趣味で研究が進められた「AIを使った絵画修復」に関する論文が美術界を震撼させる
芸術作品は時間が経つにつれて劣化するため、作品を後世に残すためには、修復作業が必要です。しかし、芸術作品の修復失敗事件は多数発生しており、「素人修復家にアート修復を任せるべきではない」と訴えられることもあります。そんな中で、マサチューセッツ工科大学(MIT)で機械工学を専攻する大学院研究員が、芸術分野では素人にもかかわらず、AIを利用して絵画を修復する新しい方法を提案して美術界に衝撃を与えました。
Physical restoration of a painting with a digitally constructed mask | Nature
https://www.nature.com/articles/s41586-025-09045-4Digitally constructed mask brings a damaged painting back to life https://www.nature.com/articles/d41586-025-01582-2
Have a damaged painting? Restore it in just hours with an AI-generated “mask” | MIT News | Massachusetts Institute of Technology
https://news.mit.edu/2025/restoring-damaged-paintings-using-ai-generated-mask-0611損傷した芸術作品を修復するためには、失われた部分を手作業で修復する必要があります。そのような修復をなぜかプロの修復家ではなく素人が実施するケースがあり、「最悪の芸術品修復」として大騒動を巻き起こしたものや、天使像を塗り替えた結果がひどすぎて修復されるまで教会が閉鎖された例などがあります。
天使像の塗り替えに失敗した教会の一時閉鎖が決定 - GIGAZINE
芸術作品の中でも、損傷した油絵を修復するためには、相当の費用と数カ月に及ぶ作業時間が必要となります。デジタル処理の進歩は、修復の助けにはなっていましたが、直接的に作業を楽にすることはできていませんでした。 MITで機械工学を専攻する25歳の大学院研究員のアレックス・カッキネ氏は、趣味で絵画の修復作業をしている中で発見した新しい絵画修復方法を、2025年6月に科学誌「Nature」に発表しました。
カッキネ氏が提案した方法は、「損傷をAIで分析して、修復箇所を極薄の『マスク』に印刷して、絵画にかぶせる」というもの。マスクを絵画にかぶせると見た目では修復された絵画になりますが、剥がして元の状態に戻すことも容易なため、修復が誤りであった場合や経年変化も含めた元の絵画を大事にしたい場合、修復をなかったことにできます。 論文では、15世紀後半のひどく損傷した油絵について、デジタル修復する方法をシミュレーションしています。論文によると、損傷部位の数は5612カ所、補修対象の面積はA4用紙約1.2枚分となる約592平方センチメートルとのこと。この損傷箇所と面積の場合、従来の手作業による修復だと、232時間が必要であると推定されています。 AIを活用することで、元の絵画を再現するために5万7000色以上を検討し、カラープリント層と白色層を重ねたカラー精度の高い二重構造のマスクが作成されました。結果として、補修作業は3.5時間で完了すると算出され、従来の手作業による修復作業の約66倍の速度で完了できると論文では結論付けられています。 大まかな修復のシミュレーションは、以下のムービーで見ることができます。
Overview of Physically-Applied Digital Restoration - YouTube
カッキネ氏は「保管庫には、二度と見られないかもしれない損傷した美術品がたくさんあります。この新しい方法によって、より多くの美術品が見られるようになることを期待しています。そうなれば本当に嬉しいです」とコメントしています。
絵画の修復作業はカッキネ氏が趣味として実施していたものであり、カッキネ氏が主に研究するマイクロチップ上の電子ビームの研究を応用した、サイドプロジェクトとして進められたものでした。しかし、New York Timesが報じた内容によると、カッキネ氏の論文はイタリア文化省を始め、世界中の美術保存家の間で話題になったとのこと。
この研究をレビューしたNatureのハルトムート・クツケ氏は「作品をかつての輝きに戻す最大限の介入を支持する人もいれば、不可逆的な変化を避ける最小限の侵襲性アプローチを好む人もいます。デジタルプリントの取外し可能なマスクという手法は、その2つの世界をつなぐ素晴らしい架け橋です」と称賛しました。カッキネ氏の手法は論文で公開されて自由に使用できるにもかかわらず、個人の修復家が使用するには複雑すぎて適用が難しくなっています。カッキネ氏によると、今後は商用目的で絵画修復ツールを開発することも検討していますが、当面は基本的な技術の向上に重点を置いているそうです。より修復の精度を上げるため、修復業界からの情報やフィードバックも取り入れてプログラムが改善されていくことが期待されています。
・関連記事 新たな「芸術修復失敗事件」が発生、笑顔の女性の彫刻が見るも無惨な姿に - GIGAZINE
素人が絵画を修復しようとして大失敗する事態がまたもや発生、専門家が素人によるアート修復の規制を訴える - GIGAZINE
メトロポリタン美術館が歴史的な絵画を復活させる手順をYouTubeで公開中 - GIGAZINE
世界中で話題になった「おばあちゃんによる最悪の芸術品修復」から10年、町とおばあちゃんに起こった変化とは? - GIGAZINE