アルゼンチン軍政下で行方不明になった家族を探し……活動家ロイシンブリットさん、106歳で死去

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画像説明, ローサ・ロイシンブリットさんは、アルゼンチン軍政に拉致され行方不明になった家族やその子供たちの消息を探す団体「五月広場の祖母たち」の中心的存在の一人だった。アルゼンチンは1976~1983年にかけて、軍政支配下にあった。写真は2016年撮影

1976年から1983年にかけてアルゼンチンを支配した軍事政権に拉致された家族や、大勢の被害者を探し続けた「5月広場の祖母たち」の一人、人権活動家のローサ・ロイシンブリットさんが6日、亡くなった。家族や同団体が発表した。106歳だった。

ロイシンブリットさんは「5月広場の祖母たち」で、さまざまな役職を経て名誉会長となった。

「私たちは感謝の言葉しかない。彼女は献身的に、そして愛情をもって、孫息子や孫娘たちを最後まで探し続けた」と同団体は声明で述べた。

アルゼンチン軍政下のいわゆる「汚い戦争」の最中、軍政に反対した約3万人が殺害、もしくは強制的に失踪させられた。拘束された反政府活動家の子供たちも捕らえられ、多くの場合は別の家庭の子供として育つことになった。母親の拘束中に生まれて、そのまま別の家族の子供ということにされた人も大勢いる。

ローサ・ロイシンブリットさんは1919年、アルゼンチン中部のモイゼス・ヴィエで生まれた。

ユダヤ系移民の多いこの町で生まれ育ち、産科医になったロイシンブリットさんは1949年にブエノスアイレスに移り、1951年に結婚した。

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画像説明, 行方不明になった家族を探す「5月広場の祖母たち」共同創設者の一人、エステラ・デ・カルロットさん(右)と、ロイシンブリットさん(1978年撮影)

1976年3月の軍事クーデターで権力を握った軍部は、対立勢力を徹底的に排除した。軍政に抵抗する数万人が摘発され、秘密の拘束・拷問施設に送り込まれた。

拉致された多くは、「死の飛行」と呼ばれる悪名高い方法で殺害された。その人たちは軍用機に乗せられ、鎮静剤を打たれた状態で高い上空から海に落とされた。

軍政はまた、拉致した女性が妊娠中だった場合は刑務所などで出産させた。出産後に母親を殺害し、赤ちゃんは、子供を欲しがっている軍人家庭に渡した。

こうして推定500人の赤ちゃんが、親元から引き離されたとされている。

ロイシンブリットさんの娘パトリシアさんは1978年10月に、夫ホセ・ペレス・ロホさん、1歳3カ月の娘マリアナさんと共に、軍政に拉致された。夫妻は左派活動家で、パトリシアさんは妊娠していた。

家族3人は、ブエノスアイレス最大の秘密拘束施設「海軍技術学校(ESMA)」に移送された。パトリシアさんは、その地下室で息子を出産するまでは、生かされていた。

マリアナさんは間もなく祖母ロイシンブリットさんのもとへ戻され、祖母のもとで育った。

パトリシアさんとホセさん夫妻の遺体は、見つからなかった。

そして生まれて間もない男の子は、空軍の情報将校に渡され、将校とその妻の息子として育てられた。

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画像説明, ホセ・ペレス・ロホさん(左)とパトリシア・ロイシンブリットさんは1978年10月6日、軍に拉致された

家族を拉致されたロイシンブリットさんは、ブエノスアイレス市内の5月広場で政府に抗議していた「5月広場の祖母たち」に参加。会計係を6年間、そして1989年から2022年までは副会長を務めた。

会ったことのない弟を探し続けていたマリアナさんと、「5月広場の祖母たち」の活動を通じて、パトリシアさんが拘束施設で出産した男の子の居場所が2000年に判明した。DNA鑑定によって血縁関係が確認された。

男の子を引き取ったのは、フランシスコ・ゴメス空軍将校と妻のテオドラ・ジョフレさん。夫妻は「息子」を「ギエルモ・フランシスコ・ゴメス」と名付けていた。

ギエルモさんは姉や祖母と再会した後、しばらくして名前を「ギエルモ・ペレス・ロイシンブリット」に変えた。

ギエルモさんを誘拐した罪に問われたゴメス被告は2016年、長期の実刑判決を受けた。判決言い渡しの法廷で、ロイジンブリットさんは傍聴席にいた。ジョフレ被告は後日、禁錮3年を言い渡された。

同じ2016年にはさらに、パトリシアさんとホセさんを拉致し拷問した罪で、元空軍最高司令官と元情報将校が有罪となり、禁錮25年を言い渡された。ほかにも数百人の軍政関係者が、人権侵害の罪で起訴され有罪となっている。

当時96歳のロイシンブリットさんは、2人の孫とこの判決も傍聴していた。

そして翌年にはAFP通信に、「傷が癒(い)えることは決してない(中略)でもこれでもう私が活動を止めるかって? いいえ、絶対に止めない」と話した。

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画像説明, 裁判所の前に並ぶロイシンブリットさんと、孫のマリアナさんとギエルモさん。姉弟の両親を拉致・拷問した罪で、元軍関係者らに長期刑が言い渡された2016年9月の様子

「5月広場の祖母たち」をはじめとする様々な団体の活動を通じて、母親の拘束下で生まれた推定140人が、血縁の家族と再会している。

「私たちは闘う。けれども本当の英雄は、すさまじい独裁政権に抵抗して立ち上がった、私たちの子供たちだ。あの子たちは、国をもっと良くするために命をささげた」のだと、ロイシンブラットさんは話していた。

ギエルモさんは今では弁護士となり、人権擁護活動を続けている。祖母の功績を引き継ぎ、「5月広場の祖母たち」と共に活動している。

ギエルモさんは6日、ソーシャルメディア「X」で祖母の死去を発表。「おばあちゃんが亡くなった。私自身の悲しみを超えて、祖母が46年を経てようやく私のママと再会し、そして祖母が誰より愛した、私の祖父ベンハミンと再会できたと思うと、とても心が落ち着く」と書いた。

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