競馬記者が見たアニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』(14)「新たな山」
競走馬をモチーフとしたキャラクター、オグリキャップが主人公のTBS系アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』(日曜後4・30)の第2クールの放送が5日にスタートした。地方・笠松競馬からはじまったオグリキャップのレースをリアルタイムで見てきた競馬記者が、毎週の放送に合わせて史実のオグリキャップやライバルたちの動向、実在の騎手、調教師、厩務員、調教助手、馬主、生産者らの言動を振り返ってオグリキャップの実像を紹介し、アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』と重ね合わせていく。
※以下、アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』のネタバレが含まれます。
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第2クールは第1クールのおさらいで始まり、前半はカサマツ時代のオグリキャップのライバル、フジマサマーチにスポットを当てたスピンオフが展開された。
オグリがタマモクロスと激闘を演じた天皇賞(秋)から遡(さかのぼ)ること約3カ月半。カサマツレース場で行われる重賞・岐阜王冠賞にフジマサマーチの姿があった。そのレースにはマーチが4着に敗れた東海ダービーの覇者ヤマノサウザンも出走していた。ヤマノは、マーチとオグリがワンツーフィニッシュを決めたゴールドジュニアで敗れていた。だが、オグリが去ってからその立場は逆転。1勝5敗のマーチに対し、ヤマノは4勝、2着2回の好成績を収めていた。
オグリが先輩のウマ娘と初対戦となった高松宮杯で1着となったその日、ヤマノを破ってフジマサマーチは重賞初勝利を決めた。今回の対戦前、ヤマノに「口を開けばオグリオグリと……いつまでもあいつの影を追い回して」と言われたマーチはこう言う。「私が追っているのは影ではない。あいつ自身だ!!」。オグリと再び相まみえるという目標があればこその復活だった。
アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第14話。フジマサマーチがヤマノサウザンに言う。「当然だ。私はあいつ(オグリキャップ)のライバルだからな」Ⓒ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.史実の1988年でも岐阜王冠賞と高松宮杯は同じ日(7月10日)に行われた。岐阜王冠賞を勝ったのはマーチトウショウ。牝馬ながら東海ダービーを制したフジノノーザンは5着に敗れた(ゴールドジュニアでも5着だった)。
フジノノーザンは岐阜王冠賞後に中央へ移籍。マーチトウショウも翌年、フジノノーザンを追うように、彼女がいる栗東トレーニングセンターの武宏平厩舎に入った。だが、マーチトウショウが中央の舞台でオグリキャップと同じレースに出走することはなかった。
アニメ第14話の後半は天皇賞(秋)直後に飛ぶ。メジロアルダンに「得意な距離などあります?」と聞かれたオグリキャップは「う~~ん……強いて言うなら…」と答えようとすると、ディクタストライカが「マイルだろ?」と横から入ってきた。ディクタいわく「ペガサスステークス、ニュージーランドトロフィー、この2つのレースは他より明らかに内容が良かった。どっちも1600メートルのマイル戦。お前は本来マイラーだよ」。そういって、彼女も出走するマイルチャンピオンシップでの対戦を熱望した。
2500メートル(有馬記念)と1600メートル(マイルチャンピオンシップ、安田記念)のGⅠをそれぞれ2勝した史実のオグリキャップはどうだったのだろう。
『2133日間のオグリキャップ 誕生から引退までの軌跡を追う』(有吉正徳・栗原純一、ミデアム出版社)の「毎日杯(昭和六十三年三月二十七日)」の章に以下の記述がある。
<競走馬の距離適性を計る時、ジョッキーは最もレースぶりの良かった一戦を基準にする。河内の頭の中には千六百メートルのペガサスステークスがこびりついていた>
<実際に毎日杯を勝っても、河内のイメージはそれほど変わっていない。「やはりマイル戦(千六百メートル)がオグリキャップのベストだ」という印象に変化はなかったのだ。>
「ジャパンカップ(昭和六十三年十一月二十七日)」の章には<血統的な不安があるうえ、主戦河内がつねづね口にしてきた「ベストは千六百メートルから千八百メートル」の言葉も距離限界説に拍車をかけた。>とある。
また、「有馬記念」(平成二年十二月二十三日)の章には野平祐二調教師のこんなコメントが載っている。
<最も大事なのは状態でなく能力。オグリの場合、本質的にはマイラーですから、有馬記念がゆったりした流れになり、実質千六百メートルの競馬になれば雪辱可能だと思います>
だが、オグリキャップ陣営が天皇賞(秋)の次走に選んだのは東京芝2400メートルのGⅠ・ジャパンカップだった。
タマモクロスに敗れた天皇賞後、オグリキャップの関係者は次走について、約1カ月後のジャパンカップに駒を進めるか、適正距離といえる3週間後のマイルチャンピオンシップに臨むか、すみやかに協議した。オグリキャップはタマモクロスとともに東京競馬場に出張厩舎に残り、ジャパンカップに向かうことになった。『銀の夢 オグリキャップに賭けた人々』(渡瀬夏彦、講談社)によると、中央に移籍して初めて土をつけられたタマモクロスに雪辱したいというオーナーサイドの意向が大きく反映されたという。
アニメでもオグリはジャパンカップと有マ記念を挙げて「とりあえずこの2つは絶対に出る」と言い切った。秋の盾を敗れた直後、「天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有マ記念。この秋のGⅠ3つ全部獲ったる」と宣言していたタマモと「また走ろう」と『約束』したからだった。オグリは言う。
「距離は関係ない。私が勝ちたいのはタマモクロスだ」
アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第14話。「距離は関係ない。私が勝ちたいのはタマモクロスだ」Ⓒ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第14話。ディクタストライカ(左)とすれ違ったウマ娘は?Ⓒ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.オグリの思いとは裏腹に、複数のウマ娘がオグリやタマモにライバル心を燃やしていた。メジロアルダン、ディクタストライカ、ヤエノムテキ。第2クール初回は彼女たちとの今後の熱き戦いを予感させた。
第5回マイルチャンピオンシップを圧勝したサッカーボーイ(河内洋騎手)=1988年11月20日、京都競馬場■鈴木学(すずき・まなぶ)サンケイスポーツ記者。シンザンが3冠馬に輝いた1964年に生まれる。慶応大卒業後、89年に産経新聞社入社。産経新聞の福島支局、運動部を経て93年にサンケイスポーツの競馬担当となり、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン兄弟などを取材。週刊Gallop編集長などを歴任し現在に至る。サイト「サンスポZBAT!競馬」にて同時進行予想コラム「居酒屋ブルース」を連載中。著書に『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)。