20年越しに語られる“イスタンブールの奇跡”の秘話…リバプールからはレジェンドも続々来日!!「不可能が動き出す」新展示が渋谷に登場(ゲキサカ)
リバプールのレジェンドである元ポーランド代表のGKイェジー・デュデク氏と元フィンランド代表のDFサミ・ヒーピア氏が28日、東京都渋谷区のライブハウスでトークイベントを行った。2人は「イスタンブールの奇跡」として知られる2004-05シーズンUEFAチャンピオンズリーグ優勝の立役者。話は0-3からの奇跡的な同点劇でPK戦を制したミランとの決勝戦だけでなく、準決勝までの戦いにも及び、数々の貴重なエピソードが明かされた。 【写真】「着たのか、着させられたのか?」元日向坂46齊藤京子さんがJクラブのユニ姿に このトークイベントは現在来日中のリバプールとオフィシャル・グローバル・パートナーの講談社が、日本航空の特別協力を受けて共同開催している展示会「Where Impossible Happens」(渋谷区、7月28日〜8月3日)のオープニングレセプションとして開かれたもの。クラブとともに来日中のヒーピア、デュデクの両氏と、現地で人気を博すクラブ愛にあふれたポッドキャスト『The Anfield Wrap』のジョン・ギボンズ氏が登壇した。 展示会のテーマは「Where Impossible Happens(不可能が動き出す場所)」。同じ1973年生まれの2人にとって、リバプールとの出会いも「不可能が動き出す」ような体験であったという。 デュデク氏は27歳だった2001年8月、オランダの名門フェイエノールトからリバプールに加入。当時のジェラール・ウリエ監督のもとで主力に定着し、責任あるゴールマウスを任されるようになったが、実はクラブとの印象的な出会いは19歳の頃だった。デュデク氏は次のように振り返った。 「リバプールと契約した時、ポーランドにいるたくさんの友達から『歴史のあるビッグクラブだし、チャンピオンズリーグで何度も優勝したクラブに行くんだからその決断を誇りに思うべきだ』と言ってきた。ただ、その頃は同時に大きな責任を感じていたし、このクラブを代表してピッチに立つたびに大きな期待を感じていた。こうなることは夢にも思っていなかったから。でもその裏に面白いストーリーがあるんだ。私は1992年にドイツでのトレーニングキャンプでトッテナムと対戦した。そこで実はリバプールの素敵なマフラーを見つけ、手に入れたんだ。まだ19歳の頃だった。それから27歳でリバプールとの契約を結ぶことになって、ちょうどすぐにポーランド代表の試合に向かったんだけど、試合の前に母から『オランダを出てリバプールに行くの?』と聞かれて『そうだよ』って言ったら、母が『これを覚えてる?』ってバッグからマフラーを取り出してきたんだ。まさか持っているとは思わなかったから『なんてことだ!』と思ったよ。でもこういった小さな出来事が、自分がどこに行くべきかを教えてくれるサインになっていると思ったんだ」(デュデク氏) 一方のヒーピア氏にとっては、リバプールは幼少期から憧れた特別なクラブだったという。1999年5月、オランダのビレムからリバプールに加入。2000-01シーズンからはキャプテングループの一員となり、02-03シーズンには正式なキャプテンも担当した。翌シーズンからは地元のレジェンドMFスティーブン・ジェラードに大役を譲ったが、憧れのクラブを背負う経験は特別なものだった。 「僕は子どもの頃からリバプールが大好きで、僕が初めて手に入れた時のユニフォームは胸に『Candy』(1988-89から91-92シーズンの胸スポンサー)と書いてあったよ(笑)。僕はフィンランド出身で、フィンランドはフットボールよりもウインタースポーツの国だ。でもそこからキャプテンを任されるようになったということが本当に光栄で、本当に特別なことだった。ピッチの中でも外でも素晴らしいストーリーがあったし、リバプールで過ごした10年間は素晴らしい年月だった。決して忘れることはないね」(ヒーピア氏) そんなリバプールの歴史の中でも、最も「不可能が動き出す」という言葉にふさわしい出来事の一つが2005年5月25日のイスタンブールの奇跡だった。 この試合のリバプールは当時黄金期だったミランに対し、前半だけで3失点を喫して0-3で前半を終了。ところが後半9分からのわずか6分間で3ゴールを決めて同点に追いつくと、その後は再び一進一退の攻防となったが、ピンチもありながらPK戦に持ち込み、最後はデュデク氏が2本のPKをストップする大活躍を見せ、見事に5回目の優勝を勝ち取った。 デュデク氏は延長戦でもFWアンドリー・シェフチェンコの連続シュートを阻んでおり、神がかり的なスーパーセーブによって奇跡に導いた立役者。ただ、当時を回顧しながら興奮気味に語ったのは「クラブのDNA」だった。 「あの試合はリバプールのDNAをよく表している試合だったと思う。私たちはハーフタイムに0-3で負けていたけど、ロッカールームから出る時にファンが『You'll Never Walk Alone』を歌ってくれたんだ。他のチームだったらもしかしたら静まり返っていたかもしれない。あれは忘れられない試合だね。私も普段の試合後だったら、良い試合をしても『もっとこうすればよかった』と自分を批判してばかりだったけど、あの試合だけは『この試合を誇りに思おう』と自分に言い聞かせられた試合だったんだ。そんな試合は後にも先にもない。サッカー人生で最高の瞬間だったと思う」(デュデク氏) 司会のギボンズ氏も20年前、イスタンブールのスタンドでハーフタイムに『You'll Never Walk Alone』を歌っていたサポーターの一人だったという。 デュデク氏は「(0-3になって)もうスタジアムにいなかったんじゃないの?」というジョークで会場に笑いを誘うなか、「ノーノー。みんなずっといたよ(笑)」とギボンズ氏。0-3という劣勢でも「ここから反撃してくれという気持ちもあったし、それよりもずっと一緒に頑張ってきた選手たちとここまで来たんだ、最後までついていこうという気持ちで歌っているように感じたんだ」と懐かしんでいた。 そこでヒーピア氏がもう一つ、印象的なエピソードを語り始めた。切り出したのはグループリーグ最終節、勝ち点3差をつけられたオリンピアコスに対し、直接対決の結果で逆転するためには2点差以上で勝利しないといけないという条件の中、後半アディショナルタイムにMFスティーブン・ジェラードが劇的なゴールを決め、3-1で勝利した試合だった。 「あの大会は決勝までも決して簡単な道のりではなかったよね。特にグループリーグ最終戦のオリンピアコスとの試合は2点差で勝たなければいけないのに、先に点を取られてしまって、そこから3点を取らないといけなかった。あの試合もファンが本当にすごかったんだ。私は今でもスティービー(ジェラード)が3点目を取った時の歓声が耳に残っているよ。それ以外にも難しい試合があったし、そんな難しい試合でもドレッシングルームまで『You'll Never Walk Alone』の歌声が聞こえてきた。イェジーが言うようにリバプールのファンは特別なんだ。私がリバプールにいた10年の間、彼らが私たちをフィールドから引き離したことは一度たりともなかった」(ヒーピア氏) するとデュデク氏からもファンの歓声にまつわるエピソードが飛び出す。今度は準決勝のチェルシー戦。敵地スタンフォード・ブリッジでの第1戦を0-0で終え、「勝てば決勝進出」という条件で満を持して臨んだ聖地アンフィールドでの第2戦での思い出だった。 「それならセミファイナルのチェルシー戦だ。1stレグのスタンフォード・ブリッジでは0-0だったけど、2ndレグのアンフィールドの雰囲気が本当に素晴らしかった。90分間ずっと大歓声で、10m先の味方に大声で叫んでも全く聞こえないくらいだった。とても素晴らしかった。あれから十何年後、私はバルセロナ相手の大逆転にも近かった。あの試合はスタンドで見ていたけれど、あれも凄かった。ピッチに立っていたかったなと思ったよ」(デュデク氏) すぐにギボンズ氏も「私もチェルシーとのカップ戦は印象的だった。アンフィールドでは信じられない夜が何度もあったけど、あの夜が一番盛り上がっていたし、クラブにとって信じられない試合の一つだった。グジョンセンが最後にシュートを打った(外れた)時は『ふぅー!』ってね。いや、これは良くないか(笑)。申し訳ない。でもあの日のことを話すと感情的になってしまうね」と口にし、思い出せばキリがないといった様子でエピソードを交わしていた。 そこで話は「イスタンブールの奇跡」の当日に戻り、延長後半に見せたデュデク氏の連続スーパーセーブに焦点が当たった。まさに「不可能が動き出す」ような決死のビッグプレーだったが、実はデュデク氏、試合当時は誰がシュートを放ったのかがわからないほどギリギリの状況判断だったという。 「あれは確かに僕のサッカー人生で最も重要な瞬間だったね。後半が始まってすぐ、6分間で3ゴールを決めて同点に追いついたばかりだったから、まだ試合が終わっていないのは分かっていたんだ。実は最初のシュートはヨンダール・トマソンのヘディングで、リバウンドがシェフチェンコのものだったと思っていたけど、あとからテレビで見てどっちのシュートもシェフチェンコだったと知ったんだ。あの時、私はとにかくゴールラインからシュートを抜こうとしただけで、リバウンドになるのは分かっていたし、とにかく自分に言い聞かせた。とにかく身体を持ち上げて、できるだけ身体を大きく見せようと。そうしたら2本目のシュートをセーブした時、ほとんど膝をついている状態で、ボールがあんなに高く飛んでいくのを初めて見た。ボールがゴールの後ろに着地した時、自分に言った。『これがやりたかったんだ。これを待ってたんだ。これに一生を捧げてきたんだ』とね。そうしたらヨン・アルネ・リーセがこっちに来てキスをしてきた。あれは良くなかった(笑)。でも本当にクレイジーな瞬間だった」(デュデク氏) これにはヒーピア氏も「あれはたぶん私がクリアするべきだったし、そうしていればあのダブルセーブもなかったね」と切り返して会場を笑わせつつ、興奮気味に「でもあのダブルセーブは紛れもなくターニングポイントだった。いや、ターニングポイントじゃなく、あの試合で最も重要な瞬間だったと言ってもいい」と力説。「もし(シュートを打つのが)私だったらリバウンドを決めていたし、最初のヘディングで決めていたかもね」と再びジョークを被せつつ、「あれは何より重要な瞬間だった。彼はスーパーヒーローだ。今回、講談社が漫画にしてくれた(展示物)ようにね」と振り返った。 その後もアンフィールドの思い出に話は尽きず、ヒーピア氏は自身のデビュー戦となった09年プレシーズンマッチのウォルバーハンプトン戦と1か月の負傷明けで出場してゴールを決めた04-05欧州CL準々決勝のユベントス戦を回顧。デュデク氏はあらためてチェルシー戦を挙げ、「ジェット機や音速機のような大声援だった」と振り返りながら、「奇跡はサポーターのおかげで起きるんだ。彼らはいつもポジティブなエネルギーを作り出し、そのおかげで試合に入れるんだから」と締めくくった。 なお、イベントにはリバプールの最高商務責任者(CCO)を務めるベン・ラティー氏も出席。「非常にクリエイティブで、プロフェッショナルな展示をしていただいて圧倒された。日本に到着してからずっとみなさんの温かい心、おもてなしに圧倒されている。ありがとうございます」と挨拶し、講談社の野間省伸代表取締役社長と日本航空の崎原淳子カスタマーエクスペリエンス本部副本部長に直接感謝の言葉を伝えた。 イベントの会場では30日の国際親善試合「Jリーグワールドチャレンジ2025」の横浜F・マリノス戦で使用される特別仕様のユニフォームも公開。ユニフォームの背中には書道家の秋月李雨(あきづき・りう)さんが特別に描いた筆文字の背番号と名前がプリントされており、20年ぶりに来日するリバプールの選手たちは日本の伝統的な「書道」デザインの背番号を背負ってピッチで躍動する。 リバプールと講談社のパートナーシップの歩みを体験できる展示会「Where Impossible Happens」の開催概要は以下のとおり。 ◆展示内容 1階:Where Impossible Happened: The Story So Far(不可能が現実になった場所――これまでの物語) リバプールFCとのパートナーシップの歩みを年表形式で紹介。『ブルーロック』とのコラボやリバプール現地での就職支援プログラム「Creative Works」、アンフィールド・スタジアムでの展示など、これまでの代表的な取り組みを振り返ります。 地下1階:Where Impossible Happens(不可能が動き出す場所) リバプールFCの歴史を語るうえで欠かせない伝説の試合「イスタンブールの奇跡」(2005年UEFAチャンピオンズリーグ決勝・対ACミラン)から着想を得た、安田剛士氏による特別描き下ろし漫画を展示。3点差からの奇跡の大逆転として今なお語り継がれるこの試合をモチーフに、来場者はまるで自分がその主人公となったかのように、最後のPKを蹴ることができます。 スタジアムの熱狂、ピッチ上の緊張、そして勝利の歓喜――。リアルとフィクション、映像と漫画が交錯する空間で、単なる視覚的没入を超えた“心のイマーシブ体験”をお届けします。 また、来場者全員に本展示限定のオリジナルステッカーをプレゼント。物語の続きを持ち帰り、自分自身の“Where Impossible Happens”を描き出すきっかけとなることを願っています。 ◆開催概要 イベント名:Where Impossible Happens 展 開催期間:2025年7月28日(月)~8月3日(日) 営業時間:各日10:00~20:00 ※7月28日(月)のみ、一般公開は19:00以降を予定 会場:OPENBASE SHIBUYA(東京都渋谷区宇田川町14-13 宇田川町ビルディングB1F・1F) 主催:講談社 協力:リバプールFC 特別協力:JAL 入場料:無料(地下1階は事前予約制) 事前予約:Peatixにて受け付け https://kodansha-wih.peatix.com 特設サイト:https://www.kodansha.com/liverpoolfc/ja/special/whereimpossiblehappens/