インド、ミャンマーからのロヒンギャ難民40人を突然送還 今も所在つかめず

ミャンマーでの迫害から逃れ、インドで暮らしていた少数派イスラム教徒ロヒンギャの難民が本国へ送還されたことが分かった/Illustration by Alberto Mier/CNN

ニューデリー(CNN) ミャンマーでの迫害から逃れ、インドで暮らしていた少数派イスラム教徒ロヒンギャの難民40人が、5月にインド当局から突然呼び出され、本国へ送還されたことが分かった。その後の所在は今もつかめないままだ。

モハンマド・イスマイルさんは2017年、娘のアスマさんを連れてミャンマーの村から逃げ出した。ロヒンギャは軍事政権による掃討作戦の標的とされ、兵士らによる性的暴行や放火、殺人が横行していた。

何十万人ものロヒンギャが隣国バングラデシュの難民キャンプに流れ込んだが、父娘はインドに新天地を見いだした。首都ニューデリー市内の片隅で、モハンマドさんはくず拾いの仕事を見つけ、アスマさんは学校に通った。20歳になったアスマさんは、今年結婚する予定だった。

ミャンマーを逃れバングラデシュの田んぼを歩くロヒンギャの人たち=2017年10月/Paula Bronstein/Getty Images

ところが結婚式の数日前、アスマさんは市内に住むほかのロヒンギャ難民39人とともに、インド当局の呼び出しを受けた。身分証明書の更新に生体認証情報が必要との理由だったが、その後全員が姿を消した。

CNNがインドとミャンマー、バングラデシュからの証言を基に調査し、航空機や船舶の追跡データと照合した結果、インド政府は女性13人と男性27人をひそかに集めて、適正な法的手続きを経ず、違法にミャンマーへ送還したことが明らかになった。

娘とらが強制送還されたと訴えるモハメド・イスマイルさん=5月/Esha Mitra/CNN

アスマさんが姿を消してからすでに4カ月以上過ぎたが、モハンマドさんにはまだ何の連絡もない。結婚式のために用意した服やアクセサリー、家具を見回しながら、モハンマドさんはどうしてあの日、娘だけが連れ去られたのかと問い続けている。

「お前たちに国はない」

悪夢は5月6日の夜に始まった。ニューデリーのヤムナ川沿いにあるイスラム系労働者の町、シャヒーンバグの自宅に、警官がやって来た。警官らは、生体情報のために署への出頭が必要な人々の名簿を持っていた。そこにアスマさんと、モハンマドさんの姉妹の名前があった。

翌日の早朝になってアスマさんから、拘束を言い渡されたと電話があった。さらに同日午前11時ごろの電話で、アスマさんは全員同じ服装に着替えさせられたと訴えた。

同じ日に拘束されたロヒンギャの男性、ジョン・アンワルさんも、同様の状況を報告していた。ミャンマー到着後に兄弟への電話で語った内容の録音を、兄弟がCNNに提供した。

それからまもなく、一行は空港へ運ばれた。CNNがニューデリー市内でインタビューしたヌールル・アミンさんが、連れ去られた兄弟からの電話で聞いた話も、これと一致している。アミンさんの親族は兄弟2人と義理の妹、両親の計5人が送還された。

親族5人が送還されたと話すヌールル・アミンさん=5月/Esha Mitra/CNN

アンワルさんの話によると、約3時間半の飛行で着いた先には、「ポートブレア」という表示があった。ニューデリーから南東へ2400キロあまり離れたインド洋上、インドとミャンマーの中間に位置するアンダマン諸島の最大都市だ。

約3時間半という飛行時間は、ニューデリー・ポートブレア間の通常の商用便と一致する。

CNNが調べた航空機追跡データによると、5月7日の午後2時20分ごろ、エアバスA321―211型の旅客機がニューデリー近郊のガジアバードの空港を出発していた。

同機は7時間37分後、ガジアバードの空港に戻ったと記録されている。CNNがデータを分析した結果、同機は南東方向に3時間半飛行し、アンダマン諸島から約80キロの位置で信号装置のスイッチが切れた。約50分後に再びスイッチが入り、インド本土へ向かう機体が確認された。

航空機追跡サイト「フライトレーダー24」によれば、同機はインド国防省傘下の国防研究開発機構(DRDO)が運航していた。CNNはDRDOにこのフライトについてコメントを求めたが、返答は得られていない。

ポートブレアの空港のすぐ近くに、アンダマン諸島の玄関口となっている港がある。アンワルさんが兄弟に語ったところによれば、一行は飛行機から降りてすぐ、「大きな白い船」に乗せられた。船の名前や型は分からなかったという。

CNNが船舶追跡サイト「ベッセルファインダー」で船舶自動識別装置(AIS)の受信データを調べたところ、5月7日夕方から9日朝にかけ、旅客船12隻を含む民間船24隻がポートブレアから出港していた。だがこの中に、ミャンマーへ向かった船の記録はなかった。

インド海軍の船のAISデータは公表されていない。

CNNは、この地域を統括するインド軍アンダマン・ニコバル司令部と、ポートブレアの港湾管理責任者にコメントを求めたが、応答はなかった。

アンワルさんが電話で話したところによると、一行は船上で目隠しをされ、銃を持った男たちに「頭を上げた者は撃つ」と脅された。

係官の1人は「お前たちの命には何の価値もない。お前たちに国はない。私たちがお前を殺したところで、だれからも何も言われない」と言い放った。

数時間後、一行は二つの船に分けられた。2隻はそれから約4時間後、暗闇の中で停止した。

アンワルさんは録音の中で「陸から遠く離れていたが、陸上の木にロープが張ってあり、海に飛び込めと言われた」「年配者はとても大変そうだった。体がとてもきつかったが、何とかみんな岸までたどり着いた」と話している。

CNNは、母親と一緒に送還されたという若い男性が親族にかけた電話の録音も入手した。この男性は、一行がミャンマーへ連れ戻されたと知り、パニックに陥った様子を訴えていた。

「私たちは島にいる。インド軍は私たちを残していなくなった」「海の真ん中の島に取り残された。どうかみんなに伝えてくれ。いつ軍につかまり、連れ去られるか分からない」

インドによる取り締まり

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推定によると、インドでは現在、約2万人のロヒンギャが暮らす。5月に送還された40人を含め、多くはUNHCRの難民認定を受けているが、インドは「難民を迫害の危険がある国へ送還してはならない」と定めた国際条約に署名していない。

インドのシャー内相はこれまでの演説で繰り返し、ロヒンギャの「侵入者」を追放すると表明してきた。現地の報道によると、内務省は5月、バングラデシュとミャンマーから不法に入国した疑いのある者を30日以内に調べ、資格が確認されなければ国外へ退去させるよう指示した。

不法移民を取り締まる特殊部隊に所属する警官はCNNとのインタビューで、5月6日に40人のロヒンギャがミャンマーに送還されたことを確認した。同警官は「合法的」な送還だったと述べたが、詳細な経緯については「国家安全保障」にかかわる事案だとして説明を避けた。

アスマさんたちがニューデリー市内の自宅から夜間に連行されたことは、インド国内法に違反していた可能性がある。同国の法律で、日没から日の出までの間に女性を拘束することは、特別な場合を除き禁止されている。治安判事への送致なしに24時間身柄を拘束するのも違法だ。CNNはニューデリー警察の複数の警官にコメントを求めたが、返答は得られていない。

バングラデシュの国境を越えてインドに入ろうとしたロヒンギャ難民を拘束して名前を登録している国境警備隊=2019年1月/Jayanta Dey/Reuters

国連でミャンマーの人権問題を担当するトム・アンドリュース特別報告者は5月に最初の報告を受け、「ロヒンギャ難民が海軍船から海へ放り出されたとは、まさにとんでもないことだ」と非難。「人間の品位に対する侮辱」であり、重大な国際法違反だと述べた。

ニューデリーを拠点とする弁護士のディラワル・フセインさんは5月、一行を連れ戻すようインド最高裁に申し立てた。これに対して最高裁は、送還の報告に裏付けがないと述べ、ロヒンギャに関するほかの訴えと合わせて審理する方針を示した。7月31日の公判では、ロヒンギャを不法移民とみなすかどうか、難民として保護対象とすべきかどうかについて判断を下す予定を明らかにした。次回の審理は今月中に開かれる。

「私たちは最大の嫌われ者」

涙を流すロヒンギャの少女=2017年10月、バングラデシュ・コックスバザール近郊/Paula Bronstein/Getty Images

ミャンマーへ強制送還された40人の正確な居場所は分からない。

ミャンマー南部タニンダーリ地方域の村に住む男性はCNNに、5月9日未明にアスマさんたちを海岸で見つけ、村で一時的にかくまったと話した。

男性が匿名を条件に語ったところによると、一行は2日半前から何も食べていないと話し、持ち物は着衣と救命胴衣だけ。ミャンマー国軍には引き渡さないでほしいと懇願していた。

国軍は2021年のクーデターで全権を掌握してから、複数の勢力を相手に内戦を繰り広げている。

クーデターを主導したミンアウンフライン国軍最高司令官は、17年にロヒンギャへの残虐な「掃討作戦」を率い、モハンマドさんやアスマさんら数十万人のロヒンギャを国外へ追いやった人物。ロヒンギャを「架空」の存在と呼ぶその発言には、ロヒンギャの正体がバングラデシュからの不法侵入者だとするミャンマー国内の通説が反映されている。

ロヒンギャは、ミャンマーが公式に認める135の民族に含まれず、完全な市民権を与えられていない。

アスマさんら40人はその後、国軍に対抗する現地の武装組織に引き渡された。CNNは安全上の理由から、この組織の名前を公表していない。同組織はコメントの求めに応じなかった。

ただし、国軍と対立する民主派の「国民統一政府(NUG)」で唯一ロヒンギャ出身のアウンチョーモー人権担当副大臣はCNNとのインタビューで、5月9日にインドから到着したロヒンギャ40人に対し、ミャンマー南部の部隊が住居と支援を提供していることを確認した。

バングラデシュの難民キャンプで暮らすデービッド・シャリフさんは、送還された一行の中に義理の兄弟とおい2人、その妻たちがいたと話す。親族がミャンマーに着いた後、この武装組織を通して2回、連絡が取れたという。

だが現地では国軍と親国軍の民兵組織、反国軍の武装組織が入り乱れて抗争を続けているうえ、ロヒンギャに対する不信感が根強い。親族の正確な居場所や今後の見通しは、はっきりしないままだ。

シャリフさんはCNNとのインタビューで「私たちはミャンマーで最大の嫌われ者。ロヒンギャについて多くの人々が知っていることは全部、うわさやデマばかりだ」と語った。

遠く離れたニューデリーでは、モハンマドさんが娘を待ち続ける。

「ジェノサイド(集団殺害)から逃れた時に離散した家族も多かったが、離れないようにがんばった」「(ミャンマー国軍に)娘をさらわれるわけにはいかない。苦労してインドへ無事避難させたのに」と、モハンマドさんは訴えている。

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