の共通点

政治

2015年の研修旅行|辺野古ボート転覆事故遺族メモ 2015年の沖縄研修旅行について気になる点を追記しています。@Beloved_Tomoka https://t.co/qdIeEfyv9X #辺野古沖16人死傷転覆事故 #同志社国際高校#ヘリ基地反対協議会#平和教育

— 辺野古ボート転覆事故 遺族日誌 (@Beloved_Tomoka) May 13, 2026

辺野古修学旅行転覆事故から、間もなく2ヶ月が経とうとしています。

遺族の方が今日もノートを更新されていました。修学旅行の講義の場で、「いかに国のやり方がおかしくても、違法行為をしてまで活動することは許されるのか」と生徒が講師に問いかけたところ、教師が割って入ってその議論を封殺してしまった——そんなエピソードが綴られていました。

これは今回の事故の「核心」の一つだと私は思っています。

反戦・反基地運動そのものを誰も否定しません。政治活動の自由、言論の自由は当然あります。

しかし問題は、その抗議活動の一環として法令を踏みにじる行為が許されるのか、という点です。

辺野古周辺では今もテントが不法占拠のまま設置され、トラックが搬入しようとすれば道路上に座り込んで進路を妨害する。沖縄県が何度も警告を出しても、実効的な対処がなされてこなかった。

こうした状況が活動家たちを増長させ、今回、未登録の船を出して修学旅行生を乗せ、海上保安庁の警告を無視して転覆——2名の命が失われるという惨事につながったのではないでしょうか。

あれだけ痛ましい事故が起きたにもかかわらず、事故直後こそ一時自粛したものの、関連団体はほどなく不法行為を再開しています。

元参議院議員のやながせさんがYouTubeで現地の抗議状況を撮影されていましたが、未だに堂々と続いています。

正直なところ、東京でこれをやれば即日強制撤去・逮捕案件です。なぜ沖縄の反戦平和運動だけが例外扱いされ続けるのか。

もう1点、少し話は変わりますが、東京大学の五月祭に参政党の神谷宗幣代表が登壇するとのことで、「参政党の主張は差別・ヘイトであり言論ではない、だから登壇を認めるべきでない」という反対運動がSNSの一部で起きていました。

私は参政党の発言すべてに賛成しているわけでは全くありません。むしろ考えが異なることの方が多いですし、言いすぎだと思う場面もあります。だから批判はします。

ただ、「それは差別だ、ヘイトだ、だから言論の自由はない」と言って登壇の機会を奪うのは、私としては絶対にやってはいけないことだと思っています。

言論には言論で反論する。これはリベラルや左派が最も大切にしてきた価値観だったはずです。もともとリベラリズムは、権力者による言論弾圧に抗って自由を勝ち取ってきた運動から生まれたのですから。

五月祭 東京大学HPより

辺野古の件も、東大五月祭の件も、直接の関連はありません。しかし根底に流れるものは同じだと感じます。

「自分たちは正しい、だから法令を踏みにじっても構わない」「自分たちが差別と判断したものは言論ではない」

そういう傲慢さです。

何がヘイトで何が差別発言かの判断は非常に難しい。それでも自分たちの基準で一方的に線引きし、相手の言論を封じる。これではリベラルが世論の支持を失っていくのも当然ではないでしょうか。

遺族の方が毎週、自らの言葉でノートに書き続けている。その姿を見るたびに、胸が締め付けられます。

本来、これを大々的に取り上げるのは大マスコミの仕事のはずです。産経新聞やABC放送が頑張っているのは事実ですが、民放キー局や大新聞の報道量はいまだ低調と言わざるを得ません。

そして関連団体には、せめて事故の原因究明が終わるまでは、不法占拠のテントを自主的に撤去し、道路上の座り込みも自粛する、それだけの最低限の誠意を示してほしいと思います。

言論活動は続ければいい。ただ、違法行為は止めてください。

行政も、東京であれば当然取るような毅然とした対処を、沖縄でもきちんと行うべきです。私としてもこの点は政治の場でも、世論に向けても、引き続き声を上げ続けていきたいと思います。

編集部より:この記事は、前参議院議員・音喜多駿氏のブログ2026年5月12日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。

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