広島 原爆の日 80年【速報中】ひ孫らと初めて参列した91歳、猛烈な閃光の記憶「継承してほしい」
広島は6日、80回目の原爆忌を迎えた。広島市中区の平和記念公園には、未明から多くの遺族らが訪れて犠牲者らに祈りをささげている。
午前8時から平和記念式典が始まった。原爆が投下された午前8時15分には参列者らが黙とうし、核兵器廃絶への思いを新たにした。平和な世界の実現を願う1日を速報で伝える。
「白い落下傘のようなもの」から猛烈な閃光…91歳女性、孫らに語り継ぐ
平和記念式典に孫とひ孫と参列した被爆者の小松宏生さん(6日午前)11歳で被爆した栃木県那須烏山市の小松宏生さん(91)は、初めて平和記念式典に参列した。孫の沙梨さん(35)と、10歳のひ孫、7歳のひ孫も一緒だった。(詳しくは こちら )
引き取り手がない遺骨812人の名前を読み上げ
曽祖父2人が被爆者で、広島市出身の高垣慶太さん(23)(東京都)は6日午前、平和記念公園(広島市中区)内の原爆供養塔前で、引き取り手がいないまま塔に納められた遺骨812人の名前を、仲間ら約30人と約2時間かけて一人ずつ読み上げた。(詳しくは こちら )
石破首相、広島平和記念資料館を視察
石破首相が広島平和記念資料館を視察した。芳名録に「祈 平和な世界」と記した。(詳しくは こちら )
◆【平和記念式典】
投下時刻に合わせて黙とうする人たち(6日午前8時15分、広島市中区の平和記念公園で)式典には、被爆者や遺族、石破首相らが参列。原爆投下時刻の午前8時15分、遺族が「平和の鐘」を鳴らし、出席者全員で黙とうをささげた。(詳しくは こちら )
海外で暮らす被爆者や遺族、10年ぶり参列
米国とブラジル、韓国の計10人が主催の広島市に招待された。父を失ったブラジルからの参加者は「父は地球の反対側のブラジルで平和の種をまいた」(詳しくは こちら )
平和宣言、核兵器禁止条約を締約し「ヒロシマの心」体現を
平和宣言を読み上げる松井一実・広島市長(6日午前8時21分、平和記念公園で)広島市の松井一実市長は平和宣言を読み上げた。(全文は こちら )
石破首相「核兵器のない世界」主導
石破首相は「核兵器のない世界」への取り組みを主導することは我が国の使命だと述べた。(全文は こちら )
こども代表が平和への誓い
こども代表の広島市立皆実小学校6年、関口千恵璃さんと祇園小学校6年、佐々木駿さんが平和への誓い。(詳しくは こちら )(佐々木さんの思いを伝える記事は こちら )
◆【平和記念公園】
夜明け前から平和記念公園を訪れた人たち
式典のため、平和記念公園は午前5時から9時まで入場が制限される。式典開始を前に未明から多くの人々が公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑や原爆供養塔などに手を合わせた。
高橋千鶴子さん(原爆死没者慰霊碑近くで)(妹を見つけられなかった96歳女性の声は こちら )
(やけどで兄を失った被爆2世の女性の声は こちら )
(被爆2世の男性の声は こちら )
(核廃絶誓う被爆3世の声は こちら )
(家族全員を亡くした男性の声は こちら )
(父を亡くした82歳女性の声は こちら )
原爆投下から80年を迎えた朝、原爆死没者慰霊碑に線香を手向ける参列者たち(6日午前4時51分、広島市中区で)(胎内被爆した男性の声は こちら )
(父の遺骨が見つけられない男性の声は こちら )
(集団疎開で被爆免れた89歳男性の声は こちら )
(原爆で祖母を失った女性の声は こちら )
式次第は以下の通り
8:00 開式 原爆死没者名簿奉納、式辞、献花
8:15 黙とう・平和の鐘、平和宣言(松井一実・広島市長)、平和への誓い(こども代表)、あいさつ(石破首相、湯崎英彦・広島県知事ら)、ひろしま平和の歌
8:50 閉式
◆【6日の主な追悼行事(いずれも広島市中区)】
9:00 青少年平和文化イベント「ヒロシマの心を世界に2025」 広島国際会議場
9:15 「原爆供養塔納骨名簿」を読み上げる集い 平和記念公園・原爆供養塔北側
13:30 被爆80年 8・6ヒロシマ平和の夕べ RCC文化センター
14:00 第4回平和学長会議 広島大東千田キャンパス
18:00 ピースメッセージとうろう流し2025 元安川
◆【被爆80年、核を巡る世界の情勢と被爆者の思い】
原爆投下を正当化、アメリカ国民の評価割れる…「支持」減少か
米調査機関ピュー・リサーチ・センターは28日、日本への原爆投下から80年となるのを前に行った世論調査の結果を発表した。原爆投下を正当化できるかどうかを巡り、米国民の評価は割れている。(記事は こちら )
「被爆者なき時代」9割が不安視
被爆者健康手帳を持つ人の平均年齢は86・13歳。広島、長崎への原爆投下から80年になるのを前に、読売新聞社などが実施した被爆者へのアンケートで、回答を寄せた1781人の約9割が「被爆者なき時代」への不安を訴えた。(記事は こちら )
被爆80年、ヒロシマの歩み
1945年8月6日午前8時15分、たった一発の爆弾により、被爆者の長い苦難が始まった。年表で振り返る。(年表は こちら )
被爆者運動を先導し、「被爆地ヒロシマの顔」と呼ばれた坪井直さん(死去)は熱線で全身に大やけどを負い、生死の境をさまよった。2016年5月にオバマ米大統領(当時)が現職として初めて被爆地を訪問した際には握手を交わし、核兵器廃絶に向けて「ともに頑張ろう」と話しかけた。(坪井さんを紹介する記事は こちら )
被爆の記憶 証言アーカイブ
80年前のヒロシマとナガサキで何があったのか。被爆者の体験と平和への祈りを特集ページで紹介しています。(特集ページは こちら )