「外国人問題を解決してくれるから」だけではない…高市政権が支持率70%超えの「最強政権」になったワケ(プレジデントオンライン)

各報道機関の世論調査で、高市政権が70%超えの高支持率を維持している。評論家の白川司さんは「自民党より右寄りな政党が複数生まれたことで、高市政権は『中道保守』になり、野党は戦後からの対抗軸を失った」という――。 【図表をみる】安倍政権と高市政権の決定的違い ■「高市批判」する立民が批判される  高市早苗政権は、中国との関係で緊張を高めたことに批判を受けながらも、政権基盤そのものは驚くほど安定している。  その一方で、これまで自民党政権批判の受け皿である立憲民主党は、高市政権を激しく批判するほどに支持を落としているように見える。マスコミが日中関係の悪化で政権批判を展開する一方で、SNS世論を中心に、その批判の矛先はむしろ高市批判を強める立憲民主党へと向かう。  対中関係の悪化は、高市首相が台湾有事の際の存立危機事態を具体的に述べたことがきっかけだったが、マスコミが高市首相を批判するかたわらで、SNS世論の批判は、この答弁を引き出した立憲民主党の岡田克也氏により強く向けられた。 ■キーワードは「新しい保守層」  このような現象は、単なる政権交代の有無を越え、日本の政治環境そのものが構造的に変化しつつあることの象徴だろう。  なぜ高市政権は安定し、なぜ立憲民主党などのこれまで反自民の中心となってきた野党が支持を落とすのか。その背景には、自民党の性格、安倍政権が残した政治的遺産、そして「新しい保守層」の台頭がある。  ここでは、なぜ新しい保守層が生まれ、それが高市政権や野党にどんな意味を持つのかを中心に考えたい。

■自民党の売りは“幅の広さ”  自由民主党は、しばしば「保守政党」と一括りにされる。しかし、その成り立ちを振り返ると、単純な保守政党とは言いがたい性格を持っている。  自民党は1955年体制のもと、反共を最大公約数として結集した政党である。そこにあったのは一貫したイデオロギーではなく、「イデオロギーを前面に出さない」という共通点だった。つまり、自民党議員の共通点は基本政策の一致にあるのではなく、「イデオロギーを持たない」ということのみだといっても過言ではないだろう。  戦後日本では、知識人層やマスコミ、教育界において左派・リベラルの影響力が強く、保守勢力が単独で政権を担う土壌は乏しかった。そのため、自民党はリベラルから保守までを内包する“幅の広さ”を持つ政党として発展してきた。  つまり、自民党の性質をひとことでいえば、「イデオロギーがない政治家の集まり」である。  だが、このことは戦後日本では重要である。戦後の日本では、社会主義の影響がアカデミズムを中心に強かった。それが共産党と社会党など野党やマスコミとつながり、実際の支持者の割合以上の影響力を持っていた。  だからこそ、「イデオロギー嫌い」が多い日本人の多くが自民党を積極的・消極的に支持してきて、長期政権を実現してきたわけである(日本人がイデオロギー嫌いであることを指摘した政治系学者に永井陽之助や丸山真男がいる)。 ■「保守」の自民が憲法改正を目指す理由  この構造の結果、党内で保守が主導権を握ると、相対的に「右」に位置づけられる。たとえ保守中道の政策であっても、マスコミや野党から「右翼的」「戦前回帰」といったレッテルを貼られやすく、安全保障や憲法の議論はすぐに軍国主義と結びつけられてきた。  1つのイデオロギーや理想を重視する者にとって、自民党は「中道を装った巨大な寄り合い所帯」でしかない。  そもそも日本の「保守」には大きなジレンマがある。それは憲法改正が本来、革新派が進めるべき政策であるのに、日本では現状を守られるべき保守が憲法改正を担っているからだ。憲法は本来、時の政治体制を守るために作られるが、戦後、GHQが憲法を急ごしらえして、当時のトレンドであるリベラル改革的な理想主義が前面に出て、共産党などの革新派にとって都合のよい憲法ができあがった。  通常であれば、憲法改正は「社会変化とともに実現するもの」であるのに、日本における憲法改正は「現状を守るものに戻す」という現実主義的な作業である。  そのため、日本では「保守」が憲法改正、「革新」が護憲というねじれが起こっている。

プレジデントオンライン
*******
****************************************************************************
*******
****************************************************************************

関連記事: