93歳の老人が法廷に立たされ禁錮4年の判決…戦後80年たっても、ナチの犯罪を追及する意味とは(ダイヤモンド・オンライン)

 第二次世界大戦の終結から長い年月を経ても、ドイツではナチの犯罪をめぐる裁判が続いている。余命も短く罪を認めている高齢者を裁くことに、いったいどんな意味があるのか。そこには、ナチをめぐるドイツ社会の葛藤と、被害者の複雑な感情があった。ドイツに学ぶ戦後処理のあり方とは?※本稿は、ジャーナリストの中川竜児『終章ナチ・ハンター』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 2カ月で30万人を殺害した アウシュヴィッツ収容所  2015年4月、リューネブルク地裁で、オスカー・グレーニングに対する裁判が始まった。  親衛隊員だったグレーニングは、アウシュヴィッツ(ビルケナウ)に到着した収容者の金品などを分類・管理する任務に就いていた。長くアウシュヴィッツでの経験を伏せていたが、ホロコースト否定論に触れ、2000年代に入ってその沈黙を破った人物だ。  ドイツの週刊誌シュピーゲルやイギリスの公共放送BBCのインタビューに応じ、「ガス室はあった。遺体を焼く火が上がっていた。私はそこに確かにいた」などと語り、一部で知られる存在になった。  ナチ犯罪追及センターは過去にも検察当局に捜査を促していたが、動かなかったという。しかし、デミャニュク裁判(編集部注/ナチス・ドイツの強制収容所のウクライナ人看守・デミャニュクは、大量殺人を目的とした収容所で勤務した事実により殺人幇助罪で有罪判決を受けた)が風向きを変え、93歳になった「アウシュヴィッツの簿記係」が法廷に立たされることになった。  検察側は、グレーニングが任務に就いていた期間のうち、1944年5月から7月にしぼり、謀殺幇助罪で起訴した。

 わずか2カ月だが、この間に実行された「ハンガリー作戦」では約30万人の収容者が殺害されていた。移送の実態などが把握でき、グレーニングが降車場での業務にも複数回就いていたと証明を試みた。  短期間に集中している被害者の多さは、ソビブル(編集部注/現ポーランド東部の森深くに存在したソビブル強制収容所)同様、アウシュヴィッツが「死の工場」だったことを鮮明にできるとの判断があったという。 ● 高齢者でも、真摯な態度を見せても 裁きは受けなくてはならない  アウシュヴィッツでの経験をすでに公表していたグレーニングは公判でも、過去の被告らとは違った姿勢を見せた。当初から「道義的な罪」は認め、刑法上の罪があるかどうかは裁判所の判断にゆだねるとした。被害者に対しても「謙虚に、心から反省している」「赦しを乞う権利はない」などと述べていた。  裁判所は、グレーニングに禁錮4年の判決を言い渡した。判決はガス室での殺害の残酷さや、無防備な収容者を欺いた背信性などを強く非難しつつ、グレーニングの公判中の姿勢には理解を示した。  「生涯を通じて沈黙を守り、反論したり、自らの犯した罪を覆い隠したりしてきた他の親衛隊員たちと、被告は一線を画している。肉体的にも精神的にも大きな負担に耐えながら、裁判を乗り切った。特に被害者の証言に心を痛めていたことも明らかだった」  連邦最高裁も支持して判決は確定したが、収監されないままグレーニングは2018年に亡くなった。  トーマス・ヴァルター(編集部注/長く務めた裁判官を引退後、ナチ犯罪追及センターの捜査官に転身)はこの裁判に、生存者やその遺族側の代理人として参加していた。  ドイツでは、被害者らが裁判に参加する仕組みがある。日本の「被害者参加制度」に似ているが、より広範な権利が与えられており、被告への質問のほか、証拠の収集や提出などもできるという。各国に散らばる生存者や遺族らを探し、センターでの経験を生かしつつ、ナチ犯罪者の追及を続けられる道だった。  デミャニュク裁判で突破口を開いただけでなく、その後の歩みも含めて、「ドイツ最後のナチ・ハンター」(編集部注/ナチ時代の犯罪に関わった者たちの責任追及を続ける活動家)の異名がついた。だが、ヴァルターもまた、その呼び名については、こう言って笑った。「私は武器をうまく使えないし、森の中を狩りのために駆け回っているわけでもない。ハンターではないよ」

ダイヤモンド・オンライン
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