全米を震え上がらせたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件とは

事件で破壊されたオクラホマシティ連邦政府ビルの北側。(Photograph by AP Photo)

 1995年4月19日午前9時2分(現地時間)、米国オクラホマ州オクラホマシティのアルフレッド・P・マラー連邦ビルが爆破され、子ども19人を含む168人の命が奪われた。それまでの米国史上、最も多くの犠牲者を出したテロ事件だった。

 この事件をきっかけに米国は、自分たちにとって最大の脅威の一つが国内テロリズムであるという、不安をかき立てる事実に向き合わなければならなくなった。犯人のティモシー・マクベイは、外国の工作員ではない。元米陸軍兵士のマクベイは、168人もの犠牲者のことを、連邦政府に対する自分の個人的な戦いの巻き添えに過ぎないと考えていた。

見過ごされていた国内テロリズム

 オクラホマシティの事件が起こる前の数十年間、連邦政府は主に左翼の過激派による暴力行為に気を取られ、右翼の反政府過激派などの国内の脅威はほとんど見過ごされていた。そこへ、1993年にニューヨークで世界貿易センター爆破事件が起こる。これは米国の領土で外国のテロリストが起こした初めての大規模なテロ事件であり、外国からのテロリズムに注目が集まるきっかけとなった。

 そのため、オクラホマシティで爆破事件が起きた時、国内テロによる犯行ではないかと考えた人はごくわずかだった。

ギャラリー:子ども19人を含む168人が犠牲に、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 写真5点(写真クリックでギャラリーページへ)

FBI捜査官に付き添われて裁判所を出るティモシー・マクベイ。(Photograph by Bob Daemmrich, Getty Images)

 事件直後は憶測が飛び交い、NBCニュースのレポーター、コニー・チャン氏ははっきりした証拠もなくテレビで次のようにレポートした。「政府筋によると、中東のテロリストによる犯行であることは明らかだとのことです」

 他のジャーナリストや評論家も、新聞やテレビで同様の説を展開した。

 噂が噂を呼び、全米でイスラム教徒に対する激しい憎悪が巻き起こる。オクラホマ州スティルウォーターでは、イスラム教の礼拝堂であるモスクに男が発砲し、怪我人こそ出なかったものの、窓がいくつか破壊された。

 イスラム系の人々は警察からも目を付けられた。米国市民のアブラハム・アーマドさんは、事件翌日に帰国した際、連邦捜査官によって逮捕・拘束された。

 そんななか、当時大統領だったビル・クリントン氏は冷静さを保っていた。「すぐに、外国のテロリストによる犯行だと思われるだろうと言ったことを覚えています。しかし、思い込みは禁物だと考えていました」と、氏はテレビのドキュメンタリー番組で話した。

 はたして、容疑者として特定されたティモシー・マクベイは、外国人ではなく米国で生まれ育ったテロリストだった。

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