滋賀:織田信長が「祈願所として保護」記した朱印状、百済寺で見つかる…日付の5年後に信長が焼き打ち : 読売新聞
滋賀県東近江市は28日、織田信長が市内にある百済寺を祈願所として保護することを記した朱印状が同寺から見つかったと発表した。その存在は1929年刊行の「近江愛智郡志」に記されていたが、長らく所在不明となり、2023年夏に同寺で再発見されたという。
百済寺で見つかった織田信長の朱印状=東近江市提供発表によると、朱印状は縦31・0センチ、横43・6センチ。 楮(こうぞ) 紙に「百済寺は信長の祈願所である。他のどのような者が来たとしても、承知してはいけない」と命じ、寺の財産や権利などを保障する内容が書かれていた。信長の直筆ではなく、文官が代筆したとみられる。
信長が六角氏の居城だった観音寺城を手中にした9日後の1568年(永禄11年)9月22日の日付が記されており、当時の信長の官位「 弾(だん)正忠(じょうのちゅう) 」と書かれ、公印「天下布武」が朱色で押されていた。信長は足利義昭を擁して9月26日に上洛する途中で、周辺地域の攻略や平定に努めていたことをうかがわせる史料という。
滋賀県の地図市森の文化推進課の明日一史参事(中世考古学)は「信長の祈願所を記した古文書は少なく、百済寺に特別な意味を見いだしていたのではないか」とみている。同寺は1573年に信長によって焼き打ちに遭うが、濱中亮成住職は「寺を保護する内容で、信長の実像と百済寺の関係を示す貴重な史料」と話す。
市は今後、朱印状の公開を検討するという。